「怒りがストレスにつながっていた」と過去を省みる青木さやか

 バラエティー番組やドラマ、舞台などで幅広く活躍している、タレントの青木さやかさん。実は長年、パニック症(パニック障害)に悩まされてきました。病気と向き合うなかで、これまで自分を苦しめてきたのは、自然と形成されてきた偏見や固定観念だったことに気づいたそうです。いったいどういうことなのか、YouTube『たかまつななチャンネル』で聞きました。

「死んじゃうかもしれない、怖い」

――私も知らなくてびっくりしたんですけど、青木さん、実はパニック症だったんですよね? どういう病気なんですか?

青木:私の場合は突然、こうやって話していても、意識が遠のいて息ができなくなって、倒れそうになる。

――どうしてそうなるんでしょうか?

青木:いちばん最初にこうなったのは10年くらい前かな。家にいたら「息ができない、死んじゃうかもしれない、怖い、倒れそうだ」みたいな感覚に襲われて、家族が救急車を呼んだんです。そのときは「原因はわからない」と言われて、元気になって帰ってきました。

――それはまた怖いですね。

青木:身体は全部調べましたし、脳神経外科にも行きました。でも、特に問題はなかった。それで、会社に紹介してもらった心療内科に行って、自分の状況を説明しました。「いつも倒れるわけじゃなくて、“倒れたらどうしよう”と思う場面で倒れそうになる」と。仕事中と仕事前、あとは観劇中や、舞台に出ているときとか。

 それと、地下がだめだったんですよね。窓がないところだと、息ができないんじゃないかって。ロケバスも「調子が悪くなっても車からすぐに降りられないから、人に迷惑をかけるかもしれない」って思うと、怖くなって乗れませんでした。だから全部、自分の車で行くようになって。

――失礼ながら、考えすぎじゃないかとも思ってしまいますが。

青木:そうかもしれません。でも、不安に思っていることって、人から「大丈夫だよ」って言われても、「いやいや、それがどうしても無理なの」とか、あるでしょその緊張感から倒れそうになる。仕事以外で倒れそうになったことがないので、「身体ではなく心の問題なのではないか」と思い始めました。

――当時も、テレビとか舞台にけっこう出てらっしゃいましたもんね。

青木:病院の先生からは「いったん仕事を休んでみたらどうです? ストレスになるものを排除したらどうですか」と提案されたんです。「自分がとても緊張してしまう相手と会わないとか、調子が悪くなる場所に行かないとか、そういったことをしてください」って。「それは難しいから、仕事は続けたい」と言ったら、薬を飲んで様子を見ましょうということになりました。それからは、難しそうなお仕事は数回ですけどお断りしました。収録日までずっと不安が募るから、結果的に、やめておいてよかったと思います。

青木さやかは終始、はきはきとした口調でインタビューに応じてくれた

「受け入れるの、嫌でしたね」

――パニック症と言われて、すぐに受け入れられましたか?

青木:私は当時、先生から病名を聞いていなかったような気がします。今回、コラムを書く機会があったので、初めて先生に「私の病気って何ですか?」と聞いたら「一般的にはパニック症というと思いますよ」とおっしゃって。たぶん、それまでは私の負担にならないように、病名をはっきりとは言わなかったんじゃないかと思います。

 パニック症と言われて、受け入れるの、嫌でしたね。病名がわかる前も、薬を飲んでいることはマネージャーさん以外には隠したほうがいいと思いましたし、共演者に伝えたことはないです。言われた相手も困るんじゃないかと。

 それに、お笑いの世界にいるので「青木って狂ってるな」とか「頭おかしいんじゃないの」って言葉は日常的に言われていて。相手はもちろん私を傷つけるつもりはないんですよ。でも、実はけっこう傷ついているので、また何か言われるんじゃないかなと。自分が余裕さえ持てば全然、平気なんだけれども。

――結局、パニック症になってしまった原因はわかっているんですか?

青木:「これが原因です」みたいなことは言われていない。ストレスじゃないのかな。ただ、あんなにずっと怒っていなければ、病気にならなかったかもしれないです。私は怒りがエネルギーだった人間なので、当時はいつもイライラしていたから。

――薬を飲んで楽になりましたか?

青木:緊張感はやわらぐようになりました。倒れそうになったときは、薬を飲めばだいぶ楽になったから。でも代わりに、すごく薬に依存するようになってしまった。薬がないと怖くて。薬を持ってくるのを忘れると、ワーって(心臓が)バクバクしたり。

 やっと手放せたのは、1年くらい前です。ある日、飲むのを忘れて、次の日も飲むのを忘れて、次の日も……みたいなことの積み重ねで1年経っているって感じです。それまで、8〜9年間くらいは飲んでいたと思います。

――パニック症を隠すタレントさんも多いですが、公表したのはなぜですか?

青木:エッセイで書こうと思ったのがきっかけです。もう薬を飲んでいなくて、病気が過去のものになったので、すごく冷静に、客観的に書けるようになったからだと思います。決して「パニック症の人を励まそう」とかいう気はなくて。私は私のことしかわからないので、ただ自分のことを書いたっていうだけです。自分にとっては、隠すことではないかなと思えました。

話の盛り上がりに笑顔を見せるたかまつなな
パニック症になってから、9年ほど薬に頼る日々が続くも、今ではすっかり笑顔を取り戻した青木さやか

偏見や固定観念に苦しめられていた

――パニック症になってよかったと思えることはありますか?

青木:私は、自分の人生に起きることはすべて、何かしらの原因があったうえでの結果だと思っているんですよ。だから「原因はなんだろう、考え方を改めよう」という、ひとつの大きな変化につながっているので、よかったといえばよかったことです。

――病気を経験する前と後で、どう考え方が変わったんですか?

青木:パニック症に対する偏見や固定観念がなくなりましたね。最初は心療内科に通っていることを人に知られたくなくて、マスクをして行っていましたし、パニック症だと知られれば、仕事で使いづらいとか、しゃべりづらいとか、笑いにつながりづらいとか、思われるんじゃないかと思っていました。

 でも実際には、心療内科に通う人も至って普通の人たちだし、自分の偏見に自分自身が苦しめられていたことに気づいたんです。今では「(パニック症で)薬を飲んでいるんですか」って聞かれたら、血液型を聞かれたときに「O型です」って答えるのと同じくらい(の感覚で)、「飲んでいます」って答えられます。

――自分のなかにある偏見や固定観念に苦しめられていたんですね。

青木:私は、過去に植えつけられた記憶のなかで、偏見や固定観念を持って生きてきました。親や友達、先輩などから言われた言葉が頭の中に残っていて、これを言ってはいけないとか、こう生きていかなきゃいけないとか、こういうときはこうだ、みたいな。そういったものがなければ、きっとストレスはなかったと思います。とは言っても、社会に物申すより、自分が変わったほうが早いのだと、恩師に教えてもらいました。まずは自分の偏見をなくして、自分が変わらないといけないと感じています。

――具体的には、どんなことに気をつけていますか?

青木:仕事では、ネガティブなことを思うと倒れそうになっていたけれど、楽しければきっと倒れない。だから、常に楽しい状況を作るために、人を嫌わない、嫌われないことを意識しています人を嫌わないっていうのは、自分と考え方が違う人がいても否定しないこと。誰も何も否定しなければ、自分も否定されないんじゃないかと思って実践しています。できるだけ自分が仕事をしやすい、生きやすい環境を作るには、人との関わり方や生き方を変えるのが大事だと思います。

――自分に対しても厳しくなくなったという面もあるんですか?

青木:私は自分をぜんぜん大事にしていなかったんだと思いますね。自分を大事にすることは、人を大事にすることだと思うようになったので、今は前よりも自分のことを大事にできていると思います。

――最後に、パニック症で悩む人に向けてメッセージをいただけると幸いです。

青木:私は肺がんもやっていますけれども、パニック症のほうが日常的にはつらかった。世間の目が気になるとか、職場には言いたくないとか、そういう思いがあって、それをストレスに感じる人がいるとしたら、「多くの悩みは植えつけられた固定観念に過ぎない」って思ったほうが、楽に生きられると思います。

(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)

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