静岡県熱海市。相模湾を見下ろす高台に建てられた2階建ての別荘に、久しぶりに真っ赤なベンツが止まっていた。
「先月、獏さんをお見かけしました。娘さんとお孫さんも一緒で、ワンちゃんも連れていました。岡江さんが乗っていた赤いベンツで来たんでしょうね。岡江さんが生きていたときは、夫婦でよくいらしていましたが、亡くなって以来じゃないでしょうか」
岡江久美子さんが新型コロナの影響で急逝したのは、'20年4月23日のこと。突然の死から、まもなく1年がたつ。
当時、夫の大和田獏は、入院中の妻を見舞うことも、死に立ち会うことも、火葬場に入ることも叶わなかった。無言で帰宅した妻の遺骨を玄関前で抱えることしかできず、それ以来、仕事以外は自宅にこもりがちに。そんな獏が3月末、冒頭の別荘に来ていたことを話してくれたのは、熱海の地元住民だ。
「岡江さんは熱海が大好きで、少しの休みがあれば自分で車を運転して来て、夜は近場でササッと飲んで、朝早くから大好きなゴルフを楽しんでいました。獏さんとふたりのときもあれば、女性のお友達と一緒のときも。きっと別荘には岡江さんの思い出の品が、まだそのままになっているんでしょうね」(前出住民)
夫・大和田獏は取材に車を止めて
亡くなる2年ほど前から岡江さんが通っていたという『三松鮨』の女将も残念そうに言う。
「岡江さんは昨年1月にも来て、帰りがけに“今度はダンナも連れて来るね”って言っていたんです。楽しみに待っていたんですが、まさかその3か月後に亡くなるなんて」
10年前から来ていたという定食屋『魚直』の店主は、
「ウチで刺身やアジフライを食べた後、ほかの店に飲みに出ることが多かったみたい。今でもあの元気な声で“食べに来たわよ!”って顔を出してくれそうな気がします」
大和田家を知る友人が獏の近況を語ってくれた。
「獏さんは、表向きは元気にしていますが、それは“仕事だからやんなきゃ”と、自分を奮い立たせている感じです。37年間も連れ添った奥さんを失ったんだから、つらくないわけがない。別荘の名義やゴルフ会員権も、そのまま。久しぶりに別荘へ行ったのは、遺品整理ではなく、岡江さんとの思い出に改めてゆっくり家族と触れるためだったそうです」
そこで週刊女性は獏本人に、今の心境を聞いてみることに。
4月上旬、自宅の車庫からベンツを運転して出てくると、車をいったん止めて、取材に応じてくれたが、
「すみません、それは4月23日のイベントでお話しする予定ですので」
と、答えるのみ。気づかうこちらを察してか、
「今は元気ですので、大丈夫です。どうも」
と、頭を下げて、再び車を走らせて、去って行った。
娘・大和田美帆が語ったこと
娘の大和田美帆はブログで、岡江さんの命日である4月23日に『スマイル! 岡江フェスティバル~音楽とともに~』と題し、父娘による動画を生配信すると発表している。
美帆の事務所に連絡すると、美帆本人から折り返し電話があり、今の気持ちを明かしてくれた。
「母の一周忌に何もしないということがもどかしくて、何か私たちの節目にもしたくて、同じような気持ちの方にも見ていただけたらうれしいなと」
動画配信イベントが、岡江さんの一周忌であり、開催できていない“お別れ会”のかわりでもあるという。
「母が好きだった、みんなで集まって飲んだり食べたりする会もしたいのですが、マスクをしないで楽しめるようになるまでは考えていません」
動画を視聴するには岡江さんの名前にちなんで935円がかかるが、その収益は全額、慈善団体に寄付するという。
「営利目的でやるのではないというのが、父のいちばんの意向。家族で行う音楽葬を、みなさんにも共有していただけたらと思っています」
岡江さんが親しかった薬丸裕英や真矢ミキをはじめ、多くの友人がビデオで出演することになっている。岡江さんは両親を音楽葬で見送っており、生前に「あたしも音楽葬にしてね。曲はロッド・スチュアートの『スマイル』とね、それと……」と、具体的な話をしていたという。コロナ禍で見舞うことも看取ることも、棺に好きなものを入れてあげることもできなかった後悔を、今回の音楽葬に込める。
「井上芳雄さんには母の好きだった曲を歌っていただきました。動画イベントは生配信ですが、感染予防のため、私と父以外は録画ずみです。感染を避けたくてやるものなので、できる限り安全な方法にしました。本来ならばお世話になった方に直接お会いしてお礼を言いたいのですが、今できるベストな方法を探したという感じです」
これまではコロナ禍でコメントを求められても避けてきた獏だが、この配信ライブで初めて心情を語る。
美帆もまだ立ち直れない状況は同じだという。
「“母がいない”ということを、だんだんと実感していますね。この1年、現実逃避していたな、頑張ろうとしすぎていたなって。だから、母はもう生きていない、死んでいるんだって思うために、今回の命日にイベントをやるんだと思っています。母が亡くなったんだって、脳に理解させるために……。自分たちのためにも開催するって感じですね。どうしても現実味がないので」
遺骨はいまも自宅に
そんな美帆がいちばん心配するのは、やはり父のこと。自宅近所の住民が近況を語った。
「今は毎日、犬の散歩をなさっていますよ。久しぶりに会ったときは“お騒がせして、すみません”って、深々とお辞儀してくれました。今朝も“寒いですね”って、挨拶しましたよ」
娘に厳しかった父との距離も、この1年で近くなった。
「美帆さんはしばらく見なかったけれど、最近はよくお子さんを連れて来ています。もともとは岡江さんのご両親との二世帯住宅として建てたもの。今やひとりになった獏さんには広すぎるんでしょう。ウチにごはんを食べに来てって誘おうかと思ったこともありますが、獏さんの心情を考えると、気軽に声をかけにくいですよね」
愛おしいのだろう、岡江さんの遺骨を、獏は自宅に置いたままにしているという。そのことについても美帆に聞いてみると、
「母が入りたいと言っていたお墓があるので、そこに入れたいのですが、時期は父に任せています。今はまだ家に置いておきたいようですね。
最近、週に何度か実家に行って、家事をするんですが、料理だけは父のほうがうまいので、結局は作ってもらっちゃっています(笑)」
獏が「元気なので大丈夫」と話していたことを伝えると、
「元気だと言うしかないんですよ。私も同じ。でも、前向きに生きたいとは思っていますから。父も私も」
先月、熱海の別荘に行ったのは、気分転換のためだという。母を襲ったコロナを恐れ、母が行きつけだった料亭に初めて行った以外は、別荘にこもりっきりだったそう。その別荘は「手放しません」ときっぱり。母の思い出としても失いたくないようだ。
配信ライブの事前チケットは北海道から沖縄まで、さらにはアメリカやヨーロッパからも購入者がいるという。ライブ当日、ピアノの音色と岡江さんの写真とともに、父娘が今の思いを語る。