3月26日、フジテレビの人気情報番組『とくダネ!』が終了した。放送開始は'99年4月。放送回数は5646回、期間は22年と近年の同局では数少ない長寿番組となっていた。
エンドロールには不祥事を起こした人たちも
26日放送の最終回では、メインMCの小倉智昭が“ラストメッセージ”として感謝の意を述べ、彼の言葉と重なるように、22年の歴史のなかでこれまで出演してきたすべての人たちの名前がエンドロールとして流された。
「名前のなかには、“テイクアウト不倫”で活動自粛中のアンジャッシュ渡部建さん、経歴詐称で話題となった“ショーンK”ことショーン・マクアードル川上さん、わいせつ行為の現行犯で逮捕された植草一秀さんといった、不祥事を起こして以降、出演のなかった方の名前もありました」(フジテレビ関係者)
さらには、'12年に“業務の規定に違反”したとして降格処分と異動を命じられ、翌年フジテレビを自主退職した“あの人”の名前も――。
「寂しさもありますが、22年間は本当にすごい記録です。昨今は視聴率で苦戦していることは聞いておりましたので、仕方ないかなぁ……とも思いますが、出演者、スタッフのみんなに心から“お疲れさま!”と伝えたいです」
そう語るのは、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊。'00年から『とくダネ!』にプレゼンター・リポーターとして出演していた。
「当時の朝は『とくダネ!』のほぼ一強。ニュースを伝えていても社会を動かしている実感がありました。今の羽鳥(慎一)さんたちも同じ思いでしょう。われわれがバレーボールを取り上げればバレーが社会現象となり、耐震偽装問題を取り上げれば耐震問題一色。
また当時は自民党の不祥事が重なった時代でした。民主党政権になったこともありましたよね。朝のワイドショーが日本を動かしていたと今でも思っております」
長谷川が『とくダネ!』に出演しだしたのは、入社2年目とまだまだ新人のころ。そんな彼にとって、メインMCを務めた小倉はどのような存在だったのか。
「小倉さんは緊張する僕に“たとえ失敗しても、必ず拾ってやる。だから安心して話せばいいよ”と小声で囁いてくれました。あのひと言でどれほど心が楽になったか。また同時に“原稿はすべて捨てろ。原稿なしじゃ話せないアナウンサーになるぞ”と厳しく指導されました。フリーになった後、多くの番組で司会を担当できたのは、小倉さんにフリートークを鍛えていただいたおかげですね」
かつての出演者として、最終回のエンドロールはどのように映ったのだろう。
「僕はフジテレビの人事部とケンカをして辞めました。その人事部が僕と仲がよかったフジの仲間たちに“長谷川とは二度と接触するな”と、ひとりひとりを呼び出して命じていたことはすべて知っています。
言わば“フジの天敵”という僕を、仲間たちは敢えてテロップに入れてくれました。見た瞬間に涙が溢れてきました。仲間たちに迷惑をかけないように、僕からも彼らとは距離をとっていましたが、心は変わらず一つでいてくれた事に感謝の念が絶えません。
『とくダネ!』という番組は、仲間であり、ふるさと。僕の原点です。今、僕がしっかりと仕事を出来ているのはすべて『とくダネ!』の仲間たちがいてくれたおかげと思っています」
ニューヨークへの駐在時に、経費不正使用の疑惑をかけられた。メール等の証拠も提出し、事実関係も会社に説明したが、主張は無視され、フジテレビを自主退職することに。外資規制違反の疑いが発覚した親会社フジHD、そして仲間たちの作る番組を終わらせる決断をした“古巣”への今の思いは。。
「僕は在籍当時から口が酸っぱくなるほど言い続けてきました。“今のままではフジテレビはダメになる”“視聴率も売り上げも落ちる”“制作現場の制作費を削って、役員がキャバクラに行って領収書を切る会社に未来はない”。プライドの高いコネ入社の役員の皆さまがたはあの当時、僕を罵倒し、罵りましたが、すべて僕の言ったとおりになっています。
結果を出せなかった人間が居座っていることによって、今の悲劇があることを早々に理解して、抜本的な解決をすべく動いたほうがいいと思います。結局、本当にフジテレビを愛していたのは僕だったと結果が示しているので、今は胸を張っております」
フジテレビ退社後はフリーアナウンサーとして活動。政界を目指したこともあったが、現在は広告代理店を経営している。
「地方自治体や企業のプロモーションプランを、策定から実行までワンストップでおこなっております。また、テレビを使ったプロモーションは大手の広告代理店にも引けを取らない実績を挙げることができています。まだまだ成長して大きくなっていくつもりです!」
『とくダネ!』を継ぐのは、谷原章介がメインMCを務める『めざまし8』(3月29日より放送スタート)。長谷川が指摘するような“今のフジ”に、『とくダネ!』のような長寿番組は作れるか。