殺人と死体遺棄に問われているある男の裁判員裁判が、先週24日から始まった。その男・千葉祐介(37)が殺害したのは、妻・恵さん(当時36)。夫婦には3歳になる長男がおり、しかも恵さんのお腹には新しい命が宿っていた。彼はなぜ、妻に手をかけてしまったのか。本人の口から語られた“悲しい”事件背景とはーー。事件後から加害者家族の支援を続け、被告本人とも面会を重ねてきた阿部恭子さん(NPO法人World Open Heart・理事長)がレポートする。
「お嬢様と召使」のような関係
「無実を信じています」
千葉祐介被告の父親は逮捕直後、自宅に詰めかけた大勢のマスコミを前にそう話していた。家族の誰ひとり、被告を疑ってはいなかった。被告が勤めていた会社の人々も、
「まさか彼が人を殺すわけはない。自白を強要されたのでは……」
そう話していたという。
逮捕直後に被告の家族から連絡を受け、被告の自宅を訪問したときにはすでに本人は容疑を認めており、一家はショックを隠しきれない様子だった。
筆者は、これまで数多くの殺人事件の家族を支援しており、その大半が平凡な家庭であったという事実を伝えてきた。その中でも、本件の被告の家族はもっとも犯罪とは縁のない家族に見える。
被告に前科・前歴はなく、特別問題を起こしたことはない。暴力を振るったこともなく、怒りを見せることさえ稀だったという。虫も殺さないような男性がなぜ、人を殺めなければならなかったのか。家族に思い当たる節はなかった。
「妻と出会ったころに戻れたら」
今年4月上旬、警察署の面会室に現れた被告は、やや緊張した面持ちで筆者にそう語っていた。
周りの夫婦はなぜ仲がいいのか、不思議に感じていたという。結婚してからの妻と自分はまるで「お嬢様と召使」のような関係だと公判で供述していた。
被告は事件の約2年前、突然倒れ、医師の診断により車の運転を止められていた時期があった。妻に運転ができなくなったことを責められ、病人に子どもは預けられないと子どもとの関わりを制限されるようになったという。
公判で、被告が運転できなくなったことについて妻が同僚に愚痴っていたこと、「長男は私に似ているから大好き。少しでも夫に似ていたなら育てたくない」「長男のために2人目の子どもは欲しいけど身体の関係は持ちたくない」と話したと同僚が証言しており、夫婦仲が冷え切っていたことは事実のようだ。
被告はある日、妻の日記を見てしまう。そこには、「もっと給料が高い男と結婚すればよかった」「この結婚は失敗」と書かれていたという。
離婚は考えなかったのかーー。被告は、筆者との面会でも離婚の選択肢はなかったと否定した。理由は、被告の両親と妻の両親は非常に仲がよく、親族の関係を壊したくなかったからだという。息子と会えなくなることも耐えられなかった。自分さえ我慢すればよいと考え、妻を旅行に連れて行ったり、高価なプレゼントを贈ることによってなんとか関係修復を試みた。
ところが、一時的に妻の機嫌を取るような場当たり的な行動は、さらに妻の怒りに火をつけた。
「サラ金に手をつけるなんて人間のクズ!」
被告が旅行のために借金をしていた事実が判明すると妻は激怒した。その後、妻が2人目の子を妊娠したことがわかるが、被告は「人間のクズの子どもにしてしまった」と嬉しさよりも後ろめたさを感じたという。
情けない、不甲斐ないという気持ちは誰にも話せず、自殺を考えるようになっていた。
そして2019年5月31日、ついに理性が崩壊する。
「あんたのせいで私の人生はめちゃくちゃになった」
「あんたのせいで恥をかかされている」
と妻に責められ、今までの努力はすべて無駄、妻さえいなくなれば……と、絶望と怒りに支配され、被告は延長コードで妻を絞殺してしまう。
「息子のために捕まるわけにはいかない」
筆者は公判を被告の家族と共に傍聴していたが、次々と明らかになる事実に家族は打ちのめされていた。
被告は妻殺害後、遺体を自宅のクローゼットに1か月にわたって隠し続けていた。周囲の人々は、まさか、被害者が被告に殺害されているなどとは思わず、妻が喧嘩をして出て行ってしまったという被告の言葉を信じて必死に被害者を探し回っていたのである。
なぜ、そのような冷酷なことができたのか。
「息子のために捕まるわけにはいかない。母親を奪ってしまった分、幸せにしなければ」
被告はそう思い、心を鬼にしたという。
被告が逮捕される前日、被告の誕生日を祝うために家族が集まっていた。被告の言動を信じて疑わない家族の姿を見て、これ以上、罪から背を向けてはいけないと犯行のすべてを自白する覚悟を決めた。
「なんて馬鹿なことをしたのか」
情状証人として出廷した被告の兄は、怒りを込める場面もあったが、最後に
「どんなことがあってもお前の兄」
と力強い言葉で語った。
殺人事件の半数は家族間で起きている
不特定多数の人々が犠牲になる通り魔事件や無差別殺傷事件に比べ、本件のような家族間殺人は社会的関心が低く、事件の背景が丁寧に掘り下げられることは少ない。
しかし、日本の殺人事件の半数は家族間で起きており、すべての犯人が異常者というわけではないのだ。なぜ被告が妻を殺めるに至ったのか、その背景を分析するうえで被告がどのような問題を抱えていたのかは明らかにしなければならない。
被告は妻から「あんたの給料が安いせいで、私が働かなくちゃならない」と甲斐性のなさを指摘され、期待に応えられない自分に後ろめたさを感じていた。さらに、病気で運転もできなくなったことで、「男が稼いで運転する」という、地方でまだ根強いステレオタイプの男性像から離れていく自分に、劣等感を抱くようになっていた。
彼の性格について、周囲の人々は口をそろえて、怒った姿は見たことがなく、穏やかだと話す。被告に自分ではどう思うか尋ねたところ、決して怒りを感じないわけではないが、感情を表出することが苦手だという。
被告は吃音があり、緊張が高まるとどもってしまう。昔は今より酷かったことから、人知れず劣等感を抱えていたかもしれない。自己肯定感の低い人にとっては、他人が受け流すような言葉さえも人格否定と捉え、傷を深めてしまう傾向がある。傷を放置し続けると自傷では済まなくなり、重大な加害行為に発展するケースは少なくないのである。
パートナーからの言動に傷ついて苦しいという場合、DVの相談窓口が存在している。こうした相談窓口では、DVか否かを判定するのではなく、相談者が苦しいと感じたことを聞いてもらえる。
しかし、相談者の多くは女性を想定しており、男性が相談しやすい環境にはないのが現状ではないだろうか。被告の周りに同じような悩みを持つ人がいたならば、事件にまで発展しなかったかもしれない。問題のない家庭で育ったからこそ、対処能力も育たなかった。
たとえ、妻の言動に問題があったとしても、人を殺めていい理由には到底なり得ない。罪に手を染める前に、被告には弱さを見せる勇気を、社会にはその受け皿が必要だった。
検察側は、被告の犯行態様は悪質であり、身勝手で短絡的、強い非難に値する行為として懲役18年を求刑。弁護側は、被告は妻から病気のことなど自分ではどうしようもないことを非難され、精神的に追い込まれており、懲役5年から7年が相当であると主張。判決は6月1日に言い渡される。
被告は最後に「私はとても大きな罪を犯してしまいました。刑務所に入ることになりますが、それで終わりだとは思っていません。その先が、償いの始まりだと思っています」と述べた。家族のためにも、この先の彼の償いの人生を見届けたいと思う。
阿部恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)など。