菅首相

 国会の最終盤が迫る中、与野党幹部は会期末攻防そっちのけで、首都・東京に発令中の緊急事態宣言の解除時期を注視している。宣言解除のタイミング次第で、東京五輪・パラリンピック開催の可否とその後の政局の展開を左右しかねないからだ。

 五輪開催を至上命題とする菅義偉首相にとって、東京のコロナ感染状況は政権の命運にもつながる重大問題だ。当初期限の5月末に宣言を解除し、五輪開催につなげることを「最善のシナリオ」(側近)としているが、「現状はまったく予断を許さない」(政府筋)状況だ。

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 しかも、5月14日には宣言対象拡大をめぐって、菅首相の当初方針を覆す「専門家クーデター」も勃発した。東京の新規感染者数などが5月の第4週までに急減しない限り、「東京での5月末の宣言解除は困難」(感染症専門家)との声が広がる。

五輪中止論が急浮上する可能性も

 関係者の間で宣言延長の期限は、まん延防止等重点措置を後になって設定した県の期限である6月13日に揃えるとみられている。その場合、その直前までに解除を決められる状況にならなければ、6月上旬とされる国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長来日も困難となる。そうなれば五輪中止論が一気に現実味を帯び、菅首相が窮地に陥ることになりそうだ。

 今後の政治日程も考慮すると、東京の宣言解除を決めるXデーは「5月28日か6月10日」(政府筋)とみられている。前者ならバッハ会長来日に合わせた6月上旬に、後者でも6月中旬に五輪開催を最終決定することが可能になる。ただ後者の場合、五輪開催まで1カ月余りしかなく、各国の選手団派遣や候補選手決定が間に合うかどうかの問題は残る。

 その一方で、6月13日の直前までに東京の感染状況が大幅に改善していなければ、五輪中止論が急浮上する可能性は少なくない。その場合、東京都や日本オリンピック委員会(JOC)も苦しい対応を迫られ、中止となれば菅首相の責任も問われる。このため、菅首相にとって6月10日が自らの命運もかけた決断のデッドラインになるとみられている。

 今後の政治日程の中で菅首相の決断に絡むとみられるのは、5月24日に東京で始まる自衛隊主導の大規模ワクチン接種のゆくえだ。17日に始まったオンライン予約はシステム上の不備も露呈し、目標の1日1万回接種が実現できないと計画が挫折しかねない。

 その次は最初のXデーとされる5月28日。政府としてはこれまでと同様に前日の27日に菅首相と関係閣僚で東京の宣言解除などを協議し、28日の政府諮問委員会や対策本部で正式決定することになる。

5月28日の宣言解除は望み薄

 菅首相は今のところ、5月28日の宣言解除を強く期待しているとみられる。東京の新規感染者数は17日に419人にまで減少し、18日も732人に留まった。その後も減少傾向が続けば、27日までに「ステージ4脱却」の目安となる直近7日間の人口10万人当たり新規感染者数が25人を下回る可能性は残る。

 しかし、宣言が始まった4月25日から3週間経っても新規感染者数の減り方は鈍い。1月の前回宣言時には新規感染者数が3週間で半減したものの、解除時にはなお高止まりし、それが今回の宣言発令につながった。政府諮問委員会の尾身茂会長は「新規感染者をステージ2(7日間で人口10万人当たり14人以下)にまで減らさないと、すぐ感染が増えて、また宣言を出す羽目になる」とステージ4脱却での解除に否定的だ。

 菅首相は5月14日に専門家の意見に従って当初方針を転換しており、28日に専門家が反対する中での「独断専行」は困難とみられる。このため、「最低でも1週間の新規感染者数がステージ2以下にならない限り、期限延長は不可避」(感染症専門家)というのが大方の見方だ。

 そこで問題となるのが緊急事態宣言の延長幅だ。6月13日に延ばすなら、分科会を11日の金曜日に開くのが通例だ。ただ、同日はイギリスで先進国首脳会議(G7)が始まり、菅首相も出席する予定のため、10日に一連の手続きを済ませる必要が出てくる。

 その場合、宣言解除のためには9日の時点で7日間平均の感染者数がステージ2前後まで減っていることが必要だが、「イギリス変異株にインド変異株の感染拡大も加われば、達成は微妙」(分科会メンバー)との見方が多い。「もし、宣言の再延長に追い込まれれば、その時点で6月中の解除は困難となり、五輪中止も検討せざるをえない」(都庁幹部)ことになる。

 宣言期間中でもバッハ会長の来日は可能だが、小池百合子都知事や橋本聖子JOC会長らとの5者協議で五輪の強行開催を決めることは困難とみられている。国際社会でも五輪中止論が大勢となるのは確実で、最終的にはバッハ氏らが五輪中止の決断を迫られる場面も想定される。

 バッハ氏とともに五輪開催を決める当事者である小池氏の動向も注目されている。小池氏の都政運営に大きな影響を与える都議選は6月25日に告示され、7月4日に投開票される。それに先立つ東京都議会は6月1日に開幕し、その冒頭に小池氏の所信表明演説が予定されている。

小池知事が「五輪中止表明」のうわさも

 このため、大型連休中には永田町で「6月1日に小池氏が五輪中止を表明する」とのうわさも飛びかった。小池氏自身は公式の場で五輪開催への決意を繰り返し、「(五輪開催の可否が)政局絡みで語られるのは、とても私にとっていかがかと思う」とうわさを否定している。

 ただ、自民党内には「機を見るに敏な小池氏だけに、感染が収まらなければ、菅首相の機先を制する形で中止論をぶち上げる可能性は否定できない」(幹部)との疑心暗鬼が絶えない。菅首相サイドも「まさかとは思うが、小池氏ならやりかねない」(側近)と身構える。

 国会は6月16日が会期末で、政府与党は延長しない方針だ。最大の懸案だった憲法改正の前段となる国民投票法改正は14日までには成立する見通しだ。五輪開催が困難視される状況となれば、与党内での首相の責任論浮上に合わせて、野党側が会期末に内閣不信任決議案を提出する可能性も出てくる。ただ、その場合でも「菅首相の解散断行は困難」(自民幹部)とみられている。

 窮地に追い込まれつつある菅首相にとって、「最後の頼りはワクチン接種の加速化」(側近)だ。首相が打ち上げた7月中の高齢者接種完了が実現すれば、欧米の例から見ても五輪前には感染拡大が抑えられる可能性が強まる。現状では「接種の人員確保も含め、東京では8月から9月へのずれ込みは避けられない」(厚労省幹部)とされるが、その状況見極めも6月に入ってからになる。

 そうした中、最新の世論調査では内閣支持率が政権発足後最低レベルに落ち込み、不支持率が軒並み最高を記録している。政府のコロナ対策が主因だが、五輪の中止・延期を求める声も平均で7割超となっている。

 こうしてみると、6月上中旬にかけての時期は「コロナ・五輪政局の最大の節目」(自民長老)となるのは確実だ。五輪中止となれば菅首相の早期退陣論にもつながりかねない。菅首相にとって「G7サミット出席までの3週間で、天国か地獄かが決まる」(同)のは間違いなさそうだ。


泉 宏(いずみ ひろし)Hiroshi Izumi 政治ジャーナリスト
1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。