「どうしてもいただきたかった賞です」
ピン芸人のナンバーワンを決定する『R-1グランプリ2021』(フジテレビ系)で、第1回大会のだいたひかる以来となる女性チャンピオンに輝いたゆりやんレトリィバァ。吉本のお笑い養成所『NSC』を首席で卒業。2017年には女性芸人のナンバーワンを決定する『THE W』の初代チャンピオンに輝くなど、お笑いの“エリートコース”を突き進んでいる。
奈良に住むシャイな女の子だった彼女が日本中を笑顔にするトップ芸人になるまでには、地元や両親による教えが影響していた─。
ゆりやんの両親を訪ねると
桜の名所として全国的にも知られている奈良県中部に位置する大きな川と山に囲まれた町で育ったゆりやん。そこで彼女の両親は、家の表札や雑貨などを製作・販売している工房を営んでいる。
「3歳ぐらいまで恥ずかしがり屋だったんです。遊びに来た主人の友達に“かわいいね~”と声をかけられると、私の後ろに隠れて電池が切れたように動かなくなってしまう子でした」(母親、以下同)
そんな彼女の性格が変わるきっかけになったのが、地域で行われていた“あいさつ運動”だった。
「道で人とすれ違ったときに挨拶をする取り組みなのですが、それをやるようになって少しずつ性格が明るくなっていきましたね。今ではこっちが恥ずかしくなるぐらい明るい子になりましたけど(笑)」
先輩たちにひるむことなくトークを繰り広げるのも彼女の強みだが、そんな達者な“べしゃり”の原点は、幼稚園から始まった親子の約束が関係しているようだ。
「私が仕事から帰ってきて家族みんなで食卓を囲むときに“今日でき”という、その日に起きた出来事を話す時間をとっていたんです。私は青少年指導員というのをやっていたので、いろんな年齢の子どもを持つ親御さんともお話をするんですが、“反抗期で子どもが話をしてくれない”というのを聞いていたので、日ごろから意識的に娘とは話をするように心がけていました」(父親、以下同)
もともとシャイだったゆりやんは、当初はなかなか話をしてくれなかったと振り返る。
「何があったのかを聞いても“いや、普通。何もない”とそっけない返事ばかりで。それでも今日はどんな勉強をしたのかとか、道で蟻の行列を見たとか、なんでもいいから話をするように言い続けていたら、だんだん話をしてくれるようになりましたね。お笑いにどう役立っているかはわからないけど、意識して観察する、それを言葉で伝えるという習慣が身についたのはよかったんじゃないかな」
そんな両親のもとでまっすぐ育ったゆりやんだったが、中学時代に些細なきっかけでいじめを受けるようになる。
ゆりちゃんはちょっと違う
「テニス部のキャプテンに名乗り出たことをきっかけに、悪口を言われるように。次第にエスカレートしてテニスボールを当てられる暴力を受けていたことをテレビ番組で告白しています。またクラスでもギャルのグループに入ろうとしたところ、“ゆりちゃんはちょっと違う”と仲間はずれにもされたそうです」(お笑いライター)
彼女がいじめられていることを知っても、父親は動じなかったという。
「私はPTAの役員をしていた関係で先生とよく話をしていたので、“どんな環境にも、いじめはあるやろな”と思っていました。だから娘がいじめられていると聞いても驚きはしなかったですね。
原因は必ずしもいじめている側だけにあるとも考えていないので、娘のことは信じつつも娘の言動にまったく非はなかったのか? ということを、幼稚園から続けている“今日でき”の延長線で話を聞きました。これまでの親子関係がありましたので、娘も素直に話してくれました」
父親の寄り添った行動が彼女の支えになったようで、
《“明日はこうやってみたらどうや?”とかアドバイスをくれました。(中略)そういうのに毎日支えてもらっていたんだなと思います》
と、前出の番組で明かしていた。いじめという現実から逃亡したい……という気持ちもあったのか、このころから映画に夢中になり、作品を通して英語も学んでいくように。
「よく映画の登場人物のモノマネを、私たちに披露してくれましたね」(母親)
日本でも大ヒットした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに大ハマり。主演を務めたマイケル・J・フォックスに会いたいという一心から、一時は海外の高校に進学を考えたほど。
「中学3年生のときに、この映画をテーマにして英語のスピーチコンテストに出場。2019年にはアメリカの人気オーディション番組に出演して話題になりましたが、中学時代から多くの映画に触れたことで海外でも通用する笑いの感覚が身についたんでしょうね」(前出・お笑いライター)
芸人を目指し始めたのは小学生のとき。吉本新喜劇で山田花子や島田珠代が活躍している姿を見て、“ここなら自分でもスポットライトを浴びられる”と直感した。関西大学に通いながら養成所に必要なお金をアルバイトで貯め、大学4年生のときに吉本の門を叩く。
「養成所の卒業公演で優勝し、首席で卒業。優勝の特典としてデビューから1か月間、毎日仕事が入ったスケジュール帳が贈られました。おかげでデビューから瞬く間に関西では知られた存在になりました」(在阪テレビ局関係者)
ふてぶてしいキャラクターの印象が強いが、素顔の彼女はとても物腰が柔らかいとみな口をそろえる。
「ほんま気さくでいい子ですよ」(『よしもと漫才劇場』近くの寿司店スタッフ)
同じく、劇場の近くのたこ焼き店の店員もこう続ける。
「大阪にいたころは、よく来てくれましたよ。大阪ではすでに売れっ子さんやったけど、気軽に会話してくれたね」
ダイエット成功に一安心
2018年に番組の企画で知り合った美尻トレーナーの指導もあり、40kg近くのダイエットに成功。美しくなったと話題だが、母親はこう喜ぶ。
「以前は先輩がたにごちそうしてもらい自由気ままに食べていたのですが、あんまり太っていると病気にならないか心配ですから、ダイエットしてくれて安心しています」
昨年末の『THE W』決勝前には、こんな親子の約束をしていたことを最後に明かしてくれた。
「“『THE W』と『R-1』で優勝や!”と宣言していたんです。去年の『THE W』では残念ながら優勝はできませんでしたが、もうひとつの目標をきちんと叶えて、私たちも本当にうれしかったですね。本人は昔からアメリカに行きたいと話していましたが、あまり無理をせず、かつギアは緩めず夢につなげていってほしいです」(父親)
父親が製作したという特製のスマートフォン用タッチペンには《CORONA KANSEN YO棒》の文字が彫られていた。日本一の笑いの裏にユーモアと愛情あふれる家族の支えがあったのだ。