5000円札の絵柄にも使われている樋口一葉

「近代以降の女流作家の道は樋口が切り拓いた」と言ってもおかしくないほど、樋口一葉は偉大な作家だ。彼女はものすごく苦労した作家として知られる。しかし、その作品の多くは決して重くない。まさに“樋口節”といえるほどのリズミカルで軽快な文体からは「書くことの喜び」も感じられる。

 今回はそんな樋口一葉について、24年の生涯を振り返りつつ、作品の楽しみ方を紹介したい。

中流家庭の才女として文学にのめりこむ

 樋口一葉は1872年、東京都に生まれる。本名は樋口奈津。父の則義は東京府庁勤務であり、不動産の売買などの副業もこなすバリバリのビジネスパーソンであったため、お金持ちの家で暮らすことになる。

 彼女は小学生のころから読書好き。98巻106冊もの長編である滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を3日で読破したという逸話が残るほどの文学少女だった。お金持ちなうえに才女であった彼女は、当時から「自分は周りとは違う人生を歩みたい」と考えていたそうだ。

 成績も優秀で進学を考えていたが、母から「女は針仕事と家事だけやっていればいいの!」と反対され、泣く泣く断念する。しかし父は強い味方だった。落ち込む一葉を見かねて、通信教育で和歌を学ばせる。

 14歳のとき、一葉は歌人・中島歌子が主宰する歌塾『萩の舎』に入り、さらにがっつり学び始めた。萩の舎は、“和歌の詠み方に特化した公文式”のようなイメージだ。同門には、年上のお姉さま方もたくさんいた。そんななか、一葉は入門半年で最高点を獲得するほどの才能を見せつける

 このころに三宅花圃(みやけ・かほ ※1)とも出会っている。三宅は明治期の近代以降で初めて、女流作家として文壇デビューする人物だ。後述するが「三宅なくして樋口なし」というほど、一葉の人生にとって重要な人になる。

※1:出会った当時は田辺龍子。ここでは三宅花圃として紹介する。

 '89年7月、17歳の一葉に衝撃の出来事が起こる。すでに事業に失敗して多額の借金を背負っていた父が、亡くなってしまうのだ。実はこの2年前には長男・泉太郎も気管支炎で他界している。大黒柱がいなくなったことで、樋口家はお金持ちから一転、一気に困窮してしまう。

 翌'90年の9月に、一家は引っ越して内職を始めた。しかし、借金なしではどうしても生活できない。一葉は「何か逆転できる術(すべ)はないかしら」と考えていた。もう「コツコツ働く」だけでは、どうにも挽回できなかったわけだ。

 そんな彼女は「そういえば……」と、前述の姉弟子・三宅花圃が、'88年に発表した小説『藪の鶯』で原稿料をもらっていたことを思い出す。

 そして「よし、私もいっちょ小説を書いてみよう」と思い立つのだ。つまり、一葉が小説家を志した大きな動機は「家族の生計を立てること」だった。ちなみに『藪の鶯』の成功を受けて、一葉以外にもたくさんの女性が小説家を目指し始めたそう。三宅は当時のインフルエンサーであり、YouTuberでいうHIKAKINみたいな立場だった。

 そこで、19歳のときに知人を通じて新聞記者であり作家の半井桃水を紹介してもらう。一葉は、半ば押しかけ女房的に桃水に弟子入りをする。そして、桃水のすすめで、本名の奈津ではなく「一葉」というペンネームを使うことにした。

「一葉」の由来は「インド僧の達磨が一枚の葉に乗って中国に渡り手足を失ったこと」と、「貧乏(お足がない)」を掛けたこと。当時の極貧生活を皮肉ったペンネームなのである。

 一葉は、桃水が主宰する同人誌、新聞などで小説を書き始めた。しかし、彼女が望んだほどの収入はない。なんとか一発逆転を願った一葉だったが、現実はそううまくはいかなかった。

遊郭・吉原での生活が活動の原動力に

 このころの一葉の筆致は、桃水の影響をもろに受けている。というのも2人は「友だち以上恋人未満」のような、甘酸っぱい関係だった。しかし、当時は結婚を前提にしていない男女が仲良しだと「下品じゃない?」と白い目で見られる時代だ。

 だから2人のスキャンダルも萩の舎で「ちょっとちょっと、あんた桃水と付き合ってんの?」と同門から問いただされることになる。それで一葉は、桃水との師弟関係を嫌々、断ってしまう。ラブストーリーとしてほろ苦いが、一葉にとって発表の場を失ったこともダメージになる。

 そこで、姉弟子の三宅花圃に「書かせてくれるところ、ないですか」と相談。三宅は「よっしゃ、姉ちゃんに任せときな」と、文芸雑誌『都之花』を紹介した。一葉は1901年、20歳で小説『うもれ木』を書き上げ、初めて原稿料の11円75銭を受け取る。ひと月、7円で暮らしていた樋口家にとっては大金だった。

 一葉はこのあとに三宅から雑誌『文学界』にも誘われ、21歳で『雪の日』を書く。しかし、まだ継続的に執筆料が入るわけではなく、樋口家は質屋で物を売ることで、なんとか生計を立てていた。

 じり貧の状況を打開すべく、樋口家は一念発起。遊郭・吉原の近くに引っ越して雑貨店を開く。しかし、貧乏神に呪われているのか、単に商才がないのか、商売もうまくいかなかった。その結果、悲しいかな、わずか10か月で店を畳むことになる。

 しかし遊郭・吉原で過ごした日々は、一葉にとっては大きな実りとなる。吉原付近に住む貧しい人々のリアルな暮らしを知ることで「人や社会を見る目」が養われたからだ

「生まれは中流階級のお金持ちだったし、幼いころは天才文学少女だった。でも、今はすごく貧乏な暮らしをしている」。どん底まで落ちてプライドを失った自分の境遇と、吉原の近くで暮らす貧しい人たちが重なった。一葉はこの時期に、過去の栄光を心から捨て去る。そして、女流作家として自分が書かねばならないことがわかってくるのだ。

11作品を一気に書いた「奇跡の14か月」

 一葉は'94年5月、22歳で吉原の近くを去る。一家の稼ぎは芳しくなかったが、ここからが作家・樋口一葉の全盛期でありクライマックスだ。

 なんと同年12月の『おおつごもり』から'96年2月の『うらむらさき』を発表するまでの14か月間に、11作もの小説を執筆するわけである。

 なかでも『文学界』に載った『たけくらべ』では、遊女の娘として生まれ「自分も大人になったら遊郭で働かなくてはいけない」という運命にあるひとりの女性を描いた。悲しみ、やりきれなさだけでなく、女性としての強さやプライドも描いている。

 同作は『文学界』の面々や、大物だった小説家・斎藤緑雨から絶賛された。また『にごりえ』『十三夜』などの作品も注目され「こりゃ、とんでもない女流作家が出てきた」と、文学者のなかでにわかに話題となる。

 '96年には『文学界』よりはるかに発行部数の多い『文藝倶楽部』にも『たけくらべ』が掲載され、樋口一葉の名は爆発的に世の中に広まる。森鴎外、幸田露伴らの有名作家も絶賛し、一葉のもとには執筆依頼が殺到した。

 長年の苦労がついに花開き、彼女の作家人生が報われる……かのように思われた。しかし、'96年4月時点で一葉の身体は、当時は不治の病であった肺結核に蝕(むしば)まれていたのだ。しかも、すでに末期症状だった。

 一葉はとうとう執筆に着手できなくなる。自身も医学博士である森鴎外は「この才能を終わらせてはいかん」と名医を紹介して一葉を診せる。しかし、'96年8月の新聞には医者から「病状絶望」とのコメントがあるとおり、もうどうしようもなかった。

 そして ’96年11月23日の午前、樋口一葉は文壇全体が新作を待ちわびるなか、24年の短い生涯を閉じることになる。

 短命でありながら数々の名作を世に送り出した樋口一葉。彼女の代表作のほとんどは、前述のように'94年12月から'96年2月までに書かれている。この期間は、後年「奇跡の14か月」と呼ばれるようになる。

 まず「14か月で11作品」は半端じゃないペースだ。心身ともに削られるだろう。いや、何の変哲もない作品ならば、ささっと書けるかもしれない。彼女がすごいのは、この期間で大絶賛の嵐となり、いまだに語り継がれる小説を何本も残したことだ。

 この背景にはもちろん「貧乏」ゆえのハングリー精神があった。「家督として一家を支えなければ」という思いもあっただろう。実際のところ『にごりえ』のテーマは「貧乏な暮らしと希望」だ。

 しかし、彼女の文章を読んでいると「お金のために書く」という鈍重な雰囲気をまったく感じないのだ。一葉の小説は、句点がめちゃくちゃ少ない。まるで落語を聞いているかのようなスピードで、すらすらっとリズミカルに読めてしまう。文章から「書かせて!」というポジティブな意志が伝わってくるようだ。

 もともとお金持ちだった彼女は、父親を失って借金を背負った。好きな人とも別れ、吉原付近での暮らしで「かつて上流階級だった自分」のプライドも捨てきった。目の前にあるのは「表現したいこと」と「小説」だけだったのではないか。

 樋口一葉は物語を書く喜びに目覚めていたはずだと思う。「借金を返すために書く」のではなく「女流作家として表現すべきことがあるから書く」。何より奇跡の14か月のすさまじいスピード感は、「楽しさ」がないと出せないはずだ。

 日本で初めて「女性として小説だけで生活をする作家」となった三宅花圃が、女流作家の第一歩を踏み出したのだとしたら、「女流作家が活躍するための轍(わだち)」を作ったのは、間違いなく樋口一葉だと言えるだろう。

 彼女はいま5000円札のなかにいる。財務省の発表によると、彼女がお札の顔に選ばれた理由のひとつは「女性の社会進出に貢献したこと」だ。

 その結果、彼女がお札になったのはもちろん分かる。しかし、私は「樋口一葉は5000円札にいるべきじゃない」とも感じたりするんです。一葉は確かにお金のことを考えていたけれど、お金なんかじゃ評価できない「創作」という素晴らしさを極めたように思えて仕方がないのだ。

 そんな彼女をお金に縛りつけてしまうのは、すこし皮肉が過ぎるんじゃないか……なんて、ひねくれたくなってしまうのである。

(文/ジュウ・ショ)


【PROFILE】
ジュウ・ショ ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→https://note.com/jusho