KAT-TUNが、メジャーデビューしてから今月で15周年を迎える。「ギリギリでいつも生きていたいから」の歌詞が印象的な『Real Face』での鮮烈なデビューを覚えているひとも多いだろう。
ただ、ジャニーズにおける“不良系”の代表でもあるKAT-TUNは、これまでメンバーの脱退などかなりの紆余曲折もあった。逆境のときもあったなか、彼らはなぜここまで続けることができたのか? その魅力と現在地を探ってみたい。
「ごくせん」で世に浸透
「KAT-TUN」というグループ名は、オリジナルメンバーである亀梨和也、赤西仁、田口淳之介、田中聖、上田竜也、中丸雄一6人の名字のイニシャルを組み合わせたものである。「Kis-My-Ft2」も同じパターンだが、故ジャニー喜多川氏の独特のネーミングセンスが光る名前のひとつだ。
2001年に結成されたKAT-TUNは、CDデビュー前から数々の記録を残しているグループでもある。
2002年には初の単独ライブを東京国際フォーラムで開催。そのとき55万人もの観覧希望者が殺到して話題になった。また同年の大阪松竹座の公演では、1日11公演という記録もつくった。
そしてその後も全国ツアーなどライブの経験を重ね、2006年3月には、CDデビュー前のアーティストとしては史上初となる東京ドームでの単独コンサートを成功させた。
一方で、テレビ出演を通じてKAT-TUNの存在は世に広く知られるようになった。
2005年に放送された仲間由紀恵主演の学園ドラマ『ごくせん』(日本テレビ系)第2シリーズに亀梨和也と赤西仁が出演。2人は、筋金入りの不良たちが集められたクラスのリーダー的な不良生徒役を演じ、一躍注目を浴びる。ドラマも高視聴率を記録し、KAT-TUNというグループの存在が世間に浸透するきっかけになった。
こうして機が熟すなか、2006年3月22日、結成5年目にしてKAT-TUNは、「Real Face」でCDデビューを果たす。
作詞がスガ シカオ、作曲がB'zの松本孝弘だったことでも話題になった同曲は、ラップとヒューマンビートボックスを織り交ぜた、ハードロック調の楽曲。「ギリギリでいつも生きていたいから」といったフレーズも印象的で、“不良系”の面目躍如たるものがあった。亀梨和也と赤西仁をツートップとしたメンバーのビジュアルやパフォーマンスも、その世界観を見事に体現していた。
「Real Face」は、オリコン週間チャートで初登場から3週連続の首位、さらにオリコン年間チャートでも1位という快挙を達成。また初週売上枚数は75.4万枚を記録し、これは2020年に同時デビューしたSixTONESとSnow Manによって破られるまで、ジャニーズにおけるデビュー曲の初週売上記録だった。
ジャニーズにおける“不良系”の系譜
ここで、ジャニーズにおける“不良系”の歴史を簡単に振り返っておこう。
現在に直接つながる“不良系”のジャニーズとしては、1980年デビューの近藤真彦がいる。「たのきんトリオ」のひとりとして一世を風靡した彼は、やんちゃな個性で親しまれた。
この頃は、横浜銀蝿などが人気で世の中もツッパリブーム。近藤真彦のブレークのきっかけになった学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBSテレビ系、1979年放送開始)でも、彼が演じる生徒がツッパリ風の長ランで登校し騒動を巻き起こす回があった。
1980年代後半には、岡本健一らがメンバーだった4人編成のロックバンド、男闘呼組が人気を集めた。曲調もそうだったが、ルックスやファッションから彼らが醸し出すワイルドな雰囲気は、まさに不良の魅力にあふれていた。同じ時期に王道アイドルとして人気を誇った光GENJIとのコントラストもあり、なおさら男闘呼組の存在感は際立っていた。
さらには1990年代にCDデビューしたSMAPも、グループ全体がそうだというわけではなかったが、中居正広と木村拓哉にはそれぞれの不良性の魅力があった。
2000年代にデビューしたKAT-TUNは、こうしたジャニーズにおける“不良系”の流れを受け継ぎながら、それをアップデートしたと言える。たとえば、バンドではなく、ラップやヒューマンビートボックスなどヒップホップのエッセンスが取り入れられた点などはそうだろう。
ただ、“不良系”のジャニーズは、時代とともに徐々に減ってきている。
ジャニーズ事務所の設立以来の目標は、オリジナルミュージカルの確立である。そうしたこともあり、少年隊や堂本光一の名前を思い出すまでもなく、ジャニーズにおいては“王子様系”アイドルが伝統的に主流になっている面がある。最近で言えば、Sexy ZoneやKing & Princeなどもこの系譜だろう。
また、「不良」の表現のしかたも、時代とともに難しくなった。1980年代のツッパリは、リーゼントにサングラス、長ランなど髪型やファッションを見れば一目でわかるものだった。ドラマでヒットした『今日から俺は!!』(日本テレビ系、2018年年放送)はそんな懐かしいツッパリ文化の復活を思わせるが、コメディタッチの描きかただ。その点、亀梨和也や赤西仁が出演した『ごくせん』のように、不良のカッコよさをストレートに表現するものとも違っている。
こうしたジャニーズの歴史、そして時代の変化があり、いずれにしてもいまや“不良系”アイドルの生きる道は簡単ではない。
“不良系”の誇りが選ばせた「充電期間」
KAT-TUNのこれまでの道のりにも、そんな“不良系”アイドルの難しさを物語るようにかなりの紆余曲折があった。
デビュー後もオリコン週間チャート1位の記録を続けるなど順調に見えた彼らだが、2010年には赤西仁、2013年には田中聖、そして2016年には田口淳之介と、メンバーの脱退が相次いだ。6人だったオリジナルメンバーは、亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人となった。
脱退した3人は、それぞれの道を歩んでいる。赤西仁は、ソロでの音楽活動がメイン。海外進出にも積極的で、最近は同じくジャニーズ事務所を退所した錦戸亮とのユニット活動もスタートさせた。
田中聖と田口淳之介はグループ脱退後、大麻取締法違反の疑いで逮捕された(田中聖は不起訴処分、田口淳之介は有罪判決)。現在は2人とも基本は音楽活動だが、ともにユーチューバーデビューするなど活動の幅を広げようとしている。
なお、昨年デビューしたSixTONES(ジャニーズ事務所)の田中樹は田中聖の実弟である。
不良の本領は、決められた枠からはみ出すパワーにある。その意味では、彼らの脱退は、グループという枠に収まらない不良的パワーの結果と見られないこともない。ただ、いうまでもなくそれは、“不良系”アイドルとしての自分を表現することとは、また別の話である。6人のうち3人の脱退は、当然グループを危機に直面させることになる。
しかし、そこで終わらなかったところにKAT-TUNの大きな価値はある。
ここで彼らがとった選択は、そのまま活動を続けるのではなく、自ら「充電期間」を設けることだった。それは結局、2016年5月から1年8か月という長期に及んだ。アイドルグループで、ここまで長い活動休止期間をとるケースは珍しい。
そこにはやはり、“不良系”アイドルとしての誇りのようなものが感じられる。不良としての見た目や雰囲気だけではない、筋を通す生きかたとでも言ったらよいだろうか。充電期間に入ることには不安も伴っただろうが、彼らはグループの存続のためにも、まず一人ひとり自分の生きかたを突き詰めることを選んだ。1年8か月という時間は、そのために必要な長さだったということだろう。
三者三様の充電期間
実際、その間の3人は精力的だった。亀梨和也は、スポーツ番組のMCを務める一方で、映画『PとJK』『美しい星』(ともに2017年公開)やドラマ『時代をつくった男 阿久悠物語』(日本テレビ系、2017年放送)など俳優業でさらに存在感を発揮した。
そのうち2017年放送の主演ドラマ『ボク、運命の人です。』(日本テレビ系)では、『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)以来約12年ぶりに山下智久と共演し、再び2人のユニットで主題歌を歌ったことも話題になった。
上田竜也も、『新宿セブン』(テレビ東京系、2017年放送)で地上波連続ドラマ初主演を果たし、舞台でも主役を務めるなど、演技面での活躍が目立った。それに加え、レギュラー出演する『炎の体育会TV』(TBSテレビ系、2011年放送開始)の企画「ジャニーズ陸上部」の部長として、時に厳しく時にやさしく後輩のジャニーズJr.に接する姿は彼本来の真っ直ぐな人間的魅力を知らしめ、ファン層を広げたと言えるだろう。
やはり俳優としての活躍もあった中丸雄一だが、特にバラエティ番組への進出に目覚ましいものがあった。この時期ゴールデンタイムのバラエティ番組でMCに抜擢された経験が、現在出演中の『家事ヤロウ!!!』(テレビ朝日系、2018年放送開始)につながっている。
さらに情報番組『シューイチ』(日本テレビ系、2011年放送開始)にレギュラー出演するなかで、高いコメント力もいっそう磨きがかかった。
そして2018年1月、ジャニーズカウントダウンライブの場で、KAT-TUNは活動を再開した。その第1弾シングルは「Ask Yourself」(2018年4月発売)。自分自身に問いかけながら、悲しみや痛みのなかに希望の光を見出そうとする内容は、まさに充電期間中の彼らのことを指しているようでもある。活動再開直後には東京ドーム公演、さらに全国ツアーも開催された。
再出発した3人からは、改めてグループとしての結束を強めた様子がうかがえる。そしてそうしたなかに、以前にも増して自然体の感じがある。充電期間中にそれぞれがタレントとして成長することで、いい意味での余裕が生まれた印象だ。
タモリさんに語った「15周年」
最新シングル「Roar」のテレビ初披露となった3月5日放送の「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)で、司会のタモリからデビュー15周年について聞かれた上田竜也は、「15年間支えてくれたファンのかたに恩返しできるような1年になればいいなと思っています」と答えていた。
シンプルな言葉だが、KAT-TUNのこれまでの道のりを思えば、とても重みのある言葉だ。とりわけ彼らにとって、ファンの存在は大きい。思い出すのは、『KAT-TUNの世界一タメになる旅!』(TBSテレビ系、2014年放送開始)の、彼らが充電期間に入る直前に放送された回だ。ヘリコプターに乗ったメンバーに向けて、400人のファンが地上からサプライズでボードメッセージを送った。そこには「KAT-TUN充電だよね?」、そして「放電するなよ!!」と書かれていた。
粋な、そして愛情のこもったメッセージである。アイドルグループのファンにはそれぞれ独自の呼び名があることが多いが、KAT-TUNの場合は「ハイフン」、つまりグループ名の中心にある「-」から付いた。「メンバーとともにいつもそこにいる」ファンという大切な存在の意味を、これほど見事に表した呼び名もあまりないだろう。上田竜也の言葉には、そんな「ハイフン」と彼らが紡いできた歴史を感じさせるものがあった。
“不良系”アイドルは、ジャニーズ、ひいては男性アイドルの世界にいなくては困るもの。王子様のようなタイプだけでは成り立たない。ファンのためにも、そのトップランナーとしての役割を果たす責任が、KAT-TUNにはあるはずだ。
太田 省一(おおた しょういち)Shoichi Ota 社会学者、文筆家
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、歌番組、ドラマなどについて執筆活動を続けている。著書として『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『平成テレビジョン・スタディーズ』(青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)などがある。