“ジャニーズの長男”近藤真彦(56)が先月末をもってジャニーズ事務所を退所。これで、たのきんトリオ( '80〜'83年)の全員が去ったことに。進んだ道は歌手、ギタリスト、レーサーと、実に三者三様。彼らのフレッシュな笑顔が輝いていた黄金時代が、ここによみがえる!
マッチこと近藤は '79年10月、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒(星野清)役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦(トシちゃん・60)、野村義男(ヨッちゃん・56)とともに“たのきんトリオ”として一躍、トップアイドルにのぼりつめた。その名づけ親はジャニー喜多川さん(享年87)。田原の“た”、野村の“の”、近藤の“近(きん)”に由来する。活動期間は '80〜'83年と意外に短い。
芸能レポーターで、当時は週刊女性の芸能記者だった石川敏男さんは、こう振り返る。
「すさまじい人気でしたよ。中でも突出していたのはトシちゃん。メールもSNSもない時代だから、ファンが気持ちを伝えるのはファンレターだけ。月に18万通も来たっていうからね。とはいえ、ジャニーさんはグループで活動させようとは思ってなくて、3人それぞれをソロ歌手にしたいと考えていたんですよ」
'83年解散、それぞれの道
たのきんトリオとしてコンサートは多数開催したが、オリジナル曲のリリースはない。 '80年6月、田原が『哀愁でいと』で歌手デビュー。12月に近藤も『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手に。
「いちばん抵抗したのはヨッちゃん。彼はアイドル歌手ではなく、ギタリスト志望だったから。たのきんのコンサートでもギターを弾いていたしね。だけど、ジャニーさんがいろんな条件をのんでくれたから '83年に1枚だけリリースしたけど、売れなかった」
同年、“The Good−Bye”を結成。バンドの活動休止後( '90年)に独立した。現在ではギタリストとしての地位を築き上げ、アーティストへの楽曲提供なども行っている。
「トシちゃんは“俺はビッグ”発言でひんしゅくを買っちゃって( '94年2月)。あれはテレビでの(発言の)切り取られ方が作為的だっただけなんだけど、自分の人気を肌で感じてはいたでしょう。芸能界を干され、需要がまったくなくなりました」
同年3月にジャニーズ事務所から独立している。
「5年くらい前かな? 新大阪駅で偶然会ったんですよ。コンサート終わりだと言って、脚をきれいに上げてくれてね。“全身に膏薬貼って努力してるんですよ”と笑ってた。
かつての栄光を失っても、彼はとにかく地道にやってきた。それが認められ、また復活しかけているじゃない?」
『爆報!THEフライデー』(3月終了)には10年近くレギュラー出演。ライブやディナーショーを精力的に行い、6月16日には新曲『HA−HA−HAPPY』が発売になる。
レコ大受賞、そしてレースにのめり込む
『ギンギラギンにさりげなく』( '81年)、『ハイティーン・ブギ』( '82年)など、多数のヒット曲に恵まれた近藤。 '87年には『愚か者』で日本レコード大賞を受賞している。
「マッチがかわいそうだったのは、お母さんの遺骨が盗まれたこと。『愚か者』がレコ大の候補になったときに、“賞レースから降りなければ返さない”って言われて。
アンチがいたんでしょうね。いまだに犯人は捕まっていないし、遺骨も返ってきていませんから」
その後は『全日本F3選手権』( '88〜 '93年)、『ル・マン24時間耐久レース』( '94年)参戦など、レーサーとしての活動が本格化。芸能活動は手薄に……。
「そして昨秋に不倫が発覚。無期限謹慎中に、ジャニーズ事務所を辞めた。そんなマッチの去り方に、東山紀之さん(54)は“すごく薄っぺらく感じる”と苦言を呈しましたよね」
ジャニーズの長男としての自覚
実はマッチとヒガシは、年齢的には2つしか変わらない。
「ヒガシにはヒガシの思いがあるんでしょう。ただ、ジャニーズ事務所の何年間かは確実にマッチが支えたし、彼の売り上げが後輩たちを育てた面はある。それに、メリー喜多川さん(94)が親しくしていた森光子さん(享年92)&黒柳徹子さん(87)とのパイプ役はしっかりと引き継いでいましたから」
近藤が長年、芸能活動そっちのけでカーレースに没頭していても、ジャニーズ事務所としては粗末にはできなかった側面が。
「もともとヤンチャを売りにしていたから、そのとおりに生きてきたんでしょう。マッチは自分勝手で、長男としての自覚が足りなかった。
後輩から“マッチさん”と呼ばれてはいるけど、その後輩たちはマッチに具体的に何かしてもらったことはないと思う。ヒガシや櫻井翔くん(39)とかのほうが、後輩に対してよっぽど厚いよね」
近藤は退所後も、今までどおり芸能活動もカーレースもやっていくと話しているそうだが、石川さんは疑問視する。
「ただ、彼にはカーレースで付き合ってきた人たちがたくさんいる。そういう人たちが、いつまでスポンサーでいてくれるか、じゃないですか?」