5月19日、おめでたいニュースが飛び込んできた。歌手で俳優の星野源と女優の新垣結衣が結婚することを発表したのだ。
「連名で出されたコメントには、報告とともに《新型コロナウイルスの感染拡大が1日でも早く終息する事を、心よりお祈り申し上げます》と気遣う文面で締められています。こんなところも、好感度の高いふたりならでは。ドラマの役柄そのままのお似合いカップルですね」(芸能リポーター)
星野と新垣の出会いはご存知、2016年10月期に放送されたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)。同ドラマでの“恋ダンス”は、YouTubeやインスタグラムで同ダンスを披露するユーザーが増えて社会現象に。一方で、ふたりの交際についても囁かれ始めたのだった。
「ドラマの主題歌『恋』で同年のNHK紅白歌合戦に出場した星野さん。そしてガッキーもまた審査員として出席したのですが、身につけていたピアスが星の形をしていて、さらに彼女の誕生石であるパールが埋め込まれたもの。ファンはこのピアスを“源くんからのクリスマスプレゼント?”などと色めきだったのです。
あながち、これが的外れではなく、交際情報を嗅ぎつけた写真誌は彼らを徹底マークしていたのですが、決定的なツーショットを抑えることができなかったのです」(前出・芸能リポーター)
SNSで「蕨の星」コールが
今回、各メディアは交際開始のタイミングが昨年12月だと報じている。CM出演を多数抱え、名実ともにトップ女優の1人に数えられるガッキーだけに、星野としても細心の注意を払って秘密裏に愛を育んできたのかもしれない。
ともあれ、国民的人気を誇る女優とのゴールインという“快挙”に、彼の生まれ故郷は湧きに湧いているようだ。
「埼玉県の蕨市から生まれたスターだけに、地元では“蕨の星”と称されています。『逃げ恥』放送後は、彼が番宣番組のロケで紹介した市内のお店を目当てに全国からファンが足を運ぶなど、地域経済にも影響を与える存在に。そして大女優をゲットしたとあっては、ますます崇められますよ。実際、SNS上では結婚発表後に《蕨の星》コールが起きています」(情報番組ディレクター)
音楽が好きだった両親の影響で、中学生からギターを始めたという星野少年。並行して、高校では芝居やコントなどの演劇活動にものめり込んでいった。卒業後は音楽活動を本格化させながら、松尾スズキが主催する『大人計画』に見習い団員として入団。当時を知る演劇関係者は、
「う〜ん、印象に残っているのはとにかく芝居に貪欲、ストイックというかギラギラしていましたね。そしてクソ真面目。あと学生時代は女の子と縁がなかったみたいで、それでも興味はアリアリの“チェリーボーイ”感が(笑)。
初舞台を踏んだのは、今は亡き勘三郎(当時は中村勘九郎)さんが出演された『ニンゲン御破産』(2003年)。とにかく学ぼうという姿勢がすごかった。丸刈りだったしね。普通は“ペーペー”が気軽に話しかけられる人じゃないけど、やっぱり可愛がられる素直さと一生懸命さがあったんだと思うよ。まるで弟子のようについて回って、勘三郎さんとの出会いは星野くんの役者人生に大きく影響しているんじゃないかな」
今でこそ“塩顔イケメン”とも称される星野だが、当時は丸刈りスタイルをトレードマークとしてドラマや映画にも出演。お世辞にもモテキャラとは言い難い“三枚目”の立ち位置だった。それでもコツコツと芝居に打ち込み、2010年のNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』で松下奈緒演じる主人公の弟役を演じて注目される存在に。
同年には音楽活動でソロデビューを果たし、2012年からは内村光良を中心としたNHKのコント番組『LIFE! 〜人生に捧げるコント〜』にも参加。学生時代に培ったコント経験を生かし、ここでも内村に可愛がられた。すべてが順調に進み始めた星野の人生。しかし、2012年12月にくも膜下出血と診断される。この時まだ31歳だった。
大病を経験して生まれ変わった
幸いにして早期対処ができたため翌年の2013年2月に復帰するも、同年6月にまさかの再発。再手術を経て2014年2月に2度目の復帰を遂げた。
「大病をするまでは、どこかアーティストとしての孤独や苦しみを表現することが多かった星野くんですが、死の淵から戻ってからの彼は“生きることの楽しさ、素晴らしさを伝えたい”と曲調が前向きなものに大きく変わったのを覚えています。
2015年に音楽活動のマネジメントを『アミューズ』さんに委託し、『SUN』で紅白初出場を果たし、翌年には『恋』をリリースして大ブレイク。以後の活躍は知っての通り、というわけです」(レコード会社関係者)
こうしてトップアーティスト、人気俳優にのぼり詰めて行った星野だが、現在も彼の中の根本は変わらない。アミューズがマネジメントを受け持つのは「歌手・星野源」のみであり、今も「役者・星野源」は大人計画に在籍している。
「俳優業も大手のアミューズさんに任せれば、とは思うのですが、そこは星野くんとしても“譲れなかった”のでしょう。海の物とも山の物ともつかなかった彼を育ててくれたのは大人計画であり、勘三郎さんとも引き合わせてくれたわけで、彼らに不義理を働くような真似は絶対にしたくなかったのだと思いますよ。七之助くんとは今では親友同士ですしね」(前出・レコード会社関係者)
そんな実直な彼にガッキーも惹かれたのだろう。丸刈りだった星野少年は“蕨の星”となり、そして国民的スターになった。