4月上旬にはボートレース専門のYouTube『ボートピア内山(仮)』を開設予定

 かつて世間の注目を集めた有名人に「あのとき、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえた声、そして当時は言えなかった本音とは? 第24回は、ぽっちゃりキャラがウケ、子役として一世を風靡した内山信二。10歳で月収3000万円を稼ぐも、天狗になり仕事がなくなった彼が復活できた理由とは――。

「子役のときは“お腹すいた”と言うだけでウケていたので、まったく努力をしたことがなかったんです」

 7歳のときに『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系)の生徒役に選ばれ一躍、人気子役になった内山信二。両親は当初、兄のほうを歌手にしたかったという。

「父があべ静江さんのファンだったので、あべさんに会うために兄を歌手にしようと計画。でも東京の下町で鮮魚店をやっていた両親には芸能界にツテなんかない。そこで僕をエキストラ事務所に所属させて、兄を歌手にさせる人脈を作ろうとしたそうです」

 事務所に所属して1年ほどがたったとき、『あっぱれさんま大先生』のオーディションを受けて合格する。

「(明石家)さんまさんもオーディション会場にいたのですが、小さかった僕は存在を知らなかったので“うるさいお兄さんがいるな~”ぐらいにしか思っていなくて(笑)。番組に出ることが決まったあとも、“収録に行ったらテレビ局の食堂でハンバーグを食べさせてあげる”という言葉に釣られて、遊びに行く感覚で参加していましたね」

 子役らしかぬ生意気なキャラクターが受けてブレイクしたが、楽屋裏でも「天狗になっていた」と反省する。

番組に出演して3年ぐらいたつとCMやイベントの仕事なども入るようになり、最高月収で3000万円を稼ぐようになったんです。当時はギャラも手渡しだったので、自分がかなり稼いでいることを知ってしまい、勘違いするようになりましたね」

国民子役から一転、減りはじめた仕事

 そこからは“消える芸能人”の典型のような行動をするようになる。

「ひと回り以上、年の離れたマネージャーをあごで使ったり、番組スタッフも偉い人や出世しそうな人にしか挨拶をしなくなって……。努力をせずに売れたこともあり、自分だけは特別だと思っていましたね

 そんな“天狗っぷり”がたたったのか、10歳をピークに徐々に仕事が減るように。

「小学6年生の時点で今の体形がほぼできあがっていたので、子役感がなくなってしまって(笑)。中学生になると仕事が『さんま大先生』だけになり、番組リニューアルのため生徒役が全員卒業することになった16歳のときには仕事がゼロになりました

 焦って営業に行ったこともあったが、子役時代に天狗になっていたしっぺ返しを受けることになる。

テレビ局に売り込みに行っても当時、僕が挨拶をしていなかったスタッフたちが出世しているから、誰も相手にしてくれないんです。完全に自業自得ですよね

 新しい仕事が決まらないためアルバイトを始めたものの、周囲にバレてしまって長くは続かず、一時はひきこもりのような状態になってしまう。そんなどん底の時代を救ってくれたのは、子役時代からお世話になっていた明石家さんまだった。

明石家さんまからのアドバイス

「さんまさんに相談したら、この体形を生かして“相撲部屋に入れ”とアドバイスをくれて、見学に行ったこともありました。ただ、努力をせずに生きてきた僕には、あんな厳しい世界は無理だと断念。そしたら今度は“俺の舞台に出ないか?”と誘ってくれたんです」

 芸能界で再起を目指す内山に、こんな助言も。

仕事がなくなってからテレビを見ないようにしていた時期があったのですが、“仕事をしたいなら、テレビをちゃんと見たほうがいい”とか“番組で話せるエピソードトークを用意しとかないと”とアドバイスをくれて。これまで努力とは無縁の世界で生きてきましたが、それからは番組を見て自分なりに研究したり、仕事が来ても困らないようにトークとして使えそうなエピソードをメモするようになりました」

仕事がなくなったどん底期の内山信二を支えた明石家さんまの言葉

 あの先輩たちも手を差しのべてくれたと感謝する。

石塚英彦さんや松村邦洋さん、伊集院光さんも番組で名前を出してくれたり、呼んでくれて。ある意味“おデブキャラ”というライバルであるはずなのに、なぜかみなさん優しいんですよ。そうそう、'07年に『週刊女性』で僕の女性問題が報じられたときは、一時的に仕事が減ったのですが、そのときも松村さんたちがマネージャーばりに僕のことを周囲に売り込んでくれて。僕が天性の子分肌ということもありますが(笑)、先輩たちが可愛がってくれたおかげで、今がありますね」

 現在は趣味で始めたボートレース関連の番組やイベントにも引っ張りだこだが、それもさんまの教えが関係している。

ボートレースから学ぶ芸能界との共通点

「一緒に舞台をやっていたときに、稽古の合間に村上ショージさんに誘われて初めてボートレースに行ったんです。さんまさんにその話をしたら、“芸事をしている人は、駆け引きや流れをつかむためにも、勝負ごとをやるべき”と言われました

 芸能界と共通点が多いことも、ボートレースに魅了されている部分だ。

「トップ選手にインタビューすると“最後は自分との戦い”と、みなさん口をそろえるのですが、芸能界もいちばん大事なのはメンタル。どれだけ才能があっても心が折れたり、驕ったりしたらダメになりますからね。お客さんの見えない部分で努力をし続けないと結果も出せない。昔の自分に教えてあげたいです」

 一昨年には一般女性と結婚したが、それもいい形に働いている。

「人間同じ過ちを繰り返す生き物なので仕事が順調になると、もともとの天狗体質が復活しそうになるんです(笑)。そんなとき妻が“気が抜けた顔をしている。芸歴2年目の気持ちでいろ!”と活を入れてくれるんです。さんまさんの存在も大きいですね。以前、ケーブルテレビの深夜のパチンコ番組に出たとき、僕が元気がないように見えたらしく“民放じゃないから手を抜いてるやろ”と連絡が。自分の中ではどんな仕事も同じぐらい頑張っていたつもりだったけど、そう見えていたんだと気が引き締まりました」

地元のかつしか観光大使を務め、区の広報番組にも出演

 今後の夢は、どん底から救ってくれた恩人とテレビで共演すること。

「地上波で自分の冠番組を持って、さんまさんにゲストで出てもらうのが目標ですね。さんまさんが元気なうちに、必ず実現したいです」

 しくじった経験のある先輩として、最後に、こんなアドバイスをしてくれた。

仕事が好調なときは周りもチヤホヤしてくれると思いますが、注意や厳しいアドバイスをくれる人を大事にすべき。そのときはウザいなと思ってしまうかもしれませんが、叱ってくれる人がいることは幸せなことだと思いますよ」