父親が死んだ血まみれの浴室を見ておきたいという娘、息子の自殺現場で大家に頭を下げ続ける母親、死後1か月以上の孤独死……。部屋に残された痕跡から故人の“想い”を悟ること。そして、遺族の激しい感情の揺れを受け止めること──。死の後始末をする清掃人として、「ご安心ください」と胸を張って言えるまでには、長い年月が必要だった。
事件現場清掃人・高江洲敦さん
東京の下町にある古いアパートの一室で孤独死が起きた。亡くなったのは62歳の男性。半年ほど前に職を失い、以来ほとんど6畳1間の自室にこもっていたらしい。たまたま部屋を訪れた元同僚が、玄関口で助けを求めるようにして倒れていた男性を発見し、警察に通報した。
「事件現場清掃人」である高江洲敦(たかえすあつし・49)は、アパートの大家さんから電話でこんな依頼を受けた。
「死後1か月たって見つかったようなんです。ご遺体の腐敗が進んでしまったためににおいが酷くて、一刻も早くにおいを消してほしいのです」
「ご安心ください。私が必ずきれいにして差し上げます」
高江洲が代表を務める「事件現場清掃会社」は、「特殊清掃」を専門に行う。主に自殺や孤独死があった場所で、消臭・消毒、虫の駆除、遺品整理、廃品・ゴミ処理、清掃・リフォームなどを行い、現状回復までを請け負っている。
2003年から3000件以上の現場に立ち会ってきた、いわば「事故物件」再生のプロフェッショナルなのだ。
病院で亡くなる場合と違い、冒頭のようなケースは「変死」扱いとなり、警察は死因を調べるために遺体を運び出す。
しかし、遺体から出た毛髪や体液などはそのまま現場に放置されるという。
高江洲は現場に到着すると、ドアを開けるとき「お疲れさまでした」と心の中で呼びかけ、故人と必ず向き合う。
「現場に入るたび、家の主であった方の人生を想像せずにはいられません。“大変な人生でしたね”そう話しかけながら、お清めをするんです。わけのわからない念仏を唱えるより少量の塩と酒を部屋に置いて故人をねぎらう。これが私の習慣になっています」
本来ならば、遺族が掃除をする役目を引き受けるべきだと思われるかもしれないが、孤独死の場合は身元が不明だったり、遺族がいても故人と疎遠だったことを理由に事後処理を断るケースが多い。
このアパートの男性も、近所に義理の姉がいたのだが、遺体の引き取りはおろか火葬の費用を出すことも拒否。結局、大家さんが火葬を行い、死亡現場となった部屋の清掃までやむなく引き受けた。
「失業保険をもらっていて、生活は苦しかったみたいですよ。家賃も最後の何か月かは滞納したままでしたから……」
大家さんはいかにも困った様子で、高江洲にこぼした。
6畳間の片隅には洗濯物がつるされ、台所には最後の食事だったのだろうか、干からびた食べ物が入った食器が置いてあった──。
作業に欠かせない装備とはどんなものか。
「絶対必要なのが、防護ゴーグルと防毒マスク。強烈な腐敗臭や、ハエなどの無数の虫、そして感染症から身を守るために着用します。また、遺体から流れ出た体液や虫の侵入を防ぐため、衣服の上には雨合羽の上着を着用し、手にはゴム手袋、靴はビニールのカバーで覆い、雨合羽とゴム手袋の隙間は養生テープでしっかりとふさぐんですね」
特殊清掃では、まずゴミ処理と掃き掃除から行う。部屋中に広がったゴミや、故人の糞便などを踏んでしまうからだ。ハエやウジ、サナギなどの虫の死骸をうっかり踏みつぶせば、床や畳を汚し、フローリングにこびりついて、あとあと苦労するという。
次に二酸化塩素を主成分とする特殊な消毒液を部屋の隅々まで噴霧する。死臭の主な原因は、腐敗の過程で細菌がタンパク質を分解して出す物質。薬剤をまくことで菌を死滅させ、においの原因を取り除いていくのだ。
こうしてようやく本格的な清掃作業に入っていく。
遺体から流れ出た体液や脂、血液、消化液などは混ざり合い、盛り上がった状態で表面が乾き固まる。これをスクレーパー(こびりついた汚れを落とす道具)で削り取り、残った汚れはスポンジで丁寧に除去する。ときには汚物にまみれたトイレや、何年も放置されたカビだらけの台所も清掃する。このように、部屋中のあらゆる汚れを取り除くのだ。
男性の遺体があった玄関口には、ドス黒い人型のにじみが広がり、体液が床を通って階下の天井まで達していた。
「こうなると、汚れた部分を削り取り、汚れた床板やフローリングなど、すべて新品に取り換えます。構造上はずせない木材やコンクリートは体液が染み込んだ部分を削ってコーティングを施します。ひどいときは解体や、全面的なリフォームが必要になりますね。そこまでしないと、においまで取り除けません」
人が亡くなると腐敗が始まる。温度にもよるが、死後24〜36時間たつと腹部から腐敗ガスがたまり、それが全身に広がって身体を膨張させ、やがて体内にたまった腐敗ガスが血液や体液とともに、腐敗しやわらかくなった身体を破って噴出するのだ。これが「死臭」の発生源ともなる。
作業の仕上げにもう1度消毒液を噴霧し、一連の作業を終えた高江洲は部屋の隅々までにおいを嗅ぎまわる。
「最後は鼻を床に押しつけてにおいが完全に取れたことを確認します。この“においを取る”ということのために私は命懸けでやってきましたから」
孤独死が社会問題となって久しい。その数は年々増え続けている。
2019年の厚生労働省の調査によると、全国の「単独世帯」は1490万7000世帯で、全世帯の28・8%、実に4世帯中1世帯強がひとり暮らしをしているのだ。
最近の傾向としては、60歳未満が4割を占め(第5回孤独死現状レポート)、実際に事件現場清掃の現場でも、特に多いと感じるのは40〜50代の男性の孤独死らしい。
誰にも看取られず死亡する人は年間3万2000人にのぼるとされている。
高江洲とは、6年ほどの付き合いがある横山清行さん(48)は、横浜の港南区で3代続く不動産会社の社長だ。これまでに10件以上、高江洲に依頼してきた。
「古い物件では、長く住んでいる高齢者の方が亡くなるケースもよくあります。あのにおいはたまりませんね。脳に来る強烈さというか。高江洲さんは徹底的ににおいを消して、確実にきれいにしてくれる。最初は相見積もりでしたが、今では信頼する高江洲さんにお願いしています」
60代父の自殺後を見届けた娘
特殊清掃の仕事で、孤独死についで数多く遭遇するのが自殺の現場である。これが全体の3割を占めるという。
警察庁の統計によると、2020年の自殺者総数は2万1081人。コロナ禍の影響で今年はさらに上昇するとみられている。
ある晩秋の昼下がり。車で移動中だった高江洲の携帯電話が鳴った。相手は若い女性で、特殊清掃の依頼だった。聞くと、団地にひとり暮らしだった父親が自室の浴槽で亡くなったと言う。憔悴しきった様子の声から、突然の父の死を受け入れなければならない娘の緊迫した状況が窺えた。
直感的に「これは自殺だ」と感じた高江洲は、「ご安心ください。すぐに伺います」と伝え、現場に向かった。
古い団地の入り口に20代と思われる女性が立っていた。
2DKの典型的な団地の間取り。生臭い血のにおいが鼻につく。廊下の床には遺体の搬送中にポタポタと滴った血痕が続いていた。廊下を入ってすぐ右にある浴室に近づいてみると、浴室の折り戸の曇りガラスには、無数の赤い点、そして真っ赤な手形が見えた。
意を決して扉を開けると、そこには想像していたとおりの惨状が広がっていた。
浴槽内には血で染まった真っ赤な水。壁には天井まで達した血飛沫の跡。死の間際にもがき苦しんだのか、血塗れの手跡が至る所に見られた。首の動脈を切っての自殺だったことがわかる。
作業に取りかかろうとすると依頼主に声を掛けられた。
「清掃する前に、浴室の状態を見せてください。どうしても父の最期の様子を知っておかなければいけない気がするんです」
とてもすすめる気にはなれなかったが、彼女の強い意志に負け、自殺の現場を見せることにした。
浴室の扉を開けた瞬間、彼女は腰が砕けてよろめいた。しかし、すぐに立ち直って、浴室全体をゆっくりと見渡し、和室へ歩いて行き畳の上にへたり込み、静かに涙を流したのだった。
「実はどんなに汚れた部屋でも肉体的なつらさは大したことはない。精神的にいちばんつらいのは、遺族から直接依頼されるケースなんです。遺族の“思い”を解決しなきゃならないですから」
遺族との対話は「傾聴」が基本だという。だが、安易な相槌は打たないと決めている。
「絶対に“わかります”などと軽率に言わないほうがいいんです。遺族の悲しみや悔しさなんて計り知れませんからね。ちゃんと遺族の方と話ができるようになるまでに2年以上かかりましたね」
故人は60代。妻と死別後、ひとり暮らしをして、長く持病を患った末の自殺だった。
彼女は、2日前に故人と会っていたと言う。そのときに父が告げた「今までありがとう」という言葉に、違和感を覚えたという話をしてくれた。
「遺書がなかったために真実はわかりませんが、家族に面倒をかける前に逝こうと考えたのではないかと思われました。私には、最後までプライドを持って生きたのだと感じられた。でも、遺族にとってはとうてい承服しがたい、やりきれないものですよね」
料理人から掃除屋の社長へ
高江洲は、沖縄県出身。長男で2歳下の弟と5歳下の妹がいた。決して裕福な家庭ではなかったが、「大きくなったら社長になる」という夢を持ち続けてきた。中学生になると、自分で稼いでいくには手に職をつけたほうがいいと考えるようになっていた。そして、同級生の「一緒に料理人にならないか」という誘いに乗って、工業高校の調理科に入学。高校卒業後、1年間、沖縄で働いた後に上京し有名ホテルの中華料理部門に就職した。夢は、理想の店をオープンさせ、そのオーナーとしてお金持ちになることだった。
しかし、当然のことながら、最初のうちは下働きばかりで給料もわずか。高江洲は開業資金を貯めるため、休日にハウスクリーニングのアルバイトを始めた。
「私は料理が大好きでした。でも、バイトで始めたハウスクリーニングもだんだん面白くなっていきました。掃除屋の車の荷台を見ると、道具一式がそろっています。それらの値段を調べるうちに、100万円もあればそろえられることがわかったんです」
このまま料理人の道を選んだとしても、自分の店を出せるころには40代半ば。それに比べ、ハウスクリーニングは元手がかからないうえ、大きな店舗も必要ない。それで心を決め、ホテルは退職した。
「しばらくは、昼は清掃業、夜は居酒屋でなんとかしのぐ生活でしたが、1年後に独立しました。弟が大学に通うための仕送りが大変だったこともあって。ハウスクリーニングで開業して、遠回りしてからの料理でもいいじゃないかと思ったわけなんですね」
1995年の夏、25歳のときにハウスクリーニングと店舗清掃を業務とする「そうじ屋本舗」を開業し、晴れて念願の社長となった。
社員も少しずつ増やし、2001年には法人化。売り上げも月600万円以上あった。
「調子に乗ってしまった。毎晩のように豪遊ですよ。羽振りがよかったですから。それが間違いの始まりだった」
そして、従業員の不満に気づかぬまま、愛想を尽かされることになる。
「社長、あなたには経営者としての資格はありません」
ある日、高江洲は社員たちに囲まれてそう宣言された。クーデターである。
右肩上がりだった業績も落ち込みが目立つようになり、借金の額もかさんでいた。
得意先に根回しを図っていた社員らは、社長1人を残して総辞職。後に、別会社を設立し、顧客を引き継いで業務を続けると決めていたのだ。
初めての事件現場で流した涙
2003年、32歳になった高江洲は、たったひとりでハウスクリーニングの仕事をやっていくことになった。月の売り上げは20万円ほど。その一方で、解散した会社でつくった借金返済が月140万円あった。
そんな高江洲を応援してくれる人がいた。葬儀関連の業界の社長だ。彼からある日、相談があると持ちかけられたのは、「ちょっと変わった現場の仕事」。それが、事故物件との出会いだった──。
よくわからず向かった現場で待ち受けていたのは、強烈なにおい。「死臭」である。部屋に住んでいたのは60代の男性で、死後2週間がたっていた。男性が倒れるときに頭を柱にぶつけたらしく、生々しい血痕と毛髪が残り、壁にも血痕が飛び散っていた。
消毒剤のスプレーを部屋の隅々まで吹きつけるわずか15分の作業だったが、今でもこの日の衝撃は忘れられない。
「もう嫌でした、人が死んだ部屋というのが。一刻も早く現場から逃れたい思いで、においの確認もせずにそそくさと部屋を後にしました。なんとも情けない仕事ぶりです」
だが、初めての事件現場の作業から1か月後、「消毒だけしてくれればいいから」と同じ社長からまた依頼がきた。
マンションの一室で、死後2か月たって遺体が発見された。服毒自殺の現場だった。
部屋に住んでいた男性は、IT関連の個人事業者。自殺の原因は離婚で、奥さんが家を出た直後に命を絶っていた。
長期間放置されたため、部屋の中はものすごいにおいだった。男性はパソコンに向かうひじ掛け椅子に座ったまま亡くなったらしく、体液や血液、糞尿までもが椅子のスポンジに染み込み、そこからあふれたものが流れ落ち床に大きな塊を作っていた。その塊からウジ虫がわき、部屋中をハエが飛び交っていた。
高江洲が、ひととおりの消毒作業を終え、この地獄のような場所から出て行こうとすると、立ち会っていた葬儀社の担当者が呼び止めた。
「そこの汚れ、拭いてよ」
「いや、私が引き受けたのは、消毒だけですから」
「何言ってんの? 掃除屋だろ? 仕事じゃないのかよ?」
頭に血が上ったが、言われてみれば、そのとおりだった。
「話が違う、と言い続けることもできた。でも、私はプロなんだ、自分で選んだ仕事を失うことはできない。特殊清掃のノウハウもないまま掃除に取りかかったんです」
掃除機で床に転がった無数の虫の死骸を片づけ、赤黒く固まった汚れを雑巾でこそげ落とすように拭いた。こみ上げる吐き気を我慢できず、思わずキッチンで嘔吐した。
(なんで俺はこんなことをしているのだろう……)
悔しくて涙があふれた。
自殺した息子の部屋を拭う母
その後も、事件現場清掃の仕事は、月に1度のペースで入ってきた。受ける理由はただひとつ。金を稼がなければならないからだった。
それでも、においだけは別だった。あの強烈な悪臭はどうやったら取れるのか、まったく見当もつかない。当時はまだ、事件現場の清掃を引き受けるときは、「汚れを取って、消毒はします。虫の始末もします。でも、においだけは消せません」と断りを入れていた。
しかし、そんな高江洲の気持ちを大きく揺さぶる出会いが訪れる。
現場は2階建てのアパートで、亡くなったのは若い男性だった。部屋に行くと、すでに片づけの作業が始まっていた。玄関の前に初老の女性がうつろな目をしてへたり込んでいる。そして荷物を運び出す業者に、何度も「すみませんでした、どうもすみませんでした」と言い続けている。故人の母親だった。遺体があった現場を見ると、フローリングに人型はあるものの、血液や体液などは残っていない。高江洲は、この女性がすべて拭き取ったのだと悟った。
そこへ、様子を見に来たアパートの大家が、激しい剣幕で女性を怒鳴りつけた。
「どうすんだよ! においが下の部屋まですんだよ! リフォームして入居者も決まっていたのに、お前のせがれのせいで契約も解除になっちまったじゃねぇか」
体液は、階下の天井にまで達していた。高江洲は大家さんをなだめ、「ここまでいくと、消毒だけではにおいは取れません。部屋全体をリフォームするしかない」と事実を伝えることしかできなかった。
この日初めて、自分の力不足を呪ったという。
「この悪臭の中、お母さんはどんな気持ちでひたすら自分の息子の一部を拭き取ったのだろう……と。汚れた両手を床にそろえ、頭を下げ続ける姿は、わが子に対する親の愛情そのものでした」
そこから、高江洲は、本格的に特殊清掃の勉強を始める。
どうやったら、汚れた部分だけを修復するリフォームが可能になるか、感染症を防げるだけの殺菌力を持ち、脱臭効果のある無害な除菌剤が作れるのか──。
その過程で、二酸化塩素が有効だという結論に至る。必死で取り扱う業者を探し、現場で使えるようになった。
こうした研究に1年近い時間とそれなりの費用がかかったが、効果は絶大だった。においを消し去るにはリフォームか解体しか策がなかった現場でも、この薬剤を噴霧するとうそのように悪臭が消えた。
高江洲は自信を持って現場に臨むことができ、仕事の依頼も増えていった。
ところが好事魔多し。仕事を斡旋してくれた社長から、「ご遺族や大家さんに特殊清掃の仕事を説明するために、技術や薬品を知っておきたい」と言われ、作業のマニュアルを手渡してしまう。すると、社長は自分の会社に特殊清掃の部門を作り新サービスを始めたのだ。多額の借金を抱えたうえに、仕事を奪われ高江洲はどん底を味わった。
それでも彼はめげなかった。ハウスクリーニングの会社の下部組織として、本格的に事件現場清掃を専門とした「事件現場清掃会社」を立ち上げた。以前のように斡旋ではなく、自分から営業をかけていく方針に変えたのだ。
そして、全国にいるリフォーム業者や内装業者、建設業者を募り、その中から確かな技術を持つ人材とパートナー契約を交わす、フランチャイズシップによる「事件現場清掃会社」を設立した。
沖縄時代、高江洲と小中高と一緒だった勢料厚司さん(50)は、高江洲が帰省するたびに会う旧友だ。
「昔はバイクを乗り回したり、ヤンチャだったけど、彼は普段から根は優しいところがあった。今の仕事も誰にでもできる仕事じゃない。本当に優しい人じゃないと続かないんじゃないかな。沖縄に帰ってくると、朝まで一緒に飲みます。『本当はこの仕事がないような世の中になればいいんだけど』と言ってました。仕事の話になると、だいぶ先を見てるなと感心しますね。いつも島から応援しています」
妻と子どもに伝えていること
2005年、高江洲は仕事を斡旋してくれていた社長に裏切られたと同時に、プライベートでも恋人と別れ、心の支えを失っていた。特殊な仕事を理解してもらう難しさを痛感したという。生涯独身を貫く覚悟だった。
しかし'09年、沖縄の友人に紹介された女性と出会って3か月で結婚。'13年には長女が生まれ、昨年春には長男が誕生した。
「妻は私の仕事を本当に理解してくれました。実際、彼女も清掃や遺品整理の現場を手伝ってくれることがあるんです。『おばあちゃん、頑張って生きたね』なんて語りかけながら作業していて、私よりも向いているかもしれません」
さまざまな死から学んだことがある。それを今、妻や子どもたちに伝えている。
「家族には、車や別荘やお金は残さないと話しています。金はあの世には持っていけないし、子どもがチャレンジする機会を奪いたくはないから。
それに……お金持ちで心のバランスを崩して、自殺していったたくさんの人を見てきましたからね」
清掃後の「問題」にも向き合う
高江洲は、特殊清掃が終わった後にこそ、「問題」があると指摘する。
「物件で人が亡くなると、その部屋で何が起こったか、次の入居希望者に伝える告知義務がある。大家さんが数十万円~数百万円かけてリフォームしても、すぐ買い手が見つかるとは限らない。そんな心理的負担を軽減できないかと考えるようになりました」
昨年、高江洲は事故物件専門の不動産業を始めた。相場の2割引で事故物件を買い取り、投資家に向けて販売することもあれば、自分で所有することもあるという。
また、清掃後、引き取り手のない遺骨の問題にも取り組む。
高江洲の事務所では、特殊清掃の依頼主から預かったいくつかのお骨を安置している。
「これらの遺骨は、海洋散骨を行うことを約束しています。先日も沖縄の海に散骨してきました」
高江洲は「特殊清掃」の後に残る問題とも、こうして向き合ってきた。
清掃を終えた後、思いつめた様子の遺族から食事に誘われて、話を聞くことも少なくない。
「誰かに聞いてほしい」
遺族のそんな気持ちを受け止め、故人の生前に思いを馳せる時間に寄り添うこと。
これもまた、“清掃の後”に残される大きな問題のひとつなのだ。
「高江洲さんはね、すごく話しやすい人なの」
高江洲が通う居酒屋の女将、浜田八重子さん(67)は言う。
いつしか親しくなり、高江洲の仕事を知った浜田さんはこんな依頼をしたことがある。5年ほど前のことだ。
「私、引っ越しを考えているんだけど、見積もりに来てくれないかしら」
清掃でも遺品整理でもない。それでも高江洲は後日、彼女の住まいを訪ねた。
古い木造アパート。居間には仏壇が置かれていた。そこは30年前、湯沸かし器の不完全燃焼による一酸化炭素中毒で夫を亡くした部屋だった。
「実は見積もりは口実だったの(笑)。高江洲さんに話を聞いてもらいたかったんです」
壁にかけられた夫の写真を見せながら、死別の日のこと、たったひとりで子ども3人をこの部屋で育ててきたことなど、思い出を語った。
後日、高江洲は故郷の沖縄の砂を取り寄せて浜田さんに贈ったという。
「亡くなった旦那さんは海が好きだったそうで、仏壇の線香立て用の砂は、女将がいつも海辺から持ってきたものを使っていると聞いたから」
特殊清掃のほかにも、自分にできることはないか──。
一家心中の部屋で決意したこと
困り果てる大家さん、身寄りのない故人、そして話を聞いてほしい遺族。高江洲はいつも、清掃の“その先”まで目を向けている。
今、高江洲には「児童養護施設をつくる」という次なる夢がある。きっかけは、「心中」の現場清掃だった。
個人経営のカレーショップが入った建物で2階が住居だった。キッチンには血痕と黒い血だまりがあり、またトイレには遺体から吹き出た体液が床一面に広がり、側には練炭が残されていた。
夫が妻を包丁で手にかけ、その後、練炭自殺を図ったことがわかる。
キッチンやトイレ以外には、部屋が荒らされた痕跡はない。壁には、幼い子どもが描いた絵が何枚も貼られている。
(子どもはどうなったんだ?)
高江洲は、寝室にあった布団を思い出し、まさかと思いながら、掛け布団をめくった。
「息をのみましたよ。そこには小さな人型の染みがありました。自殺した夫は、妻だけでなく、幼い子も手にかけていたんです。一瞬で悲しみと怒りが全身に広がってブルブルと震えましたね」
実は高江洲の妹は幼くして亡くなっていた。生まれつき身体が弱かった妹は、8歳のとき、心臓の手術に耐えられず命を落としたのだ。
高江洲はこのとき、亡くなった子と妹の姿が重なったのだ。
「ほかの現場でも、夫が借金を残して自殺した後、亡き夫を激しく罵る妻に連れられていた小さな女の子、見積もりに訪れた現場で、遺族と不動産買い取りの相談をする私をじっと見つめていた男の子……。親を亡くした幼い子どもの姿を目にするたびに、複雑な思いにとらわれて。こういう子どもたちの未来のために何かしたいと思ったんです」
そして、「養護施設の運営」という答えにたどり着いた。特殊清掃という、ある種「人の不幸」で得たお金の出口をずっと探していたという。引き取り手のない遺品も、買い手のつかない事故物件も、施設の運営に役立てるつもりだ。
「孤独死=気の毒ではない」
高江洲がよく受ける質問がある。
「幽霊を見たことはありますか?」
「事故物件=幽霊・心霊現象」というイメージはつきものだ。
「幽霊が存在するかどうかは、私にはわかりませんし、見たことはありません。しかし、『死のエネルギー』は感じるんですね。人が病院で亡くなった場合と、自室で亡くなった場合とでは、なぜか部屋から受ける感じがまったく異なります。そこには、死の間際の故人の思いが残っているような気がするのです」
ある意味ではその死者のエネルギーを拭い去ることが、事件現場清掃人の仕事なのかもしれないと言う。
「そもそも“病院で死にたいか、家で死にたいか”と問われたら100かゼロで“家で死にたい”と答えますよね。それが人の本望ではあるわけです。孤独死の場合は、ただ少しばかり発見が遅れてしまっただけのこと。だから『孤独死=気の毒』とはならないはずなんですね」
高江洲は、大切な人を失った遺族をたくさん見てきた。
練炭自殺した男性の両親、心中した母娘を発見した妹、息子が首つり自殺したと伝えてきた父親、入浴中に亡くなり、風呂釜で煮込まれてしまった老女の娘や姪たち……。
悲しみと後悔に暮れる遺族に、こんな言葉を伝えてきた。
「人が死ぬとき、死ぬ瞬間は痛いかもしれないけれど、死んでしまえば、身体が溶けようが虫に食われようが本人は痛くはない。発見した人は気持ち悪いかもしれない。でも、それはただの『状態』にすぎないんです。だから、亡くなった人は上から見ていて“ちょっと汚れちゃってごめんなさいね”と笑っているかもしれませんよって」
そんな高江洲も、30代でこの仕事を始めたばかりのころは「人はなぜ死ぬのか」「生死とは何か」と考えすぎてうつ状態に陥ったことがあった。平然と現場に立ちながらも、周囲には見せない葛藤を繰り返してきたのだ。
「なぜ、自らの精神を削りながらも、この仕事を続けてこられたのですか?」
最後にそう尋ねると、
「なんでだろう……」
と、しばらく黙り込み、こう切り出した。
「心がさ、大きく満たされたんだよね。特殊清掃の仕事を始めて、涙を流しながら遺族の方に両手で強く握手されるようなことが何度も、何度もあって。僕のほうが人として心を大きく満たしてもらった。居場所というか、この現場で、俺は命を使っていいんだと思えたんですよ。使命感なんてものは後からついてくるものでさ」
『この世の始末をしてくれ──』という故人の叫びに耳を澄ませる瞬間、かき立てられるものがある。だから、不安そうに立ち尽くす遺族や依頼主に胸を張って告げる。
「ご安心ください。私が必ずきれいにして差し上げます」
取材・文●小泉カツミ(こいずみかつみ)●ノンフィクションライター。社会問題、芸能、エンタメなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』『吉永小百合 私の生き方』がある