女優・冨士眞奈美が古今東西の気になる存在について語る当企画。今回は、文豪・川端康成との思い出を綴る。
“面白い人たちが集まる会”
先日、『高円寺純情商店街』などの著書で知られる作家のねじめ正一さんから電話があった。ねじめさんは、私が舌を巻くほどの熱狂的巨人ファン、そして『長嶋少年』という小説を書くほどの長嶋ファン。お互い長嶋さんが大好きということもあって、もっぱら野球談議をすることも珍しくない。この日は、二刀流で日米をワクワクさせてくれる大谷翔平選手について話をしていた。
といっても、電話の趣旨は野球ではなく、俳句会について。ねじめさんは、父が俳人のねじめ正也さんであり、彼自身も直木賞作家にして“詩壇の芥川賞”といわれるH氏賞を受賞した詩人。さらには、私が参加している俳句会のリーダーでもあらせられるのだ。
コロナ禍で停滞する句会。奥方とお嬢さんの助けを得てWEB句会を立ち上げ立派に主導してくださっている。
この俳句会には私を含め10数人が参加している。編集者、アナウンサー、政治記者など垣根を越えた俳句好きが集まっては、投句し合う。これが月1回の刺激です。
兼題といって事前に季語を5つくらい提示し、句会までに作ってくる。当日、無記名で投句し、誰の句かわからない自分以外の俳句を選び読み上げ、感想や批評し合った後に、自分の作品であれば名乗る。これが句会の大まかな流れ。
こんなふうに書くとなんだか厳粛な会に思われそうだけど、実際にはたくさん無駄話も飛び出す“面白い人たちが集まる会”だったりする。
少し前までは、私は月に3つほど句会に参加していたけれど、コロナが流行してからは少なくなってしまった。句会は“密”ですからね。みんなに会えません。俳句は、五七五のリズム。勢いも大事。月に3回くらいあるほうが、いつも俳句を作る気持ちになるから、思いがけなくよい句が生まれることもある。コロナ禍よ、いつになったら、終わるやら。
今でこそ、いろいろな文化人の方と交流を重ねさせていただいているけど、デビュー時分は、こんな未来が訪れるなんて夢にも思わなかった。
美人というのはね、条件は猫背です
NHKの専属からフリーになったころかしら。後に、日本人として初のノーベル文学賞を受賞する川端康成先生とご一緒したことがあった。
京都で講演の仕事が入ったのだけれど、その講師というのが、当時大人気だった俳優のフランキー堺さんと、川端先生。そして私。私のテーマは女性目線で野球を語るというものだった。いま考えると不思議すぎる面子よね。
スタッフを含め、みんなで列車で京都に向かったのだけど、当時私は右も左もわからない新人だったものの、川端先生が偉大な方ということはわかる。『雪国』や『伊豆の踊子』なら私だって拝読している。全員がおそれ多いと敬遠して、誰も川端先生の隣に座りたがらない。というわけで、いちばん年の若い私が川端先生の隣に座ることになってしまった。
車窓の風景が目に入ってこないくらい硬くなっていると、「美人というのはね、条件は猫背です」と、突然、川端先生が私に話しかけてくださった。「美智子さまをご覧なさい。あのたたずまいの美しさといったら」
唐突な話題に面食らっていると、「あなたも少し猫背ですね」って。あとで思えば褒めてくださったのかもしれない。だけど、緊張してそれどころじゃない。フランキーさんの名ゼリフじゃないけれど、私も“貝になりたかった”……。
なのに─。講演が終わると、川端先生とふたりきりで京都御所を散歩することになった。お相手のできる人がいないってことなんだろうけれど、私だっておそれ多くて話すことなんてない。私は、内心「生贄みたい」と思いながら、しとしと雨がちらつく中を相合い傘。無言で散策したことを、時折、小雨が降ると思い出す。
〈構成/我妻弘崇〉