2020年4月、初の緊急事態宣言が発令されたとき、それぞれが最初に思ったことは何だろうか。
フリーライターである私の頭をよぎったのは「対面取材、どうなるんだろう」という、仕事の不安だった。会社員ではないので、仕事がなければ収入もゼロになる。結果的にほぼすべてがオンライン取材に切り替わり、取材以外に他の案件もあったため、即座に収入が減ることはなかった。
次に考えたのは、大好きな劇団四季のことである。「劇場が閉まるのではないか」。予想は的中した。
ファンと演者、それぞれの痛み
15歳のときから、どんなに忙しくても、年に一度は必ず劇団四季を見に行っていた。心身がへこたれそうなとき、劇団四季に何度も救われた。
'09年、大阪の企業で役員秘書をしていた私は、仕事帰りでクタクタになりながらも、同期と大阪四季劇場へ『ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレム・バージョン』を見に行った。イエス・キリスト最後の7日間をロックミュージカルにした斬新な作品で、近くの劇場で上演することがあれば見に行きたいと思っていた演目のひとつである。
チケットを持っているものの、行くかどうかは直前まで悩んでいた。慣れない仕事が次の日もあるからだ。
しかし結果として、生まれて初めて趣味で「疲れがとれる」という経験をした。帰りの電車では、その日の感想が止まらなかった。
「やっぱりすごいなあ、四季って」。そう言って同僚と別れた後、パンフレットを抱きしめたときの感触を今でも覚えている。
劇団四季は、名実ともに日本最高峰の劇団だ。「他の仕事をしながら舞台に立ち、生計をたてる」。それが当たり前だと思われていた、昔の舞台役者。劇団四季の創業者・浅利慶太はそれを覆し、舞台人が舞台だけで食べていける世界を作った。チケットぴあを通し、全国でチケット購入が可能になったのも劇団四季が最初だ。
そんな四季の公演がストップするなんて、'11年の東日本大震災以来ではないだろうか。しかも、今回はパンデミックが理由で、事態がいつ終息するのかわからない。
'20年2月に公演の中止が発表されると、私を含めたファンは衝撃を受け、'20年6月に始まった活動継続のためのクラウドファンディングや、劇団四季ウェブショップでグッズを購入し、必死に応援した。クラウドファンディングの支援額は始まって4日で1億円、最終的に2億円を超えた。
ただ、それですら、劇団四季を存続させるために充分な金額とは言えない。「劇団四季にもしものことがあれば」と、不安が心をおおう。
劇団四季は海外から輸入した名作ミュージカルが特に人気で、再上演を重ねている。ライセンスの関係で劇団四季自体は映像化や二次使用の権利がないため、輸入したミュージカルの放送や配信はできない。だからこそ、「生の舞台」のすごさで観客を魅了し続けてきた。
大学で知り合った友人が、今も大阪の小劇場の舞台に立ち、活躍している。劇団四季を退団した元ダンサーからレッスンを受けていた彼女は言っていた。
「四季の俳優さんたちは公演のない日も稽古をしているし、舞台で一体感を出すために、どうしても上下関係が厳しくなる。けがをしたり、マナーを守らなかったりしたら役を降ろされることもあるみたい。それだけの覚悟を持って舞台に立ってる」
劇団四季は、観客に役者個人の魅力だけではなく、舞台の完成度を見せる。
長期間にわたる公演では、ひとつの役を複数が交代で演じる。誰がその日に舞台に立つのかは、直前までわからない。それでも観客は四季の舞台に期待をこめ、前売りのチケットを買う。
まだ私が大学生の頃だったと思う。ある人気の演目を観に行った日、キャストボードを見て驚いた。若手の役者がよく演じる大役に、中高で4年間同じクラスだった同級生の名前があったからだ。
すでに高校時代の知り合いと連絡をとっていなかった私は、Facebookで当時、仲のよかった同級生を探した。「久しぶり。〇〇さんが劇団四季で大役を演じてた!」。興奮してそう送ると、友人はすぐに返事をくれて、彼女が劇団四季に入った経緯を教えてくれた。
その同級生は、クラスでいちばんの秀才だった。高校卒業後は有名大学に進学したと聞いていたが、ミュージカル女優になる夢を諦められず、劇団四季を受けたそうだ。
四季にはダンサー、シンガー、アクターと3つの部門がある。どの部門も実績がなければ、一次選考の書類で落とされる。実力が伴わなければ、その後の審査過程で落ちる。非常に難易度が高い。幼少期からバレエを習い実績を積んでいた彼女は、ダンサー枠で合格したという。
劇場が閉まってつらいのは、ファン以上に、実際に舞台に立つ役者たちだろう。同級生だった彼女は、どんな気持ちでいるだろうか。
20年ぶりに、劇団四季を見ない年に
初めての緊急事態宣言を乗り越え、'20年7月14日から、劇団四季の幕は再び開いた。しかし、コロナ禍の影響は根強く、’20年だけにとどまらず、’21年の上演作品も変更に。多くの観客が見込まれる『アナと雪の女王』も、’20年に劇団四季で初上演の予定だったが、’21年に延期された。
私が劇団四季でいちばん好きなミュージカルは『ノートルダムの鐘』である。ディズニーでもアニメ化されているが、ミュージカルの内容は、悲劇的な結末を迎える原作に近い。決して明るい内容ではないが、メッセージ性が高く、’18年に初めて見て以来、心に残っている作品のひとつだ。'21年、東京で久々に上演される予定だった。
「それまで節約して、久々に5回くらい見に行こうかな」と楽しみにしていたのだが、『ノートルダムの鐘』は公演中止が決まった。ショックだった。
でも、今は劇団四季の経営を安定させることが最優先なのだ。
劇団四季はスケジュール変更に際し、謝罪文を出した。誰も悪くないのに。劇団四季で働くすべての人の、悲痛な想いが伝わってきた。
結局、'20年はこの約20年で初めて、劇団四季を見に行かない年になった。
'21年、劇団四季は新たな試みを始めた。オリジナル作品のオンライン配信だ。上演作のタイトルは『The Bridge ~歌の架け橋~』。これまでの劇団四季のナンバーが紡ぎ出され、数々のミュージカルの世界観に浸れる華やかなオリジナルショーだ。
初日は1月10日で、10日と11日、動画配信サイト『U-NEXT』でのオンライン配信が決定した。すぐに購入し、開演30分前から自宅にあるホームシアターをセッティングした。
生配信で劇団四季の舞台を観るなんて、想像もしていなかったことだ。始まった瞬間から、シンガーやダンサーの熱量が伝わってくる。これまで見てきた劇団四季の上演作が、心の中で再現される。
生の舞台が見たい。自分の中で劇団四季の存在がどれほど大きくなっていたのかを知った。
「きっと 夜は明けるわ」
『ノートルダムの鐘』で絶望的な状況に陥ったヒロイン・エスメラルダが、未来に希望を託して歌う『いつか』の歌詞だ。『The Bridge ~歌の架け橋~』の中でも歌われていた。
'21年2月6日、思い切って、生の舞台を見に行った。上演作品は、15歳のころに初めて見た劇団四季のミュージカル『ライオンキング』だ。
メイクをした顔に、薬局で買ったウイルスをブロックするスプレーをかけ、紙マスクをして鼻をおさえる。1時間ごとにトイレに行き、手をこまめに洗い、持参した消毒液を手にかけた。混雑を避けるため、入場を推奨する時間がチケットに書かれていた。
劇場周辺の大井町は、昔、仕事の経由地としてよく利用していた街だ。当時の賑わいは失われ、いくつかの店が閉まっていた。
劇場に入ると「ああ、私はここに来たかったんだ」と実感した。
コロナ禍の前までは恒例だった、劇場内のスタッフが声を出してアナウンスする姿はなかった。飛沫防止のためだろう。彼女たちは注意書きを持ち、劇場内を歩いた。
場内が暗くなり、劇団四季きっての代表作が始まる。
私はハンカチを何度も目にあてた。休憩時間に見ると、白いハンカチはファンデーションで汚れていた。マスカラをつけなくて正解だった。立ち上がり、劇場のお手洗いで再びこまめに手を洗う。
……どうして。
手を洗いながら、前半の舞台を思い、心の中でそう叫んだ。どうして、ダンスも歌も演技も、クオリティが変わらないんだろう。新型コロナが日本になかったときと、今とで。
前半には子役も2人、出演する。本番前までの間、感染対策のために、すべての役者が「いつもどおり」ではない稽古を余儀なくされたはずだ。
ひとりでも感染者が出れば、出演者をすべて入れ替えなければならない。毎日のように感染者数が増えて、「明日いきなり中止になるかもしれない」という不安もあっただろう。
願いは、かなわなかったけれど
私の出身高校は芸術分野に力を入れていた。私自身、ミュージカル部に所属して何度か舞台に立った。歌のないお芝居で、全国高等学校演劇大会にも出場した。たった30分の出番でも、稽古は苦しく、本番前は震えが止まらなかった。
プロはその何倍ものつらさを乗り越え、血のにじむような努力を重ねて本番を迎えている。新型コロナが流行していなくても、大変な世界だ。
どうして。
再び心の中で問う。いつまた舞台が中止になるかわからないのに、なぜ彼らは輝きを保てるのだろう。
終演後、観客は誰からともなく立ち上がった。いつもより大きい音になるように、私も両手を思い切りたたいた。終演後に見たら、赤くなっていた。ともに来場し、初めて『ライオンキング』を見た夫は言葉を失っていた。
「今まで見た舞台でいちばんいいかも」。四季の舞台を見るたびに言うなあと笑いながら、私は赤くなった手を見せ、驚いた夫に言った。
「こんなに素晴らしいもの見せてもらって、チケット代だけじゃ申し訳ないやんな。私たちがほかに贈れるのは拍手しかない」
大切な劇団の舞台が、また幕を閉じなければならない、なんてことがありませんように。
そう願っていたが、かなわなかった。今年3月14日、自分自身が新型コロナを発症し入院した。
劇団四季を見に行ったのは2月6日なので、感染時期とは重なっていない。濃厚接触者は、私の翌日に陽性と診断された夫しかいなかった。2人とも重症にならず入院もできて、不幸中の幸いだと思いつつも、私の価値観は大きく揺さぶられた。
救急患者を受け入れにくくなっている病院が多いことを知り、また、懸命に働く医療従事者を目にして「医療が崩壊すれば病床がなくなる。新型コロナ重症者はもちろん、ほかの病気の人は、どこで治療してもらえばいいんやろ」と感じたのだ。
劇場がないと、役者は立つ舞台がなくなる。自分のすべてをかけた大切な舞台が。
だけど、医療が崩壊すれば、そういった人たちの身にも危険が迫る。病床はどんどんと足りなくなり、私の出身地である大阪は、医療が崩壊した。
東京の電車はラッシュアワーの際、今でも人が密集しているという。
このコラムを書いている前夜、マンションの隣りにある公園で、若者たちが深夜に大声を出し遊んでいた。目がさめてベランダから外を見ると、彼らのうち1人は、マスクをしていなかった。
少しの配慮でできることがされていない中、逆に感染対策をしっかりとしている劇場は、危機に瀕している。
前述の、劇団四季に入った同級生が、高校時代に音楽の授業で歌ったときのことを思い出す。彼女は誰に対してもやさしく、クラスでいちばん成績がよかったのに、決して自信過剰にならなかった。プロのバレエダンサーを輩出しているバレエスクールに幼いころから通っていると、彼女と仲のいいクラスメイトから聞いた。劇団四季の入団試験は人柄も重視されているのかと思うくらい、見た目も心もきれいな人だった。
半年ほど前、小劇場の舞台に「やっとまた立てるようになった」と喜んでいた学生時代の友だちの姿が、彼女と重なる。
「今度大阪に帰省したら、見に行くね」
前はそう返事をしていた。でも、今はその返事が、彼女を傷つけることになるかもしれない気がして怖い。
テレビを見ていると、東京の街や駅には人があふれている。しかし、今も、劇場は閉まっている。
(文/若林理央)
【PROFILE】
若林理央(わかばやし・りお) ◎読書好きのフリーライター。大阪府出身、東京都在住。書評やコラム、取材記事を執筆している。掲載媒体は『ダ・ヴィンチニュース』『好書好日』『70seeds』など。ツイッター→@momojaponaise