映画『犬鳴村』のロケ地にもなった旧吹上トンネル

 ホラー映画やオカルト番組のロケ地となり、都内有数の心霊スポットとなった「吹上トンネル」。だが、その背景には悲しい真実が隠されていた――。

「幼子の泣き声が聞こえる」
白い和服姿の幽霊が出る」

「東京都内で最恐の心霊スポットのひとつが青梅市にある『吹上トンネル』です」

 そう話すのはオカルトサイトのライター。

「吹上トンネル」とは同市黒沢地区と成木地区を結ぶトンネルのこと。現在使用されているのが1993年より運用開始した「新吹上トンネル」。ほかに2本のトンネルがある。1904年、手掘りレンガ造りの「旧旧吹上トンネル(以下、旧旧)」が最初に造られた。50年後の1953年、昭和トンネルこと「旧吹上トンネル(以下、旧)」が竣工した。

 2021年現在、「旧旧吹上トンネル」は完全閉鎖。「旧吹上トンネル」もトンネル手前に車止めを設置、通行できるのは徒歩と自転車のみ。

 不可解な話があるのは主に古い2本のトンネルだ。

消えかけているがトンネル手前の電柱に『幽霊出る』と書かれている

「特に旧旧がヤバイ。殺人事件の現場になった、という噂です」(前出のライター)

 複数の説があるが、共通するのは昭和30年代。トンネル近くの居酒屋。高齢女性と孫娘や従業員が強盗に襲われた。娘がトンネル内で殺された、というものだ。

「トンネル内に白い和服の被害女性の幽霊が出るようになった、と言われています」

 ほかにも、「幼子の泣き声が聞こえる」「背後から複数の霊に追いかけられる」などオカルト話が絶えない。

 昭和の終わりに日本中を震撼させた『幼女連続誘拐殺人事件』の宮崎勤が潜伏していた、トンネル内で少女を殺害した、遺体を遺棄した、との噂もささやかれていた。

「幼子の泣き声は被害少女の声だ、なんてことを信じている人もいます」

「おばけトンネル」と言われており、複数のオカルト番組で取り上げられ、ホラー映画のロケ地にもなった。芸能人だけでなく、人気ユーチューバーも足を運び、番組にする有名スポットだ。

 そこで真相を調べるべく、周囲から霊感がある、といわれる記者が現場に向かった。

 ではいつから心霊スポットと呼ばれるようになったのか。

 すると周辺住民たちは、「20年くらい前から若者がぞろぞろとやってくるようになった」と口をそろえた。

「古いトンネルが遊び場だったけどそんな話はなかったね」(60代男性)

 地元住民ならおばけを目撃した人も少なくないだろう。

「夢を壊しちゃうかもしれないけど、地元の人でおばけを見た人は1人もいない」(70代女性)

 白い着物の女についても、

「昔、ある番組のロケで白い着物を着た人形をトンネル内につっていた。その話がひとり歩きしているのではないでしょうか」(前出のライター)

 宮崎勤の事件について、怪談師の吉田悠軌さんが指摘。

「事実ではありません。本当の現場は別。事件当時、吹上トンネルは噂にもなりませんでした。それがなぜ、今ごろ噂として広がっているのか。不思議です」

 と首をかしげる。さらに、

「旧旧は確かにいろいろな噂がありました。ですが、旧は生活道路。地元の人も普通に行き来しますし……」

 取材を続けると、旧旧周辺の土地を借りているAさん(70代・仮名)という男性にたどり着いた。

「事件があったのは本当です。でも、おばけは出ませんよ」

 そう言ってトンネルの真相を語り始めた。

 終戦直後、旧旧吹上トンネル黒沢口側の手前に小さな居酒屋兼住居があった。

「そこに住むおばあちゃんとお嫁さんが殺されたんです。犯人は中央線に乗って逃げましたが、ワイシャツに血がついていたことを不審に思った人が通報し、逮捕された。物取りによる犯行でした」(前出のAさん、以下同)

 2人が殺害されたのは建物内。トンネルは関係ない、という。現場には2歳になる被害女性の娘が残されていた。

 祖母と母を一度に亡くした娘はこの地を離れ、現在も都内の別の場所で暮らしている。

「縁あって数年前に彼女から土地を借りました。あのトンネルは私たちにとっても悲しい記憶があるんです」

 妻の母、Aさんの義母のことだ。大正初期、義母は2歳直前で養子となった。

 養父はだらしない男で借金を繰り返し、養母は身体が弱く働けなかった。義母は10歳前から旧旧近くにあった反物を作る家に奉公に出された。

「毎日トンネルを通って奉公先と自宅を往復したそうです。朝起きたら自宅に帰り、家事と食事の準備。仕事が終わったら今度は夕食を作りに戻り、奉公先に帰る。夜、トンネルは真っ暗で怖い。だからおばけのように髪を振り乱しながら通っていたそうです

 義母はそんな生活を16、17歳まで続けたという。

「養子に出されたとき、実父は泣きじゃくる義母を引きずりトンネルを通ったそうです」

 Aさんは涙ぐんだ。

 泣きながらトンネルを往復したのはAさんの義母だけではなかったのかもしれない。

 日本が貧しかった時代。子どもたちの悲しみがいつしかおばけにかわり、後世に伝わったのではないだろうか。

地元住人のリアルな声

 やがて不確かな噂だけが残り肝試しスポットになった。

 おまけに、Aさんの土地にも無断で入ってくる人がいる。

「以前、2人の冥福を祈るために地蔵をつくったんです」

 その地蔵は見物人によって破壊された。

Aさんはゲートを設置。だがカギを壊したり、有刺鉄線を切って侵入する人は後を絶たない

「いたずらが多くて困っています。ゲートの扉の鍵は壊す。トンネルの鉄板の扉はこじ開けようとする。私の仕事道具が下のトンネルに投げ捨てられていたことや、盗まれたものもありました……。“入らないで”と私が言えば“見に来て何が悪い”とか逆ギレされたこともあります

 ゴミや大量のライター、焚き火の痕跡があったこともある。

亡くなった家族をおばけと言われて、遺族は悲しんでいます。高齢者の中には“夜来る若者たちが怖い”とおびえたまま亡くなった人もいました。昼間、ちゃんと会いに来てくれれば私も真実をお話ししますよ。黙って夜中に来て、いたずらされるのが困る

 前出の吉田さんが明かす。

「実は心霊スポットと呼ばれる場所の99%がもともと何も起きていない場所。事件が起きた所のほうが少ないんです」

 肝試しで人が集まり、事故が起きることもある。人が亡くなれば「たたりだ」と言われ、ホラー度は上がり、印象が強められる──。

「被害者やご遺族には申し訳ないですが、私は心霊スポットを訪れること自体は否定しません。恐怖を共有することで友情を深めたり、大人になるための通過儀礼的な役割もあるんです。ただし、周囲の人に迷惑をかけないことが大前提です」(前出の吉田さん)

 だが、その願いもむなしく、迷惑をかける人は年々増えているのが現状だという。

「廃墟や怪談が好きなわけではないのに、稼げると知ったユーチューバーらがどんどんやってきてしまう」

 番組を盛り上げるため騒ぐ。近所の人が通報する。その番組を見た若者が訪れ騒ぐ、再び通報される、という負のループが繰り返されている。

 吹上トンネルに幽霊は出なかった。そこには家族を大切にする人々が悲しい過去と向き合いながら生きていた。

怪談師・吉田悠軌さん

お話を聞いたのは……
怪談師・吉田悠軌さん
怪談サークル『とうもろこしの会』会長。怪談の収集やオカルト全般を研究。著書に『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一生忘れない怖い話の語り方』(KADO
KAWA)など著書多数。執筆のほか怪談ライブや講演も行う。

ルポ・吹上トンネル
「霊感記者の恐怖体験」

 春の嵐が過ぎた翌日、記者はカメラマンとともに「吹上トンネル」に向かった。

 最初に訪れたのは「心霊写真が撮れる」など、多く怪奇な噂がある「旧吹上トンネル」。手入れのされていない道路はボロボロ、緑が広がり、全長245メートルのトンネルがぽっかりと口を開けてわれわれを待っていた。

 天井に照明はついているものの、中は昼間でも薄暗く、重く湿った空気が漂っていた。天井や壁はひび割れ、ところどころ、滝のように水が噴き出していた。

「おばけより崩落が怖い……」

 それが第一印象だった。

旧吹上トンネル内。人のように見えるシミも多い

 トンネルを進んでいくと雨漏りや経年によってできた壁のシミが人の顔や人の形に見えた。夜なら別のものと見間違えてもおかしくはないだろう。足音もやけに大きく響く。

「高齢女性がトラックにひかれた跡が残る」という都市伝説も検証すべく、その痕跡を探したがそれも見つからなかった。気圧のせいで空気は重いが、記者の心霊レーダーには何も反応しない。何も起きないままで、出口に到着した。

 次に前述のいわくがあり、“最恐”といわれる『旧旧吹上トンネル』に向かった。

 トンネルに向かう道はすでに廃道となっており、すぐには見つからない。聞き込みやネットの情報を頼りに、森の中をさまよい、ようやくそれらしき道を発見した。

 道幅1メートルにも満たないけもの道。片側は崖。足元には土砂崩れ防止のネットを固定するワイヤーや杭などが打たれており、枯れ木や枝も散らばっていた。日中でも危険なのに、夜なんてうっかり転んで谷底に真っ逆さま、なんてことになりかねないほどの悪路だった。

 5分ほど登ると、木々がうっそうと茂る森の中に「旧旧吹上トンネル」があった。

 レンガ造りのトンネルは、歴史的にも貴重なもの。だが、年月とともに劣化し、森へ戻ろうとしていた。

鉄板で封鎖された旧旧吹上トンネルの入り口。深夜でも多くの若者が訪れる

 トンネルの入り口は前述のAさんが厚い鉄板で覆ったため、中に入ることはできない。鉄板をつなぐボルトを無理やりはずしてこじ開けよう、という人は後を絶たないという。

 とりあえず、鉄板の隙間からそっと手を入れてみると、内部の冷たい空気を感じた。

「もし、ここから手が出てきてつかまれたら嫌だなあ」なんてことを想像したら、一瞬ドキッとして、手がすくんだ。幸い手は出てこなかった。

 カエルや虫、動物の鳴き声が時折、子どもや女性の叫び声に聞こえた。

 再び、「旧吹上トンネル」を通り帰路につく。行きは「何か起こるのか」なんてことを考えてビクビクしていたが、帰りの足取りは軽い。

 だが、出口の手前でカメラマンが言った。

「(入り口の)ポールって行き、あったっけ?」

 入り口には白いポールが1本立っていた。私の記憶にはなく、カメラマンいわく「行きにはなかった」とのこと。

 現場に緊張が走った。

 何かの怪奇現象が起きたのか─。恐る恐る、行きに撮影した写真を確認してみると、

「ありました!」

 一気に力が抜けた。

 だが、言われてみれば行きには気づかなかったものがたくさん目に入った。ドリンクやお菓子のゴミ、タバコの吸い殻。卑猥な言葉の落書き……。かなり荒れ果てていた。

 この世のものではないものがトンネル内にいるなら、好き勝手に振る舞う人々にうんざりしているだろう。だから姿を現さないのだ。

 われわれは何かに遭遇することなく帰路についた。

 取材を終え、帰宅すると隣からドンと壁を叩く音が聞こえた。隣はだいぶ前に引っ越し、今は誰も住んでいない……。吹上トンネルから客人を招いてきたのか。「隣人」の機嫌が悪いのか。今朝も壁を叩く音は聞こえていた。