石田純一(67)がメディアを批判した。4月下旬、自身のユーチューブで「コロナにかかってからすごいバッシングを受けて」と切り出し、CM契約が9社から2社に減るなど「大変な目に遭ってる。ちょっと参ってますね」と愚痴ったのだ。
石田純一、メディア批判の背景
また、政権批判をしたことで「たぶん(テレビから)干されてると思います」とも。この人がここまでメディアを敵視するのは珍しいことだ。
というのも、石田は長年、メディアと持ちつ持たれつでやってきた。自分のことも他人のことも、なんでもしゃべることで、ネタを提供し、それによって特異なポジションを獲得。「不倫は文化」という歴史的名言も残した。いわば、騒動界のレジェンドだ。
とまあ、いささかちゃかしぎみに入ってみたが、彼はちゃかされることもひっくるめて、自分が世間に面白がられることを受け入れてきた。おそらく、父親もメディアの人間(NHKのアナウンサー)だったことや役者として売れるまでに苦労したこと、さらに、役者よりもそのお調子者ぶりがウケたことが、このスタンスにつながったのだろう。
ただ、レジェンドとは時に「過去の人」の別名だ。彼のやり方はとっくの昔に時代遅れになっていた。いまや結婚や離婚の発表もSNSですます時代。いちいち囲み会見にも応じないほうがスマートだったりもする。
そんな時代遅れのやり方を貫くのは疲れるし、最近は都知事選出馬未遂やコロナ禍での暴走(?)への批判まで浴びてしまった。
思えば、平成が始まった1989年、彼は映画『愛と平成の色男』に主演。バブル真っただ中の日本で、プレイボーイの記号的存在を担った。'88年には結婚して、'90年には子ども(すみれ)が生まれたが、'91年に最初の結婚相手との隠し子(いしだ壱成)がいたことが発覚。'96年には不倫が報じられて前出の名言が飛び出し、'97年には報道番組のキャスターに起用されたものの、不倫写真を撮られたことで'98年に降板する。'99年には、2度目の離婚をした。
実に目まぐるしい10数年だが、もともと、色男とダメ男には紙一重的なところがある。昭和のプレイボーイ・火野正平が別れた相手から不思議と恨まれなかったように、そこをうまく行き来できれば、ニクめないキャラにもなれるのだ。石田がなんだかんだ言って生き残れたのも、そのあたりが面白がられたからだろう。
本人もうすうす、そういう生き方を狙っていたのかもしれない。というのも、'98年、松田聖子が最初の再婚(いわゆるビビビ婚)をした際、石田はこんなことを言っていた。
「すごいな、どんどん先に行っちゃうね」
確かに、当時の聖子には、生涯に8度結婚したハリウッド女優、エリザベス・テイラーを思わせるような勢いがあった。いわば、スキャンダルもまた芸という、騒がれてナンボのザ・芸能人的な生き方だが、石田もそういうものにちょっと憧れているのかと感じたものだ。「先に行っちゃうね」というのは、自分も続いてみたいという気持ちなしでは、出てこない言葉だろう。
実際、その後、3度目の結婚をして、子どもも誕生。母親が違う子どもたちや、孫たちの仲がよかったりするというエピソードはそれなりに面白い。彼ならではのザ・芸能人的生き方で、最近までけっこう楽しませてくれていたわけだ。
とはいえ、疲れてしまったならしかたない。レジェンドの余生を静かに見守るとしよう。