女性アナウンサーの活躍が止まらない。有働由美子アナや小川彩佳アナ、夏目三久アナなど報道番組のメインキャスターを務める“正統派”もいれば、田中みな実のように女優として活躍の幅を広げる人も。一方で、アナウンサーのタレント化も止まらない。しかし、女性アナウンサーの歴史を紐解いていくと、そこには今ではありえない冷遇時代、そして賢く生きぬいた女性たちの姿があってーー。放送コラムニストでジャーナリストの高堀冬彦氏が解説する。
吉川美代子アナから言われた衝撃のひと言
近い将来、「女子アナ」という言葉は消えるはずだ。
元TBSアナウンサーの吉川美代子さん(66)を取材した際、「なぜ『女子アナ』と呼ばれるのか分かりません」と強い口調で言われたのは2008年4月のことだった。
男性アナが「男子アナ」と呼ばれることはない。一方、女性アナは成人でありながら女子アナと呼ばれがち。この差異に吉川さんは強い違和感を抱いていた。
吉川さんの取材から13年が過ぎた。森喜朗氏(83)の女性差別的な発言が猛批判を浴び、『報道ステーション』(テレビ朝日)のウェブCMも女性蔑視だとして問題化した。女性アナを別扱いするような女子アナという表現も許されなくなるだろう。なにしろ当事者たちに不満の声があるのだから。
呼ばれ方の問題だけではなく、女性アナ史は冷遇の歴史でもある。一例を挙げると、フジテレビの女性アナの定年は1972年までは25歳だった。東京外語大卒業後の1975年にフジ入りした田丸美寿々さんの場合、女性アナの採用枠すらなく、当初は報道局の契約リポーターという立場だった。
女性アナが幹部に登用されるようになってからの歴史も長くはない。日本テレビの石川牧子さん(71)が在京キー局で初の女性アナウンス部長に就任したのは1997年。NHKがテレビの本放送を開始してから44年が過ぎていた。
石川さんは東京女子大短大部を卒業後の1970年に入社。『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1977~1992年)の司会などを担当した局の顔だった。部長を務めた後は子会社の日テレイベンツ常務取締役兼日テレ学院院長などを歴任した。
同じく1997年、立教大から63年にNHKに入り、「朗読の名手」と言われた加賀美幸子さん(80)が、女性アナで初の理事待遇になった。約1万人いる同局職員の中で理事か理事待遇にまで登り詰める人は十数人しかいない。同時にエグゼクティブアナに就いた。
生き残るために「特別な武器を」
石川さん、加賀美さんの昇進から24年が過ぎ、さすがに今は女性アナの幹部も多い。昨年6月には在京キー局で初の役員待遇が誕生した。慶應大から1993年にテレビ朝日に入社し、現在は『大下容子ワイド!スクランブル』(月~金曜午前10時25分)を担当する大下容子アナ(50)である。同時にエグゼクティブアナになった。
当時、「大抜擢」などと報じられたが、この昇進はテレ朝内の誰もが納得したという。入社以来、大下アナはニュース、情報番組からバラエティーまで幅広く担当し、八面六臂の働きだった上、人望があるからだ。
かねてから「彼女のことを悪く言う人間は局内に1人としていない」(テレビ朝日報道局員)と言われる。『SmaSTATION!!』(2001~2017年)で共演した香取慎吾(44)の信頼も厚かった。まだ若く、トップの早河洋・会長兼CEOにも買われているから、女性アナ初の役員になる可能性も十分あるだろう。
女性アナの採用試験は「日本で一番難しい就職試験」とも言われている。競争率は1000~3000倍以上。なので、飛びきり優秀な人が多いのだ。無論、OGもそう。
例えば国際基督教大を卒業後の1980年にフジに入社した坂野(旧姓・土井)尚子さん(64)は87年に退社すると渡米し、コロンビア大学でMBA(経営学修士)を取得した。帰国すると、38歳で(株)ノンストレス社を設立。ネイルサロンチェーンを運営する会社だ。現在の店舗は70以上。社員は300人以上いる。
1995年に早稲田大からフジに入社した菊間千乃さん(49)は在職中から弁護士を目指し、2005年に大宮法科大学院大学(2015年に廃校)の夜間コースに入学。昼は仕事、夜は勉強という生活を送った。2007年に退社し、それからは勉強に専念。2010年に見事、司法試験に合格した。38歳の時だった。
意外なことに、弁護士資格の取得を目指したのはアナ寿命を伸ばすためだったという。
「実はフジテレビに入るときから、10年後に司法試験を受けると決めていました。私が入社した頃は、30歳を過ぎてテレビに出ている女性アナウンサーはほぼゼロ。皆さん20代のうちに結婚するかフリーになって辞めていました」(早稲田ウィークリー2019年度入学記念号)
菊間さんの入社は日テレで石川アナウンス部長が誕生する前。女性アナは特別な武器がないと生き残れないと考えたのだ。
菊間さんの弁護士としての専門分野は刑事事件や企業法務など幅広い。その知識やアナ技術などが買われ、4月からはテレ朝『羽鳥慎一モーニングショー』(月~金曜午前8時)の火曜日のコメンテーターに起用された。本人が読んだ通り、弁護士資格は生きている。
教養やさまざまな経験などが評価されて、企業の社外取締役に就いている人もいる。東京外語大から2001年にTBSに入社し、12年にフリーとなった竹内香苗さん(42)もそう。大手金融持株会社・SBIホールディングスの社外取締役だ。
津田塾大から1989年にNHK入りし、1997年にフリーになった草野満代さん(54)はアパレルのオンワードホールディングで社外監査役を務めている。
馬場典子さん(46)は早稲田大から1997年に日テレに入社し、2014年に退社してフリーに。翌2015年に大阪芸大の教授に就任。放送学科の学生を指導している。
フジOBの間で「彼女は優秀だった」と語り草なのが牛尾(旧姓・中村)奈緒美さん(60)。慶應大から1983年に入社し、主に報道・情報畑で活躍した後、1989年に退社。現在は明治大副学長で情報コミュニケーション学部教授だ。
退社後、研究者を目指し、慶應大の大学院博士課程で経営学を学んだ。1998年に公募で明治大専任講師に。経営学が専門で、ジェンダー問題(ジェンダーマネジメント)の第一人者でもある。
女性アナが正当な評価を受けないことは今もある。けれど優れているのは間違いない。
高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立