「新型コロナの感染が広がってからは、自宅と畑を往復するだけの毎日だね」
1999年に初孫の可愛さを歌った『孫』が大ヒットした大泉逸郎。地元の山形県でさくらんぼ農家を営みながら、歌手活動を行う異色の肩書も話題になった。
「父親も歌が好きで、最初は地元でカラオケ教室を開いて10人程度の前で歌っていたんだよ。『孫』はカラオケ教室で歌ったところ好評だったから、カセットテープに録音したものをお客さんに無料で配っていたのが始まりだね」
1977年に東北・北海道民謡大賞受賞を機にアマチュアの民謡歌手として活動をスタートさせていた大泉。1997年に宮城県名取市で行われたカラオケ大会に参加した際、審査員を務めていた現在の事務所社長にすすめられ、自主制作で作っていた『孫』をメジャーから発売することになる。
「最初は口コミでジワジワ広がっていってね。孫が話せるようになったときに“孫のセリフを入れたほうがいいんじゃない?”と知り合いに提案されて。それで“じいちゃん、ばあちゃん”というセリフを入れ直したものを事務所の社長が聴いたところ、”インディーズではもったいないから”と、全国で発売してもらえることになったんです」
お客さん1人でも歌うよ
累計230万枚を売り上げる大ヒットとなり、翌年の2000年にはNHK紅白歌合戦に初出場するなど、国民的歌手の仲間入りを果たした。
「孫の成長とともに曲も大きくなっていった……という感じかな。街を歩けば、『孫』の人ですよね? と声をかけられるようになったし、地元(河北町)のタクシー運転手さんに“『孫』の農園まで……”と言うだけで着くぐらい有名になったね(笑)」
さくらんぼの収穫シーズンには、大泉に会うために全国からファンが訪れる。
「本来は観光農園ではないんだけど、ファンの方が来てくれたときのために農園にミニステージも作ったんだ。希望すればお客さんが1人でも歌うよ。コロナ禍になってからは、そんなファンとのふれあいもできなくなっちゃったから本当に寂しいね」
79歳になった今でも、自ら畑に出て農作業を行っているが、2011年には脳梗塞で倒れ、2か月ほど入院を余儀なくされたことも。
「そのときは小脳梗塞で、心臓にペースメーカーを入れる手術をしたんだけど、実は去年の1月にも大きめの脳梗塞になっちゃって。1週間ほどで退院できたんだけど、これでまた歌える……と思っていた矢先に、新型コロナの感染が拡大して。
去年6月に新曲『ありがてぇなあ』を発売したから、いろいろ活動の予定もあったけど、もう1年以上、人前で歌えていないね」
孫には孫の人生がある
現在は妻と2人、自給自足の生活を送っている。
「こういう状況になってからは、曲を作る気にもなれなくて昔の曲を聴きながら畑作業をするのがささやかな楽しみ。自分で手間暇かけた野菜は人一倍美味しいし、女房の料理が元気の源だね」
歌にするほど溺愛していた孫の慎太郎さんは20代になり、現在は東京で保育園の先生として働いているという。
「孫には孫の人生があるから、好きに生きればいいと思う。私は遠く離れた山形から見守っているよ。こんなおじいちゃんと遊んでも、孫もつまらないでしょ」
今後の目標について聞くと、笑いながらこう答えてくれた。
「孫がとにかく可愛いから、『孫』という曲を作ったし、今後もそのときに自分が感じた気持ちを曲にして、歌っていければいいかな。今さらスーツを着てカッコつけても似合わないしね(笑)」