活動休止から4か月─。ドラマの主演やバラエティー番組、CM出演など、嵐のメンバーは相変わらず活躍を続けている。一方、リーダーの大野智だけは、表には姿を見せていない。
《嵐20周年、そして2020年という区切りで一度嵐をたたみ、5人それぞれの道を歩んでもいいのではないか、また勝手ではありますが、一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい》
'19年に発表したコメントにあるとおり、大野は自由な生活でリフレッシュしているのだろう。
高校を3日で中退し挑んだ舞台
そんな中、新恋人の存在が発覚した。4月20日発売の『女性自身』に、女性を伴って京都を旅行する様子が掲載されたのだ。
「おっとりとした雰囲気の一般女性と、京都の街を寄り添って歩くツーショット写真などが報じられました」(スポーツ紙記者)
京都は、大野にとって“いちばんの青春時代”を過ごした思い出の地でもある。
「'97年の夏、京都駅がリニューアルされ、駅ビルに新しく『京都シアター1200』という劇場がつくられました。その劇場のこけら落とし公演が『ジャニーズ・ファンタジーKYO TO KYO』でした。当時、ジャニーズJr.の1人だった16歳の大野さんは、その公演に出るために単身で東京から移住したんです」(同・スポーツ紙記者)
京都の劇場ということもあり、主なキャストは関西地域に住むJr.たち。東京から来ていたのは、大野ともう1人だけだった。
「大野くんは入学した高校を3日で中退。Jr.として先輩たちのバックで踊っていましたが、後から入ってきた後輩たちがどんどん人気者になっていくのを目の当たりにして、ジャニーズを続けていくことに悩んでいたんです。そんなとき、京都に新しくできる劇場で、現地に泊まり込んで長期間の稽古と公演をするという計画があると聞き、思い切って手を挙げたといいます」(芸能プロ関係者)
一世一代の決意だったが、すぐには結果が出なかったようで……。
「鳴り物入りでオープンさせた劇場で、1日5回の公演が基本。なのに1000人が入る劇場に50人ぐらいしか入らない日が続いたんです」(同・芸能プロ関係者)
そこで、あの手この手でファンを集めようとした。
「京都に修学旅行で来た中高生を動員したり、嵐山にあったジャニーズショップと一緒に宣伝もしました。東山紀之さんやKinKi Kidsの2人などがゲスト出演することもありましたが、ゲストがいない日は空席が目立っていましたね」(舞台関係者)
そんな中、大野は舞台をよりよいものにしようと懸命に動いていたという。
「東京から来ていた年長のJr.が、途中から舞台監督も兼任するように。そこで、周りの大人や、ほかのJr.をどうすれば動かせるかを大野くんと2人で話し合っていました。時には先輩Jr.に嫌われるのを覚悟で注意することも。屋内で鳩100羽を飛ばす演出があったんですが、それも彼らで考えたアイデアです。“京都での経験はとにかく役に立った”とよく話していました」(同・舞台関係者)
Jr.同士で青春時代を過ごした思い出の旅館
公演中に出演者が宿泊していたのが、今回、大野が新恋人と訪れた旅館である。
「京都駅から10分ほどの場所にある、1泊1万円ほどの京都では比較的リーズナブルな旅館です。アットホームな雰囲気で、修学旅行や合宿などで、団体客が貸し切りで利用することもあります」(タウン誌ライター)
初めは、大野も数人で雑魚寝するような大部屋に寝泊まりしていた。
「しばらくすると、主演クラスだった彼にはマンションの部屋が用意されて、それからはマンション暮らしに。とはいえ、仲のいいほかのJr.たちは旅館に泊まっているので、遊びに行くこともあったそうです」(前出・舞台関係者)
旅館近くの商店街関係者が当時の様子について語る。
「当時はまだ有名じゃなかったから、誰かまではわからなかったな。でも、今の嵐とか関ジャニ∞とか、ジャニーズの子たちの合宿所みたいになっていて、とにかくにぎやかだったのは覚えています」
『KYO TO KYO』から2年後、大野は嵐のメンバーに選ばれデビュー。その後、国民的アイドルとなった。舞台での苦労が大きかったぶん、彼にはこの場所への特別な思いがあるのだろう。
「今回の旅行は、事前の予約などはせずに、いきなり旅館を訪ねたそうですよ。旅館のスタッフも、さぞ驚いたでしょうね。外にいるときもかなり堂々としていて、周りに気づかれて大騒ぎにならないか、こっちが心配になっちゃうくらいでした」(同・商店街関係者)
それだけ大野にとっての京都は、“国民的アイドルではない自分”として、リラックスして過ごせる場所なのかも。
デビュー後も連絡を取り続けていた女将
「京都に滞在している間、恋人も交えて旅館のスタッフと一緒に飲みに行くこともあったそうです。今回訪れた旅館には、“嵐の活動が落ち着いたら顔を出したい”と、ずっと前からよく話していましたからね」(大野の知人)
大野が帰ってきたかったのには、旅館の女将の存在もあるという。
「当時の女将の娘さんが、今は女将を継いでいます。彼女とはずっと連絡を取り続けていて、嵐のライブに招待してあげることもあったそうです。Jr.時代の忘れられない時間を過ごした旅館の女将は、大野くんにとって“京都の姉”ともいえる家族のような存在。嵐の活動をいったんやり遂げた報告と、当時支えてもらったことへの感謝を直接伝えたかったのでしょう」(前出・舞台関係者)
コロナ禍で京都の多くの旅館は休業を強いられ、修学旅行やインバウンドの需要がなくなり、苦しい思いをしている。この旅館も同様の状況だが、大野の訪問は明るい出来事になったことだろう。
女将は、週刊女性の取材にこう答えた。
「彼自身は本当に元気にしていたので、それだけは安心したかな」
やっと手に入った自由な生活が走り出している─。