『渡る世間は鬼ばかり』『おしん』など数々の名作ドラマを生み出してきた橋田壽賀子さん。4月4日に静岡県熱海市にある自宅で息を引き取った。
『週刊女性』で連載を担当し、今年の2月まで電話で連絡を取っていたという担当編集者はこう語る。
「最後にお電話したのは2月半ばでした。“体調が悪くて。脳の検査があるから、また来週に連絡をください”そうおっしゃっていました。まさかこれが最後の会話となってしまうとは……」
2月下旬、東京都内の病院に入院し、翌月に自宅のある熱海市の病院に転院。4月3日には自宅に戻ったが、その翌日に死亡が確認された。
入院の直前まで、自宅のある熱海で専属のパーソナルトレーナーを務めていた『ソリク』代表取締役の八代直也氏は、橋田さんが2月まで週3回こなしていたメニューについて「90代の人がやるにはかなりハード」としたうえで、こう回想する。
「この年だときつくなったらトレーニングを甘くするものですが、先生は違った。むしろ、いつもどおりでないと怒るんです。こっちがうっかり回数や順番を間違えることもありますが、必ず注意されましたね。“ホントは来たくないの。でも、帰るときにはいつも来てよかったって思える”とおっしゃっていました」
橋田壽賀子をウィキペディアで検索して
今年に入っても元気な姿を見せていただけに、その訃報は地元・熱海に大きな驚きと悲しみを与えた。8日に刊行された『伊豆毎日新聞』には熱海市が『名誉市民』の称号を贈ることが報じられている。
そんな橋田さんが週刊女性でエッセイを連載していたのは'18年9月から今年の2月まで。“世の中のわからない・許せないことを斬る”をテーマに掲げていたが、担当編集者が特に記憶に残った回はというと、
「インターネットをほとんど見たことがないという先生に、ウィキペディアの『橋田壽賀子』のページをお見せしたことがあったんです。すると、《相手のトークを遮って突然、喋り始めることもあり、基本的にバラエティー番組に不向きな性格》とか、テレビによく出られていた時期のことを指していた《スガコブームは終わった》と書かれているのを見て、“こんなのデタラメです!”と怒りながらもお腹を抱えて爆笑されていたのを覚えています。意外とイジられるのも平気でいらっしゃるんだな、と(笑)」
また、連載が始まったころは編集部との原稿のやりとりは郵送で行われており、1往復で5日くらいかかっていた。しばらくして“約20年ぶりにFAXを復活”してもらうことになったが、そもそものFAX嫌いの理由を聞くと、
「仕事や知らない人も含め、あまりにもたくさんの人からFAXが来て困ったから。その用紙代を支払うのは自分じゃないか」
とのこと。当時はジャニーズ事務所の現名誉会長であるメリー喜多川氏や森光子さんらがメル友ならぬ“ファックス友達”で、朝から大量のメッセージが届くこともあったという。
『渡る世間は鬼ばかり』最新版の構想
そんな橋田さんにはライフワークとも呼べる年に1度の“大役”がある。毎年、敬老の日に放送される『渡る世間は鬼ばかり』スペシャルドラマの脚本執筆だ。'90年にスタートした国民的ホームドラマである本作は、その時々によって時代の世相や社会問題を物語に反映し続けてきた。
'19年に放送されたスペシャルでは、中華料理店『幸楽』に世代交代が起こり、泉ピン子演じる五月は自分の仕事を若者に取って代わられてしまう。時間を持て余した五月はスマートフォンを購入し、レシピ動画を配信してネット上の他人とつながってゆくという話を描いた。いわゆる、ユーチューバーデビューだ。
「『渡鬼』はその時代を切り取ったものだから、30年以上も続く名作になりえた。しかし、長年の放送の間に山岡久乃さん、藤岡琢也さんら主要キャストが亡くなるといった事態にも見舞われます。'18年には赤木春恵さんもこの世を去ってしまいました。昨年はコロナの影響で作品の制作自体が中止に」(TBS関係者)
コロナ禍“2年目”となり、ドラマ撮影での感染対策の勝手がわかってきた今年は、『渡鬼』スペシャルの制作が現実味を帯びてきており、エッセイでも新作の構想について触れていた。もちろん舞台となるのは、いまだ収束をみせない“コロナ禍”の日本である。
《たとえば、ピン子演じる次女が家族で経営している幸楽は、店先でのお持ち帰りの販売と、宅配も取り入れることになるのではないか。姉妹の実家の『おかくら』も、家賃がいらないので、お持ち帰りで何とか急場をしのぐのだろう。
三女の中田喜子が経営する旅行代理店はコロナで大打撃を受けて仕事がなくなり、実家のおかくらへ宅配の手伝いに行く。届け先は、子どものころからおつき合いしてきた近所のおじいさんやおばあさんばかりだ。ご老人と触れ合うことで、人の旅行プランを設計することよりも、お年寄りのお世話をするほうが役に立つ仕事かもしれない、と思い至ったりするのかもしれない》
こんなご時世でも新たな希望を見いだす、そんなドラマの着想を口にすることもあったが、結局、脚本の執筆にとりかかることはなかった。
お墓に意味はない
「『渡鬼』以外にも、特別ドラマをお願いしたいと先生に連絡するテレビマンもいましたが、すべて断られたそうです。先生いわく、“これまで仕事に追われていたので、ここまで何もしなくていい日々は初めてです。もう書かないと決めました”と。最晩年は本当にのんびりお過ごしになられたのでしょうね。“悟りの境地”といったところでしょうか」(前出・TBS関係者)
9日、橋田さんの遺骨は分骨され、愛媛の今治にある実家と、熱海市内にある寺院に納められた。
「橋田さんの4つ年下で元TBSプロデューサーの夫・岩崎嘉一さん(享年60)は実家の静岡県沼津市の墓にお眠りになっていますが、岩崎さんが亡くなられたあと、義兄に“壽賀子さんは入れにゃあ”と言われたんだそうです。でも、そんなヒドイことを言われても、橋田さんは喜んだそうですよ。“お墓に入ってまで、姑やお義兄さんに気を使わなくちゃいけないのはごめんだ”って(笑)」(橋田さんの知人)
約2年半続いたエッセイのなかには、“墓”をテーマにした回がある。秋川雅史のヒット曲『千の風になって』を聴いた橋田さんは、墓自体に「意味はない」と実感したうえで、次のような思いを綴っていた。
《お墓参りのときだけ故人を思い出すよりも、日々の暮らしの中で思い出してあげることのほうが大切だと思う》
数々の名作ドラマを見返すたびに、私たちはあなたのことを思い出すだろう─。