「血圧が高いと医師から言われ、動脈硬化を防ぐために血液をサラサラにする薬を飲んでいました。でも、新型コロナウイルス(以下、コロナ)が怖くて、病院には行っていないし、薬も飲んでいません」
神奈川県に住む60代の女性は感染への不安を漏らす。
外出するのはもっぱら近所のスーパーへの買い物程度。以前は毎朝、ラジオ体操に参加していたが、それも行っていない。巣ごもり状態になってもうじき1年だという。
「サプリを飲んだり、食生活も気をつけています。体調も悪くありません。今は無理に通院しなくても大丈夫かな」(冒頭の女性)
自己判断で受診せず、
心筋梗塞の合併症が4倍に
実は新型コロナへの感染を恐れるあまり、「受診を控える」「治療を中断する」人は少なくない。
だが、その行為が生死を分けることにもなる。
「心筋梗塞の患者が、症状に気づかないだけでなく、多少痛みがあっても、コロナ禍ということがあり“緊急性がない”と自己判断。受診を控えた結果、重い合併症を伴った事例がそれまでの4倍に増えた、と国立循環器病研究センターによる報告があります」
そう話すのは医学ジャーナリストの植田美津恵さん。
心筋梗塞の治療が遅れることで心筋壁が壊死(えし)して心臓が破れるなど致命的な状態を引き起こす。
症状を放置したために緊急手術が必要になったり、最悪の場合は死に至る事態が起きるというのだ。
「痛い、苦しいという症状があれば我慢せず受診するでしょう。怖いのは自覚症状のない病気です。放置したことである日突然、悪化した状態で発症する危険性があるんです」(前出・植田さん)
これはまさに“隠れた大病”という時限爆弾を身体に抱えている状態といえるだろう。
前出の植田さんがもっとも懸念するのが、高血圧や高脂血症、糖尿病といった生活習慣病の悪化だ。
冒頭の女性も血圧が高い状態が続けば、血管に圧力がかかって傷つき硬くなり、動脈硬化を引き起こすおそれがある。
進行すれば脳梗塞や心筋梗塞など、命に関わる病気の原因にもなるのだ。
検査を避けると発症に気づかず、
死に至る場合も
定期的な受診だけでなく、病気を早期発見するための検査を躊躇(ちゅうちょ)する人も多かった。
東京脳神経センター理事長の松井孝嘉医師も危惧する。
「MRIやCTで脳を検査する脳ドックの検診者も減っています」
検査をすれば脳卒中につながりそうな脳の血管の状態や微細な出血の有無など、兆候を発見できる。
脳の病気には脳腫瘍や脳卒中など、発症する前は自覚症状に気づかないものもある。そのため、発症に気づかず重篤な後遺症が残ったり死に至る場合がある。
「がん検診の受診もこれまでの3割ほどに減っています。初期に見つかれば完治する可能性が高いがんなのに、『ステージII』『ステージIII』と悪化した状態で発見されるケースも考えられます」(前出・植田さん、以下同)
発見が遅れると生存率は下がる。コロナが落ち着いてから検診したときには医師から「余命1年」と宣告されることもありえなくはない。治療や検査を怠った結果、寿命を縮めることになりかねない。
「治療における患者の負担も大きくなりますし、医療費も高額になります。病気が悪化した状態で発見されたり、治療中の症状が進行していたりなど、今後はいろいろな形で報告されるでしょう」
高齢者が家にこもったままだと
老化が一気に進む
また、悪化するのはなにも病気だけではないのだ。
「高齢者が家にこもったままだと老化も一気に進みます」
筋肉が減少する『サルコペニア』や心身が衰弱する『フレイル』は高齢になれば誰にでも起きる。それらを予防するためにもウォーキングや適度な運動が求められている。
植田さんはこのコロナ禍で起きたある事例を語る。
「80代の知人は外出自粛前は元気に歩いていたのに、2週間自宅にこもっただけで自らの力で立てなくなりました。体力の衰えに気づいた直後に身体を動かせれば筋力や体力を取り戻せます。ですが、それもせずに、ずっとこもったままで動かないと老化のスピードは加速してしまいます」
歩かなくなれば筋力が衰える。脚が上がらなくなれば、畳のヘリのような小さな段差にひっかかって骨折したり、正座した脚を横にくずしただけで脚の関節がずれたり。寝たきり状態に陥るような大ケガを自宅で負うことも。
命には直接関わらなくても、治療を放置すれば取り返しがつかなくなる病気もある。
「目は網膜剥離の進行が懸念されています」
“網膜剥離”とは眼球内にある網膜がはがれ、視力が低下する病気。緑内障を放置したり、老化現象のひとつとして発症するという。
「早期発見できれば治ります。ですが、治療する機会を逃せば最悪、失明する可能性もあります」
失明すれば、これまでのような日常生活を送ることは不可能だ。
歯周病の細菌は
別の病気を引き起こすトリガーに
「歯科治療もあと回しにされがちです。でも治療を中断し、放置すれば歯を失います」
そう注意喚起するのは、栃内秀啓歯科医師。
コロナ禍での受診控えに限らず、“痛くない”という理由で治療が必要な虫歯を放置する人は多い。
「進行すると虫歯の細菌が歯を支えている骨を溶かしてしまう。土台がもたなくなれば抜歯が必要になるリスクも高まる」(栃内歯科医師、以下同)
歯周病の細菌による感染症にも気をつけたい。この細菌は別の病気を引き起こすトリガーとなるおそれがある。
「歯が直接の原因とされているとは言い切れませんが、病気の入り口となっている可能性は高いんです。代表的なものでいえば糖尿病、心疾患、認知症などがあります」
まずは糖尿病。歯周病の悪化とともに血糖値の上昇が起こるという。
「糖尿病情報センターの報告によると、歯周病菌は歯ぐきの毛細血管から体内に侵入します。血管の中に入った細菌は 体内のインスリンを効きにくくします。これによって糖尿病が悪化します」
次に心疾患。歯周病菌が歯を支える歯肉から血管内に入り、炎症を起こす。この炎症が血管そのものを硬化させたり、心臓の血管に血栓ができれば心疾患につながる。
そして認知症だ。実は歯と認知症の因果関係は解明されていないことが多い。だが、噛む能力が減少することで脳の機能が衰えて寝たきりになる『廃用性萎縮』が起こることと、前述の細菌感染による炎症が原因ともいわれている。
「歯を失い、好きなものを食べられなくなれば食事の楽しみがなくなります。その結果、食が細くなり、十分な栄養がとれなくなる。健康寿命が短くなります」
ほかにも、歯がないことで人前に出るのが恥ずかしくなり、自宅に引きこもりがちになることも。外出しなければ身体の機能や認知機能はさらに衰えていく。
栃内歯科医師によると、
「歯周病の治療をおろそかにしたことで免疫力が下がり、肝心のコロナに対して抵抗力が落ちる危険性があります。コロナを恐れるあまり、受診しなかったことで逆にかかりやすくなるんです」
それに口の中の状態が1度悪化してしまうと、治療に費用と時間がかかる。歯科疾患は進行すると元に戻らない。
さらに注意したいのが総入れ歯の人だ。コロナ禍の受診控えで、定期的な検診やメンテナンスを怠り、サイズが合わない入れ歯を無理に使っていることも危険なのだ。
入れ歯に汚れが付着したままだと口腔内で細菌が増殖。おまけに食事中に入れ歯がはずれやすくなり、食べ物をうまく飲み込めなくなると誤嚥をしやすくなる。誤嚥したときに細菌が肺に入れば、『誤嚥性肺炎』を起こし、命を落とすこともあるのだ。
「総入れ歯の人は自分の歯で食事をする人よりも誤嚥性肺炎のリスクが2倍以上にもなるというデータもあります。自分だけは大丈夫、という考えが自らを危険に晒すことにもなります。少しでも健康寿命を延ばしたいのなら、合わない入れ歯は作り直して汚れもしっかり取りましょう」
スマホ使いすぎの『首コリ病』には
うつ病のような症状が
前出の松井医師はコロナの巣ごもりで、スマホの使いすぎによる健康被害についても指摘する。
「スマホの小さな画面で動画を見たり、メールを送ったりして下を向いている時間が増えた人もいるでしょう。下を向きっぱなしだと、首の筋肉に過度な負担がかかり、頸性(けいせい)神経筋症候群、いわゆる『首コリ病』を発症します」
首を支える筋肉が緊張して硬くなり、副交感神経を圧迫する。その状況が慢性的に続くことで身体中にさまざまな不調が現れるのだという。
「首の痛みや頭痛、けん怠感、微熱、不眠、不安、めまいなどの症状があります。ほかにも食欲不振、下痢などの胃腸症状、ドライアイといった全身症状となって現れます」(松井医師、以下同)
コロナ禍で増えた若者や女性の自殺、うつ状態もこの首のコリが原因である可能性は高い、と松井医師は推測する。
「“首コリ”による神経の不具合は強い不安感を引き起こすことがあります。それは精神疾患のうつ病と非常に似た症状なんです。ほかにも集中力が低下して、物忘れがひどくなるなど認知症のような状態を訴える人もいます」
松井医師によると、うつ病のような症状を訴えて受診した患者の95%に首コリの異常がみられたという。
さらに、たかが首コリ、と放置すれば命にかかわることもあるという。
「実は精神的な不調を訴える首コリ患者の自殺率が極めて高いんです。抗うつ薬や精神安定剤を飲んでいても首の神経を治療しなければ改善されません」
首の治療をすれば精神的な不調が回復する見込みもあるのだ。
コロナの検査やワクチン接種はもちろん必要だ。しかし、それ以外の病気の検査や治療を怠ってしまえば命を左右するリスクが高まる。
前出の栃内歯科医師は、
「歯科で“痛み”が出たときには手遅れな状態のことが多い。歯科に限らず、病院に通うことは“不要不急”なことではないんです。1人でも多くの方が正しい判断をすることを願っています」
安易な自己判断はやめ、きちんと通院しよう。コロナよりも怖い病気は世の中にたくさんあるのだ。
コロナ禍で増えた病気
<巣ごもり>
【運動不足】
・生活習慣病 ・高脂血症 ・糖尿病
・心筋梗塞 ・脳梗塞など
【外出自粛】
・筋肉の衰えと骨がもろくなり骨折
・認知症など
【スマホの使いすぎ】
・首の筋肉の緊張が原因で全身の不調やうつ状態に
<検診控え・治療中断>
【がん検診】
・ステージが進行して生存率が下がる
【脳ドック】
・脳梗塞、脳卒中の進行など
【歯科検診】
・歯周病が悪化して糖尿病や心筋梗塞、認知症などに
【眼科検診】
・緑内障を放置して網膜剥離に。最悪は失明する
【婦人科検診】
・更年期障害の悪化など
お話を聞いたのは─
医学ジャーナリスト 植田美津恵さん
医学博士。愛知医科大学客員教授、東京通信大学准教授。専門は公衆衛生学、医療制度など。各大学で教壇に立つほか、医学番組の監修、講演活動をこなす。
脳神経外科医 松井孝嘉医師
東京脳神経センター(東京都)理事長、松井病院(香川県)理事長。画像診断を世界で最も早く始め、CTスキャナーの日本への紹介・導入・普及に尽力。脳卒中死の激減に貢献。
歯科医 栃内秀啓歯科医師
栃内歯科医院(岩手県盛岡市)副院長。父で院長の明啓さんと二人三脚で治療にあたる。祖父の代から三代にわたり、地域に根ざした医療の提供を実践する