コロナ禍でも無事に開幕を迎えたプロ野球。制限はあるものの観客を入れて試合ができることになり、選手たちの顔色は明るい。
「昨年は変則的なシーズンでしたから、今年にかける思いは強いでしょう。各チームに新たな顔ぶれが加わっている中で、もっとも注目されているのが東北楽天ゴールデンイーグルス。
メジャーで活躍していた田中将大投手が復帰するのに加え、ゼネラルマネージャー(GM)兼監督として石井一久氏が現場に帰ってきたことも話題です。26日の開幕戦を見事な勝利で飾り、出だしは好調ですね」(スポーツ紙記者)
前シーズンは4位とふるわなかっただけに、ファンの応援にも熱が入る。
「田中投手は8年ぶりの楽天復帰です。メジャーで実績を残していましたが、ヤンキースからFAになって日本に帰ることを決断しました。日本では30連勝という輝かしい記録を残していますから、チーム力が大幅にアップするのは間違いありません」(スポーツライター)
1月に開かれた田中の復帰会見の際、石井はすでにエースの心をつかんでいる様子だったという。
「会見で石井さんは田中選手のことを“マサヒロ”と下の名前で呼んでいたけれど、その後で“今は日米通算で僕のほうが勝っているから、下の名前で呼んでいます。抜かれたら『ねえねえ田中くん』にします”と言って会場の笑いを誘いました。マー君も満更でもない表情でしたよ」(前出・スポーツ紙記者)
ジョークに交えたように、石井も投手としてメジャーリーグでプレイしていたのだ。
「ドジャースとメッツで選手生活を送った後、日本に帰ってヤクルトと西武で投げました。引退後は吉本興業に契約社員として入社しましたが、2018年から楽天のGMに。監督になるのは今回が初めてです」(同・スポーツ紙記者)
地元仙台のファンも石井に期待
実績はないものの、地元のファンは石井の監督就任を歓迎しているようだ。楽天ファンが集まる仙台の『おでん三吉』店主の田村浩章さんは、期待の声を聞いている。
「なにしろメジャーまで行った選手ですからね。何事にも動じないマウンド上の姿は、野球ファンの頭にはっきり残っていますよ。GMとしても、ファンの間でも予測がつかないような大胆な補強をしていました。監督としても“セオリーにとらわれない采配で楽しませてくれるんじゃないか”と、みんなワクワクしていますよ」
のほほんとした穏やかそうな雰囲気を持っていることもプラスに働きそうだ。
「自分のことを“元祖ゆとり世代”と言っていました(笑)。ただ、“ゆとりでも野望があれば、いざというときに目的意識を持って高いハードルを跳べばいい”とも話していて、芯はしっかりしているんです。フランクな性格なので後輩からも慕われますし、野球界は縦社会なんですが、彼は若い選手と一緒にテレビゲームをして打ち解けたりもできる」(前出・スポーツライター)
2007年には、“友達を作りたいから”という理由でヤクルトから西武に移籍した。
「当時は何を言っているんだと思ったけど、あながち冗談ではなかったようです。エースの涌井選手、若手の有望株の岸選手と仲よくなり、2010年に入った菊池雄星選手、2011年に入った牧田選手と、次々と手懐けていったんですよ。涌井選手も、岸選手も、牧田選手も、いまや楽天。
現在はメジャーで活躍中の菊池選手も、日本に戻ったら石井さんがいて地元も近い楽天に入るだろう、と噂されています」(同・スポーツライター)
石井は、選手以外とも友好的に接していた。
「オフには担当記者たちと一緒にフットサルをすることも。運動神経がいいから、なかなか上手なんですよ。奥さんの木佐彩子さんも気さくな方で、マスコミ受けもいいですね」(前出・スポーツ紙記者)
元同僚が語る石井監督の素顔
ゆるキャラっぽく見えるが、頭の回転は早いという。ヤクルトでチームメイトだった真中満氏は、実際には計算高いのだと語る。
「天然を狙ってる部分もちょっとある(笑)。ワードセンスがいいんです。マイペースなのも、周りに流されずにやれるのは監督としては強みになりますね。采配を見るまではなんとも言えないけど、話を聞いている限りではバランス感覚がいい。
マスコミが田中投手のことを聞きたがっても、彼に負担が集中しないようにうまく分散させている。全員で戦う姿勢が感じられますね」
先輩からは可愛がられ、誰とでも仲よくできる性格が監督に向いているという。
「2001年に優勝したとき、石井が中心になって記念Tシャツを作って配ったんですよ。今じゃ優勝記念Tシャツなんて当たり前ですけど、あれが最初だったと思う。大きい声で騒ぐタイプじゃないけど、そうやって盛り上げるというか、まとめるのは上手でしたね。なんとなくみんながついていってしまうような、不思議な魅力がある人間です」(真中氏)
ヤクルトで先輩だった飯田哲也氏も、石井の明るさと気遣いを評価する。
「おとなしそうに見えて、実は明るくてユーモアたっぷり。もともと周りをよく見て空気を読んでしゃべるタイプです。僕を含めた先輩に対する礼儀はすごくしっかりしていて、後輩にとっては“兄貴分”といった感じで人望がある。“石井さんのためなら”と思わせるくらい、面倒見がいいんです」
大事な試合に寝坊してきて怒られたのに、好投して完封するほどメンタルも強い。それでも、まったく欲がない。
「ノーヒットノーランを達成した1997年9月の横浜戦で、8回に自分から“代わりましょうか?”って言ったんです。野村克也監督に“こんなチャンスめったにないんだから”と言われ、“じゃあ行きます”って続投して記録達成(笑)。マイペースなんです。1992年に優勝したときは、インスタントカメラの『写ルンです』をベンチの中に持ち込んで胴上げを撮っていました(笑)。おちゃらけたことをしても、なぜか彼は許されちゃうんですよ」(飯田氏)
新人時代の石井を見て人間性を評価していたのが、野村克也さん。行きつけだった『鮨太鼓』の若女将・白石麻美さんは、野村さんが石井について語った言葉を覚えている。
「2018年に石井さんが楽天のGMに就任したとき、野村さんは“石井はな、不思議なヤツなんだよ”と。“あいつ頭悪いかと思ってたんだけど、実は賢いぞ”なんて言うから、私たちが冗談で“じゃあ監督とかできちゃうんじゃない?”と聞いたら“それも間違いじゃないかもなぁ”って、まんざらでもない様子でしたよ。監督としての素質があるのを、野村さんは見抜いていたのかもしれませんね」
相葉雅紀との意外な関係
テレビのバラエティー番組にも出演していた石井は、芸能界にも人脈がある。中でも、嵐の相葉雅紀とは親密な関係だ。
「開幕戦を前にした石井監督の左腕に、ロレックスがあったんです。サブマリーナーという高級腕時計で、石井さんが生まれた1973年製。これが、相葉さんを含む有志から贈られたものだったんですよ。ロゴが赤いから“赤サブ”と呼ばれるアンティークウォッチ。人気のモデルで、買取価格は150万円は下りません」(前出・スポーツ紙記者)
石井は『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)で、相葉のコーナーに助っ人として出演するほどの仲だった。
「2016年に相葉さんがラジオ番組で石井さんのことを話していました。当時中学生だった石井さんの長男が“さんまが食べられない”と聞いた相葉さんは、食べ方を教えてあげたそうです。同じ千葉県出身ということもあって、家族ぐるみの付き合いだったようですね」(テレビ誌ライター)
“人生で最も大きな買い物”をやりとりするほど、信頼関係も強かった。
「石井さん一家は、都内の一等地にある高級分譲マンションに住んでいました。2013年に手放したんですが、実は夫妻からこの部屋を買い取ったのが、相葉さんだったんです。かなりの高額物件ですから、信用している相手でなければ取引はできません。2人は親密な“部屋友”ってことですね」(芸能プロ関係者)
ノムさんから相葉まで、誰からも愛される“人たらし”な石井。おっとりキャラが東北に夢を届けてくれそうだ。