生活困窮者を食い物にする悪質な「無料低額宿泊所」の実態とは──。フリーライターの林美保子さんがリポートする。《シリーズ第2回》
※第1回→《貧困ビジネスの温床『無料低額宿泊所』、元入所者が語る「まるで雑居房」の劣悪環境》
第2回
スカウトマンに甘い言葉で誘われ、1.5畳の部屋に15年
本来は、生計困難者のために、住む場所を提供する福祉施設という位置づけになっているはずの無料低額宿泊所が貧困ビジネスの温床になっている。アパートなどの居宅生活に移行するまでの一時的な施設であるはずなのだが、実際には何年も入所している人は少なくない。
彼らはどうやって、無料低額宿泊所に入所することになるのだろうか。ひとつの方法として、スカウト活動がある。
行き場のなさそうな人に目をつける
筆者はかつて『反貧困ネットワーク埼玉』主催による相談会で、2人の男性から体験談を聞いた。
Aさん(40代・男性)は、4年前までは建設関係の仕事に就いていたが、傷口から雑菌が入ったのが原因で左腕に障害が残り、力仕事ができなくなった。掃除のアルバイトをしながらネットカフェや新宿中央公園に寝泊まりをするようになったある日、「仕事を探しているの?」と、新宿中央公園で声をかけられた。
最初は仕事の斡旋(あっせん)なのかと思った。よくよく聞いてみると、「生活保護を受けながら、施設で暮らせる」という。車に乗せられてたどり着いたのは、埼玉県さいたま市にある無料低額宿泊所Bだった。元建設現場にあるプレハブ宿舎2階建て2棟を薄いベニヤ板で3畳に仕切って、60人が住んでいた。
Cさん(75歳・男性)は22年間、戸田市で自営の内装業に携わってきた。人生が狂い始めたのは、仕事でつきあいのあった大工に頼まれ、連帯保証人になったことだった。大工の死をきっかけに、Cさんは300万円の返済を迫られることになる。しかも、債権者がヤミ金融だったため、いわゆるトイチ(10日で1割の利息)で、10日経つと30万円、それから10日経つとまた30万円と、借金が雪だるま式に増えていった。
取り立てが自宅に押しかけるために、昼は戸田公園に逃れ、夜になってそっと帰るような生活をしていた。そんなとき、戸田公園で声をかけられた。
「困っている人を助けたいんです」
それが、無料低額宿泊所Dからの誘いだった。聞けば、借金を帳消しにする手続きをしてくれて、施設で暮らせるのだという。追い詰められていたCさんは、いまの生活から逃げたい一心で、施設に行くことにした。Dが2億円を脱税したとして所得税法違反に問われたこともある悪質な事業者だということも知らずに……。Cさんは自己破産を申請、免責処分となり、生活保護を受けることになる。
事業者がやっていることは福祉ではなく、搾取
「僕も路上経験があるからわかるのですが」と、生活困窮者支援団体であるNPO法人『ほっとプラス』(さいたま市)の高野昭博生活相談員は語る。高野さんは介護離職をきっかけに困窮するようになり、3か月の路上生活を経験している。
「朝4時から2人組でスカウトマンが来ますからね。“住むところがあるよ。食べるところがあるよ”と誘ってくるのです」
大手事業者Eのホームページには、「路上へのアウトリーチ」という言葉を使い、これらのスカウト活動を福祉的な支援であるかのようにすり替えている。
(※アウトリーチ……ひきこもりの訪問支援など、自ら援助にアクセスできない当事者に対し、支援につながるよう積極的に働きかける取り組みのこと)
しかし、彼らがやっていることは福祉ではなく、搾取だ。
高野さんに無料低額宿泊所を案内してもらう道すがら、川口オートレース場を通り過ぎようとしたときのことだった。
「ここにも、スカウトマンがやってきます。ホームレスがよく来ますからね。車券を買うわけではないのですが、休憩エリアがあって、コーヒーも無料で飲めるんです」と、高野さんが教えてくれる。
こうして行き場のなさそうな人間は、無料低額宿泊所のスカウトマンの格好の餌食になるのだ。
なかには、路上と無料低額宿泊所を行ったり来たりする人もいる。劣悪な環境に耐え切れず施設を飛び出して路上生活を送っていても、冬になると寒さに耐えられなくなり、無料低額宿泊所に一時的に避難する。そして暖かくなるとまた路上に戻る。
路上に逃げ出すと、また別の施設のスカウトマンから声をかけられることもある。
「そのような経験をしていると人間不信になるんですね。僕らが夜回りに行って、健康状態を聞いたり、生活保護を受けてアパートに住む道筋などを話したりしても信用してくれない。“どうせ、あいつらと同じだろう”と言われてしまいます」
施設を出ても、生きていく手立てがわからない
本来、無料低額宿泊所は、アパートなどの居宅生活に移行するまでの一時的な施設という位置づけなのだが、実際には何年も入所している人は少なくない。
先述のCさんはバブル崩壊の影響で経営破綻したゼネコンの元社員寮に住んでいた。6畳部屋を薄いベニヤ板で区切った1.5畳で、アコーディオンカーテンがドア代わりという個室とは名ばかりの部屋に15年も住み続けてきたという。
「外に出してくれ」と、何度も市役所に相談したものの、「金遣いが荒いからひとり暮らしは無理」などと施設側がケースワーカーに吹き込むためにどうにもできずにいた。
1階の灰皿設置場所でたばこを喫っていると、入居者同士で雑談になることもある。身体を壊して働けなくなったとか、事業の失敗、ギャンブルでサラ金に手を出したというような体験談も聞いた。多くの者は、施設を出た後に生きていくための情報やノウハウを持っていないため、どうしようもなくとどまっているというのが現状だった。
Cさんは警備の仕事をしており月10万円の収入を得ていたものの、そのぶん生活保護費も減らされることもあり、自力でアパートを借りることもできない。何とかして出たいと思っていたCさんは新聞で『反貧困ネットワーク埼玉』の告知記事を見つけ、仕事に出かけるふりをして、相談会にやってきたのだった。
なぜ、なかなか出してもらえないのだろうか。
「1人減れば、ひと月の稼ぎが約10万円減るわけですからね」と、高野さんは語る。施設によってバラつきはあるが、典型的なのは入所者が受給する生活保護費12~13万円を施設側が没収、住居費と朝夕の食費という名目で約10万円を搾取するというケースだ。入所者は1日ごとに渡される500円~1000円程度で昼食や日用品をやりくりしなければならない。
確かに入所者の中には金銭管理が苦手な者もいるようだが、だからといって1日1000円以下ではたいしたものを購入することはできないだろう。施設側にとって、入所者は効率よく稼ぎを生み出すカモになっていると言えるのではないか。
先日取材をしたFさん(74歳・男性)は、失業してホームレスになったとき、「3万円出すから寮に入らないか」と若いスタッフに声をかけられたという。つまり、生活保護を受給させて、本人には1か月3万円しか渡さないという典型的な手法だ。
「5人部屋のベッドハウスで、家賃・食費が10万円。ボラれたよ。食事は粗末で、食べたことがないような不味い魚が出た」
それでも、Fさんは1年でアパートに移ることができた。その施設では遅いほうだったそうだ。
厚生労働省が2018年に発表した調査によると、無料低額宿泊所の利用期間は、「3年以上」が39.1%と最も多い。次に多かったのが「1年~3年未満」の22.2%だった。支援団体が自治体にアンケートをとったところ、「最長で約10年」や「平均約5年」と返答した自治体もあった。
(※第3回は3月29日7時00分に配信します)
林 美保子(はやし・みほこ) 1955年北海道出身、青山学院大学法学部卒。会社員、編集プロダクション勤務などを経て、フリーライターに。経営者インタビューや、高齢者・貧困・DVなど社会問題をテーマにした取材活動に取り組んでいる。著書に『ルポ 難民化する老人たち』(イースト・プレス)、『ルポ 不機嫌な老人たち』(同)がある。