5月7日、茨城県境町で2019年9月、小林光則さん(当時48歳)と妻の美和さん(同50歳)が刺殺され、子ども2人が負傷した事件で、茨城県警は埼玉県三郷市に住む岡庭由征容疑者(26・無職)を夫妻に対する殺人容疑で逮捕した。同日、容疑者宅には多数の報道陣が詰めかけた。
岡庭容疑者の実家の広大な敷地内には2軒の家が建っており、奥にある古びた木造2階建て民家が祖父母の住居。手前にある比較的新しい家に岡庭容疑者と父母が住んでいる。奥の住居の白いカーテンで閉ざされた窓の向こうに人の気配がした。岡庭容疑者の祖父とみられるが、報道陣の呼び掛けには一切応じず、不安そうに外をのぞいていた。一方、容疑者の父母が住んでいる玄関のドアの上には防犯カメラが取り付けられ、室内に電気がついているのはわかったが、インターフォンを押しても応答がなかった。
母親と祖父が語っていた肩身の狭い生活
そんな岡庭一家が一度、取材に応じたことがある。岡庭容疑者が別件で茨城県警に逮捕された今年2月のことで、母親は玄関ドア越しに、弱々しい声でこう語った。
「(息子のことで)家から出たくないんです。周りの目にさらされ、まだ生きていたのかって顔をされるから。(通り魔事件から)もう9年、ほとんど外出していませんので、変わり者と思われています」
ドアのガラス越しに、母親の輪郭がうっすら透けて見える。
「身体の調子もあんまりよくなく、すごく精神的に不安定になっちゃうんです」
岡庭容疑者の祖父も言葉少なにこう語った。
「由征には全然会っていないから何もわからない。仕事もやってんだかやってないんだかもわからない」
今年2月の逮捕は、警察手帳を偽造販売した疑いによるもの。
また岡庭容疑者は昨年11月、硫黄約45キロを自宅に所持していた疑いで埼玉県警に逮捕と、2度にわたる別件逮捕の末、本件での逮捕に繋がった。その翌月には消防法違反罪で起訴されていたが、この再度の逮捕により茨城県警に移送された。この3か月後の5月7日、岡庭容疑者は茨城一家殺傷事件に関与したとして逮捕される。
通り魔事件後に名前を改名した
実は岡庭容疑者は10年前にも殺人未遂の容疑で逮捕されている。
2011年、当時、通信高校の2年生だった岡庭容疑者は、三郷市の路上で中学3年生の女子生徒のあごを刃物で刺してケガを負わせ、さらにその2週間後には、隣接する松戸市の路上で小学2年生の女児の脇腹など数か所を刺して重傷を負わせていた。
この連続通り魔事件に加え、猫の首を切断、さらに連続放火にも関与し、自宅からはサバイバルナイフや鉈など計71本の刃物が押収されていた。当時中学生の岡庭容疑者が持つには異常な量である。
「このうちの16本は18歳未満の所持が禁じられているものであったため、埼玉県警は父親を県青少年育成条例違反容疑(有害玩具を子どもに買い与えてはいけないという条例)で書類送検しています」(社会部記者)
当時の容疑者は「吾義土」(あぎと)という名前だったが、こうした事件の影響で現在の「由征」に改名した。
その行動の奇異性は近所でも騒がれていた。ところが本人の姿はほとんど目撃されていないという。
近所の高齢女性が語る。
「猫の死骸を家の周りに埋めたとのことで、鑑識の捜査員が警察犬を連れて調べていました。容疑者の姿は見たことがないですが、弟が1人いて、2人兄弟です。弟は家を出て1人暮らしをしているみたいです。両親とも話をしたことがありませんが、母親は教育ママだったと聞いています。お父さんは測量の仕事をしていましたがここ5年は働いていないと(容疑者の祖父から)聞いたことがあります。この辺に『岡庭』という名字は多いのですが、容疑者一家は地元の名士なんです」
祖父はかつて農家を営んでおり、辺り一帯に土地を所有していたが、通り魔事件後は、自宅に隣接する駐車場を売り払ったという。
「被害者への賠償支払いが莫大だったと言っていました。おじいちゃんも孫があんなことになってしまったから可哀想ですよ。前は会うとニコニコしていたんだけど、今は下を向いてちょぼちょぼ歩いています。おばあちゃんも元気な良い人だったんですけど、寝込んでいるみたいですね」
母親は「運転免許はない」と断言
事件は19年9月23日午前0時38分ごろ発生した。美和さんが「助けて」と110番通報して事件が発覚。犯人は小林さん宅に侵入し、2階の寝室に直行。光則さんの胸や美和さんの首に刃物を突きつけて殺害した後、子ども2人の部屋に押し入り、足や腕などを切りつけた。
茨城県警は昨年11月に硫黄所持の件で岡庭容疑者を逮捕した際、自宅から押収した化学薬品や刃物、衣類など約600点を調べたところ、岡庭容疑者の殺人関与の疑いが強まった。
しかし、岡庭容疑者と小林さん一家に「接点はない」という。そうだとしたならば不可解な点が多い。
現場は、うっそうと生い茂る雑木林の中。周囲には畑が広がり、近くの民家までは約300メートル離れ、そこだけぽつんと孤立している。雑木林の中へ通じる道が1本だけ開かれているが、その入り口に立つと、奥には物置の小屋や廃屋が見えるだけで、その先に小林さん一家が住んでいた一軒家があるかどうかまでは肉眼ではわからない。
しかも犯行時間帯は真っ暗な未明で、激しい雨が降っていた。今年2月の同じ時間帯に現場を訪れた時は、雨は降っていなかったものの、辺りは真っ暗闇に包まれていた。初めてこの場所を訪れたのであれば、雑木林の中に家があるなどとは想定できない。岡庭容疑者が犯人であるならば、事前に家の場所を把握していないと不可能だろう。いったいいつから小林さん宅を狙っていたのだろうか。
三郷市にある岡庭容疑者宅から現場までは直線距離で約40キロあるが、未明の時間帯にこの現場まで足を運ぶ交通手段も不明だ。しかも母親は、「(岡庭容疑者は)免許証を持っていない」と断言している。電車の最寄り駅は約12キロ離れているため、そこからタクシーに乗った可能性もあるが、事件当時タクシー会社から目撃情報は出なかったという。
また、容疑者はサイクリングが趣味といい県警は自転車で移動したと見ているようだが、事件当日は激しい雨が降っていた。雑木林のぬかるみを進むのはたとえスポーツタイプの自転車でも困難な道のりだ。であれば小林一家の民家に、「免許証なし」でどのようにしてたどり着いたのか。そもそも「接点がない」小林一家の民家に、なぜ向かったのか。
逮捕後、岡庭容疑者は容疑を否認しているという。茨城県警の今後の取り調べに注目が集まりそうだ。
取材・文/水谷竹秀
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。