白血病を克服し、東京五輪の水泳の代表選手となった池江璃花子選手。その劇的な復活劇がニュースなどで取り上げられ、彼女が生後2か月から母親が運営する幼児教室で早期教育を受けていたことも話題となった。また本田真凜、望結、紗来のフィギュアスケーター三姉妹も、池江選手と同じ幼児教室で早期教育を受けていたそう。
早期教育、幼児教育を受けさせたい親が増えている
そんな才能あふれる若い人の活躍を見て「うちの子や孫も才能ある立派な人間に育ってほしい」と思うのが親心。
そこで気になるのが、どんな早期教育や幼児教育を受けさせたらいいのか、やるなら何歳までに始めたらいいのか、将来役に立つのはどんなことなのか、といったことだろう。しかし選択肢が多すぎて何をどう選んだらいいのか途方に暮れている方も多いはず。
「幼児教育といえば一般的には幼稚園のことを指します。日本では昔から質の高い幼児教育が行われ、インフラも整っています。一方、お子さんに小さなころから英語を習わせるといったような場合は『早期英才教育』と呼ばれます。これは昔から流行り廃りがあって、新しい早期英才教育が流行しては批判され、下火になることを繰り返しています」
そう語るのは、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささん。ではいったいどんなことを参考に、子育てをしたらいいのか?
「本やテレビ番組などで早期英才教育が話題になることがありますが、『成功者の子育てをまねしよう』というのがそもそも間違いです。親も子もひとりひとり性格や考え方が違うので、誰かの子育てをまねしても、うまくいく可能性は低いでしょう」
また、早期英才教育本などにはいいところしか書かれていない、と続ける。
「実際には、子どもは親の失敗からも学ぶものです。よい部分も悪い部分もあって子育てはバランスが取れるもの。逆に失敗をしないよう、親子だけの無菌状態や、箱入り状態で育てるほうが怖いんです。
親だけが全部の責任を負って、閉じ込めないこと、自分にできることは限られていると考え、できるだけ世の中への扉を開いておきましょう。日々得る情報は断片でしかなく、科学的根拠や物事の解釈というのは時とともに変わっていきます。
ですから断片の中の一部を取り出して『これが正しい』と思い込んで子育てをするのは、とても危険なことです」
子どもの「個」を無視していませんか?
身につけられることは多ければ多いほどいい、現代は変化が激しいから、どんどん新しいことを学ばせないといけないのではないか、と考えてしまうのも親心。情報があふれる現代、どんな能力をつければいいのですか?
「子どもの性格や考え方、キャラによって、必要となるものは違ってきます。例えば内向的なオタク気質の子が、無理をして外交的な能力を身につける必要はありません。その子が何かひとつに集中できる力を引き出してあげること、それが特性を伸ばすことにつながるんです」
さらにおおたさんは「情報量は今後どんどん増えていくものなので、それを全部1人で身につけようというのは無理な話」と続ける。
「昔はいろんなことを1人の人にインストールして、何にでも対応できる、個としての完成度をいかに高めるかを目的とした教育でした。
しかし今はネットワークの時代。その中でどう自らの居場所を見つけるか、というのが大事になります。そのためには何かひとつ得意なことがあると、どんなネットワークへも入っていきやすいんですね。
これからは自分に足りないことを1人でどうするのかではなく、ほかの能力の高い人と足りない部分を補い合いながら働けること、つまり『この人と一緒に働きたい』と思われる人になることが大事になります」
しかしスキルを身につけるという明確な「目的」があると、達成することばかりを見て、目の前の子どもが見えなくなってしまう。
そして、正しい教育法だと思っている枠の中へ子どもを押し込むことになりかねないので注意が必要だそう。教室へ行くのを嫌がる子どもを「どうしてできないの!」と追い詰めると、子育てがおかしくなる原因になりかねない。
「過度な押しつけや教育虐待を防ぐには、1人の人間として子どもにも人権があることを理解してください。『あなたのためを思って』という道徳心は、子どもの尊厳を傷つけ、その子がその子らしく学ぶ権利を侵害することがあります。
ほとんどの親は、子どもの教育についての判断を見誤るもので、それは恥ずべきことでも過ちでもありません。自分の子どもに合っていない教育をしているかもしれない、と思ったら、すぐに軌道修正をしてください」
親の自分がやってきたことが正しい、よいことだと思い込んで「これをやりなさい」と押しつけてしまうのは危険である、としっかり認識しなくてはいけない。
結果をすぐに求めすぎていませんか?
数字で結果が出て、成長していると効果が見えやすい「認知能力」で子どもの能力を見極めようとしてしまいがちだが、最近の幼児教育では、やり抜く力や集中力、自立心や協調性、自己肯定感といった、IQや偏差値、テストなどでは測れない「非認知能力」を育むことが重要視されている。
「ただ非認知能力は少々誤解を受けていて、『どうしたら非認知能力を鍛えることができるか?』という発想になっている教育もあるんです。非認知=捉えられないものであり、認知能力と非認知能力は分けられるものではないのに、読み書きや計算といった認知能力と同様に鍛えられると思っているんですね。非認知能力について僕は、複数の認知能力を連動して効率的に力を発揮させる能力のことではないかと考えています。
つまり個別の認知能力が高くても、それらを結びつける非認知能力が備わっていなければ、筆記テストでいい点は取れるかもしれないけれど、実生活の中で能力を応用して使うことができないんです。しかしある部分の認知能力が抜群に優れていて、突出した才能を開花させる人もいるので、非認知能力が低いからといってダメとは言えないんです」
子どもをスマホのアプリだと思っていませんか?
昔の教育を受けてきた親世代は、いろんなことをバランスよく身につけていることがいいと考えがちで、英会話に読み書き、算数、直感力や記憶力の鍛錬に、ピアノにお絵かきに各種スポーツ……◯歳までにやらないと身につかないと言われ、あれもこれもと子どもにやらせがち。しかしおおたさんは「それは使うかどうかもわからないのに、スマホにアプリをどんどんインストールしているようなもの」と注意を促す。
「無理にたくさんのアプリをインストールしても、スマホ自体の性能が悪ければたくさん入りませんし、動きも鈍くなります。それよりもスマホそのものの性能を上げることが大事で、時代が変わって価値観がアップデートされたら最新のアプリをインストールできるよう力をつけておくことが重要なんです」
では子どもに最適なことを見つけるには、どうしたらいいのか?
「答えはシンプルで、それは常に『子どもの中』にあります。何をしているときに子どもの目が輝いているのか、身体全体から躍動感があふれ出しているのか、また心が落ち着いて安心している表情になっているのか……そういう子どもの状態を見逃さないでほしいんです。それこそ、その子の進むべき道なんです」
でもうちの子はゲームばかりしていて、とお嘆きの方も。
「それはそう思い込んでいるだけの可能性がありますよ。子どもが散歩中に道端の花などを見つけて『可愛いね』と言っているのに、親のほうがスマホを見ていたりしていませんか?
ほかにも子どもが目を輝かせていることがあるのに、それを見ていないんですよ。ゲームだけが目につくだけで(笑)。それに気づくためには、できるだけいろいろな世界に触れさせることです。何も山や川へ外出するのではなく、街を歩けば子どもは毎日何かに感動しているはず。とにかく『子どもを見る』こと。毎日その積み重ねです」
しかし能動的にゲームをやっている場合は学びが促進されることもあるので、無理に取り上げたり、叱ることはしないでほしいそう。
「惰性でゲームに逃げているときは、目が死んでいます。その場合は外出に誘ったり、違う楽しさを提案してあげることです。本当に楽しんでゲームをやっていると、どうやったらクリアできるのか、うまく戦うにはどうしたらいいのかと頭を使っていますし、これが原体験になって、現在も重要な仕事で将来的にも必要とされるコンピューターのプログラミングに興味を持つかもしれませんからね」
早期英才教育についてまわる「◯歳までに」の壁については、それほど気にする必要はないと言うおおたさん。
「そもそも『いつまでにやらないといけない』というリストを作ったら、無限になってしまいますよ(笑)。例えば早期英才教育ができなくて『絶対音感』が身につかないかもしれませんが、絶対音感以外で、その子らしく生きていけるほかの能力を身につけているはずなんです。
僕は子どもの内的動機を大事に考えているので、本当に子どもが望んでやるという意味で、『自主性』よりも『自発性』という言葉を使うようにしているんですが、子どもがやりたいと言ったこと、自発性をぜひ尊重してあげてください」