その屋敷の塀沿いには、近所の住民らを名指しでののしる立て札が並んでいる。悪口を書き続ける家主の80代男性に理由を聞いた。
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《××のバカ早く死ね》(※××は伏せ字、その他は原文ママ、以下同)
《生き恥さらしのくそ××》
《××のばか死ね死ね死ね ばかは死ななきゃ治らない》
《くそ××うんこでも煮て食っていろ》
《××の連中はみんな間抜けだ そろって死ね》
そう書いて紅白のポールに掲げたり、ブロック塀にクギで打ちつけた木札には、個人を名指しした罵詈雑言が並ぶ。
「バカ」「死ね」「くそ」の文言が際立って多い。
東京都立川市の住宅街の一角。屋敷周囲の木札は183枚あった。近隣住民によると、約5年前からこうした異様な光景が続いているという。
毎日のように届く嫌がらせのはがき
「悪く言われる心当たりはひとつもありません。彼(家主)とのあいだにトラブルもない。私に限らず、みんな何の関係もないのに一方的にバカだ、なんだと悪者扱いされている。すべて彼の被害妄想なんです」
と、名指しで悪口を書かれた地元の男性はあきれた様子で話す。
異様な光景は立て札だけではない。屋敷に隣接する市立施設の入り口には大きめの石がゴロゴロ。数えてみると全部で13個あり、直径1メートル以上の巨大な石もあった。
近隣住民によると、かつては石灯籠が置かれたこともあるといい、その都度、通行の妨げになってきた。市がこれら障害物をどかすよう家主に書面で求めても応じず、強制撤去されてはまた置くいたちごっこが続いている。
「車でそばを通ると岩やポールにぶつけそうで神経を使うし、夜道にヘッドライトで浮かぶ木札は特に怖い。あんなに堂々と人さまの悪口を書いておいて、今まで許されてきたのはおかしくありませんか」
と近所の女性。
屋敷の周囲のほか、飛び道具も。前出の男性のもとにはここ2年、毎日のように嫌がらせのはがきが届く。文面は一面びっしり「死ね死ね死ね」。差出人の名前はなく、宛名を書いた表面にまで悪口がはみ出していた。
「消印が押されていますが、宛名面にまでこんなに文字を書いていいんですかね。はがきも木札もそりゃ迷惑ですよ」(同男性)
なぜ、屋敷の家主はこのような嫌がらせを続けるのか。
事情に詳しい地元住民が明かす。
「家主は数十年前に土地の境界線をめぐる裁判で負け、その恨みつらみがここ数年、噴出しているようだ。悪口を書き始めてから周囲がみな敵に見えているのではないか。関係のない住民が役所の人と一緒にいただけで告げ口されたと思い込んで敵視したり、自宅とは関係ない水路に事故防止のためフタをしても文句をつけたり。そもそも他人の家に平気で土足であがるような非常識な人だからね」
オレがどんなに悔しかったか
家主の男性はひとり暮らし。言い分を聞くため自宅を訪ね、どうして悪口を書いた木札を立てるのか聞いた。老いを感じさせないハキハキした声で持論を展開する。
「オレは悔しいと思ったら黙っていないの。言わないと、相手の言い分を認めたことになっちゃうから。世間は立て札を“誹謗中傷”と言うが、そんなことじゃねえんだよ。悔しい気持ちを書いているだけ。文句があるなら来りゃいいんだよ」
実際、立て札のなかには、
《どこからでも係って来い。受けて立つ》
と書かれたものがあった。
男性なりに不満があるのかもしれないが、通行人が目にする場所に掲げて個人攻撃し、さすがに「死ね」は言いすぎではないか。
「言いすぎじゃないよ。向こうがやりすぎなの。オレがどんなに悔しかったか」
悔しがる要因は、前出の地元住民が説明したとおり、敗訴や水路のフタ、告げ口などで、立て札は「対抗策だ」と話す。
勘違いもあるのではないか、と質問してもそれを遮って取り付くしまもなかった。
はがきを出していることも認め、「嫌がらせじゃなく抗議」と主張する。
境界線に置いた石については、自宅の庭からひとりで運ぶため手間も時間もかかっているという。
「昼間に1個ずつソリに乗せて運んでいるんだよ。市役所に片付けられたら、また置くだけ。特に体力づくりはしていないけれども時間をかければひとりで運べますよ」
そこまでして置き石するのは立て札と同じ理屈だった。石を置いている場所は本来、自分の土地なので、そう主張するために置いているという。
「測量図や登記簿などの公文書では間違った境界線が認められている。だから市は“物を置いちゃだめだ”と言ってくる。でも素直に言うことを聞いていたら土地を取られちゃうので実力行使しているだけ。間違いを正したいだけなのに市は話し合いに応じようとしないんだよ」
仮にそうだとしてもやり方は荒っぽい。短気な性格なのか、あるいはひとり暮らしからくる寂しさの裏返しなのではないか。
「いや、怒りっぽくはない(笑い)。寂しくもない。これは親の代から60〜70年続いている未解決の課題なんだよ。今は市とチャンバラの最中だからオレが生きているうちはやり合うしかない。やめたら斬られちゃうから。永遠の課題というか、とこしえの課題ってやつ。うん、いい歌ができそうだ(笑い)」
と、ちゃかす余裕も。
オレの人生の美学
男性には離れて暮らす親族がいる。身内からは、立て札やはがきの投函(とうかん)、置き石について何も言われないのか。
「やめたほうがいいと言われるけれども、子どもも親戚も経緯を知らないからね。本当は、とことん話し合うのがいちばんいいと思っている。オレの人生の美学は筋を通すこと。信念を貫いて絶対に引かない。罪に問われようと、死ぬまで続けるよ」
家主の男性は約50分の取材中、「嫌がらせでも誹謗中傷でもない」と何度も繰り返し、ときに声を荒らげ、口を挟ませようとしなかった。
木札のひとつで、
《私は不退転の意志 死ぬまで抗う》
と宣言したとおりだった。
いい解決方法はないものだろうか──。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する