井田奈穂さん『選択的夫婦別姓・全国陳情アクション』事務局長

「アメリカのカマラ・ハリス副大統領やカナダのジャスティン・トルドー首相、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は別姓夫婦です。夫婦がお互いの氏名のままでいることで、社会問題が起きたことはありません。それなのに、なぜか日本では認められない。国際結婚では夫婦別姓が基本なのに日本人同士だとダメ。夫婦同姓が強制されている国は世界中で日本だけ。国連から何度も改善勧告を受けている、まさにありえない状況です

 こう語るのは、市民団体『選択的夫婦別姓・全国陳情アクション』(以下、陳情アクション)を立ち上げ、事務局長を務める井田奈穂さん(45)だ。彼女は、企業で広報の仕事をしながら、夫婦別姓も選べるよう法改正を求める活動を続けている。

 選択的夫婦別姓とは、結婚したあとも夫婦が希望すれば、結婚前の姓をそれぞれ名乗れる制度のこと。現在、日本の法律では、結婚した夫婦は同じ姓を名乗るよう定められている。つまり夫と妻のどちらか一方が姓を変えなければならないが、実際には改姓した人のうち96%を女性が占めるのが現実である

 夫婦同姓を強制するのではなく、別姓も選べるよう制度を変えてほしいというのが井田さんたちの要望だ。

「わきまえずに声上げて」と小池都知事

 4月22日、井田さんと陳情アクションのメンバーは、ほかの2つの団体とともに東京都庁にいた。小池都知事に面会し、選択的夫婦別姓の導入を国などへ働きかけるよう促す要望書を渡すためだ。

 記者会見でおなじみのグリーンのジャンパーに黒のスカート、マスク姿で現れた小池都知事に、井田さんたちは要望書を手渡しこう伝えた。

「私たちが全国各地で行った意識調査では、東京都民の約75%は選択的夫婦別姓に賛成です。特に20代女性は41・1%が、自分が結婚するときに“夫婦別姓が選べるといい”と答えています」

 すると小池都知事はこんな話をしてくれた。

「名字の問題というのはとても大切です。(女性が)リーダーになれば登記の問題とか、海外出張とか、研究論文を書くとか、そういうことがたくさん出てくるので、大変な思いをしてらっしゃる人がたくさんいらっしゃいますよね。私の海外出張に帯同してくれた秘書のパスポートが旧姓使用だったために、“あなたの名前どっち?”と問題になって、煩雑な確認が必要になったこともあるんですよ。

 そもそも(世界の中でも日本は、男女格差を示す指数の)ジェンダーギャップが120位という大問題もありますから、国会で動いてもらわないといけないことがいっぱいありますね。これからもわきまえずに声を上げていただきたいです

小池百合子都知事と面会し、要望書を手渡した井田さん(左から4人目)ら

 好感触を得られたのは都知事だけではない。

 井田さんらは5月14日に埼玉県庁を訪ね、大野元裕県知事にも要望書を手渡した。

 大野知事はこう断言した。

「国は基本的な人間の権利をしっかりと尊重していくべき。その中に私は“氏の選択ができる”も入っていると考えています。(姓を)選ぶ自由、権利は国が制限するべきものではない。私は一貫して選択的夫婦別姓に賛成しています」

 いまや各紙の世論調査では6割~7割が賛成する選択的夫婦別姓。その実現を求める裁判も全国で相次いでいる。次の衆議院選挙の争点になるともいわれている。

 なぜ「姓を選べる社会」が求められているのか? その理由や背景はさまざまだが、井田さんら当事者の抱える思いはみな、切実だ。

結婚した途端、「うちの嫁」扱いに

 井田さんは2度の結婚を通して、2度とも改姓をしている。どちらも自分が望んだことではなかった。

 最初の結婚は19歳のとき。学生結婚だった。自分の氏名に愛着のあった彼女は、名字を変えたくないことを彼に伝えると「妻の名字に変えるのは恥ずかしい」と一蹴された。両方の実家でも「女性が変えるのが当然。あなたのほうがひと回りも下で長男の嫁なんだし」「結婚は家と家とのつながり」と説き伏せられ、誰ひとり井田さんに共感してくれる人はいなかった。

「当時、知識もなかったので“そんなものなのかな”と自分を納得させて、井田姓に改姓しました。でも改姓後は人知れず違和感がありました。出産のため入院したとき、病院で毎日、“井田さん”と呼ばれ続け、気分が沈んでいきましたね」

 そして結婚した途端、夫の家族から「うちの嫁」として扱われることにも驚いた。

「夫の父が突然、“うちの嫁には家紋入りの喪服を作る”と呉服店の人を連れて家にやってきたのです。“ありがたいけれど、好きな人と結婚しただけで井田家の嫁になったつもりはないので”と断っても、“あなたの意思は関係ない”と言われ、採寸するまで粘られました」

初婚のとき、義父に強制的に作らされた家紋入りの喪服は葬式の際に着て、地域を練り歩いた

 親戚が集まる行事では、女性がお酌や給仕をするのが当たり前。井田さんが酔った男性の親族に身体を触られたり、セクハラ発言を受けたりしても、周囲は笑うだけだった。

「まるで生まれた“家”から彼の“家”に譲渡された、どう扱ってもいい人間のような扱いをされたことがとてもショックでした」

 改姓をしたから「うちの家に入った嫁」という意識になり、所有物のような扱いを受けるのだろうか? そう思わずにはいられなかった。

 大学卒業後、新卒で入った会社でも改姓後の「井田」を名乗ることにした。

「大学卒業時は就職氷河期。会社に“旧姓を使用したい”とは言い出せませんでした。旧姓通称の使用は企業にとっても面倒ですからね。ただでさえ入社時にはすでに子持ちだったので、“面倒なことを頼みにくる新卒”は採用されないのではと思ったんです」

 大学卒業時、夫は「家庭に入り俺を支えて」と言った。就職を希望した井田さんに「仕事は妻が勝手に始めた趣味だから」という理屈で、「仕事に必要な保育料は自分で負担するように」と突き放した。そのうち食費や光熱費などの生活費、子どもの学費さえ分担を断られるようになった。「今なら経済DVですよね」と井田さんは言う。

19歳で学生結婚。ほどなくして長男を出産したが、入院した病院では1週間、井田姓で呼ばれ続け、違和感がぬぐえなかったという

 そうした事情も遠因となり38歳で離婚。親権は井田さんが持ったのだが、「自分の姓は変えたくない」という子どもたちの希望もあり、旧姓には戻さず、「婚氏続称」を選んだ。日本の法律は、母の戸籍に入れる子は同じ姓でなければならないからだ。

「私が味わったような望まない改姓の苦痛は、子どもたちに味わわせたくないし、いい影響を与えないでしょうからね。私としても、20年近く井田姓でキャリアを積んできて、いま生まれ持った姓に戻しても不都合なだけだと考えて、そうしたんです」

再婚での改姓で苦痛を知った

 そして'17年、現在の夫と再婚する。当初、結婚届を出すつもりはなく、事実婚状態だったのだが、夫が手術を受けることになったとき、思ってもみない出来事が起きた。

「彼が腫瘍の摘出手術を受けることになり、合意書にサインをしようとしたら、できなかったんです。病院側に“奥様でない方には署名はしていただけない。本当のご家族を呼んでください”と言われ、妻として扱ってもらえないのかとショックでした」

 再婚に伴い、また改姓しなくてはならないのか、それは嫌だな、と思った。しかし、再婚しても「井田」姓のままでいるということは、今の夫に望まない改姓をさせたうえに元夫の姓を名乗らせることになってしまう。

「さすがにそれは、あまりにも酷だと思って、しかたなく2度目の改姓をしました」

 子どもたちといた戸籍を抜けて、井田さんは夫との戸籍へ。つまり現在、井田さんと夫の戸籍、子どもたちの戸籍と、1つの世帯に2つの戸籍がある状態になっている。仕事では引き続き通称として「井田」姓を使用している。

 この再婚で、彼女は初めて社会人が改姓する苦痛を知ったという。

「名義変更を繰り返すたびに、自分が名乗ってきた名前が消されて、上書きされていく苦痛を味わいました。改姓すると“あなたの名字がなくなりました”というお知らせが役所から届くんですね。印鑑証明を取り直しなさいとか。“私はいなくなって別人となって生まれ変わった。社会的な死を迎えたんだ”というのをすごく感じました

19歳で学生結婚。ほどなくして長男を出産したが、入院した病院では1週間、井田姓で呼ばれ続け、違和感がぬぐえなかったという

 膨大な数の名義変更にも悩まされた。銀行口座やクレジットカード、パスポート等々。特に、目前に迫った海外出張のためパスポートの名義を至急変更しなくてはならなかったときは大変だった。名義を変えると、出張先でのカンファレンス(会議)の登録名ではなくなってしまい、会場へ入れない可能性がある。そこで、パスポートに旧姓を併記するためにパスポートセンターに3度行き、通常の書類に加え8種類の書類を提出しなくてはならなかった。

 また、生活費などの引き落としに使っていたクレジットカードの名義変更をしようとしたら、カード番号も変えざるをえず、すべてのカードの決済設定をやり直すことに。これが2年間も続いた。

 夫婦同姓が強制されているのは世界で日本だけと知ったのは、そんな果てしない名義変更に追われていたころ。

「カナダに住む姉が別姓結婚をして、国籍も苗字も元のままで仲の良い家庭を築いているんです。姉に“なぜそんなことをやらなきゃいけないの?”と聞かれ、“今の日本の制度じゃ許されないらしい”と答えたのをよく覚えています」

 井田さんの姉が住むカナダのケベック州は、ジェンダー平等や「自分のルーツを大切にする」という方針から、婚姻による改姓を禁じている。つまり100%、夫婦別姓の地域だった。

「でも、姉は“夫婦別姓で困ったことは1つもない”と言うんです。目から鱗がボロボロ落ちました。日本の状況を変えなくては──、そう思うようになりツイッターでつぶやき始めたら、仲間がどんどんできていきました

 そうして立ち上げた陳情アクションの正式メンバーは現在、270名に達している。

夫婦別姓のため「ペーパー離婚」する実情

 陳情アクションのメンバーには、本来の名字を取り戻すために「ペーパー離婚」をする人たちが少なくない。

 ペーパー離婚とは、法的には離婚して姓を変えるものの、実生活ではこれまでどおりの結婚生活を継続して「事実婚」の状態へ切り替えること。女性誌『VERY』で活躍するモデルの牧野紗弥さんが告白したことでも話題になった。

VERYモデル・牧野紗弥さんのインスタグラムでは、取材を受け、夫婦別姓について思いを語ったとの報告も

 大阪在住の奥西由貴さん(32)と木村知玄さん(32)も近々、ペーパー離婚を予定している。

 奥西さんは製造業の会社のIT部門で働き、木村さんはメーカーの研究職に就いている。2人は'16年に結婚。その際、どちらの姓を選択するか話し合った。奥西さんは「生まれ持った名前を変えたくなかった」と言う。

「私は自分の名前に愛着がありました。でも、夫が研究職なので、姓を変えるとキャリアの分断になってしまう。そのため仕方なく戸籍上は木村姓となって、業務上は旧姓で働いていました」

 なんの問題もないと思っていたが結婚後、時折、違和感を持つことがあった。

「銀行や病院に行くと、戸籍上の姓で呼ばれますよね。健康診断でもそう。自分で認識していない名字で呼ばれることに抵抗はありましたし、ことさらそれをオープンにしたくないと思っていました」

 しかし、同僚からは「本当は木村さんなんでしょ?」、「ラブラブのくせに、なんで?」などと冷やかされ、戸惑う毎日。

 このままでいいのだろうか? そんな思いがぬぐえなかったころ、奥西さんのもとに免許更新のハガキが届く。

「私はゴールド免許なんですが、今までは免許証の表面の名前は“奥西由貴”で、裏面に結婚後の木村姓と“旧姓を利用した名前”が両方書かれていたんです。例えばコンビニで荷物を受け取るときなど、免許証を見せれば“奥西さんですね”と言われ、特に問題はありませんでした。

 ところが、新たに免許の更新をすると、免許証の表面が“木村(奥西)由貴”という表記になるとわかった。自分は誰なんだという思いが込み上げてきて、そもそもなんで自分が名乗りたい名前を選べないのか、疑問に思うようになったんです

 2人で時間をかけて話し合った結果、夫婦別姓にするため離婚し、事実婚へ切り替えることを決めた。奥西さんは母親へ「本当は奥西として生きていきたい」と折に触れて伝え、理解を得たという。

 医療従事者として働くYさんは、20年前に結婚し、出産した直後にペーパー離婚して事実婚となった。

「そもそも結婚自体は望んでいました。子どもを授かったときにどうしようかとなって、当時は婚外子に対する差別もあったので、出産直前に婚姻届を出しました。結婚の合意はあって子どもを持ったんだという形にしたかったので。生まれた子どもの出生届を出して、産休中にペーパー離婚をして、元の名前で職場に復帰しました

 Yさんに、なぜそんな方法を取ったのか理由を聞いた。

「よく聞かれるんですけど、私にしてみれば、生まれ持った名前を名乗るのに理由を求められることのほうがおかしい。変えたい人は理由があるだろうけど、変えたくない人に理由はない。自分が実績を積んできた氏名だし、私の名前だから、というだけ」

「最初から事実婚にしておけば」と後悔

 北海道に住む佐藤さんと西さん夫婦も、結婚届を出してから半年後の昨年8月、事実婚に切り替えた。2人は共に病院職員として働いている。

 妻の佐藤さんが言う。

「私は自分の名字のままでいきたかったけど、どちらかが変えなきゃいけない。やっぱり男性が名字を変えると“婿養子なの?”とか“妻がいいおうちの人なの?”とか、いちいち聞かれたりするだろうな、彼も名字を変えるのは嫌だろうなと思いました」

 本当は、「最初から事実婚にしておけばよかった」と後悔している。

「結婚届を出した当時は今みたいに仲間もいなかったし、やはり社会とか職場や家族のことを考えると、これでやっていくしかないな、となかばやけくそな感じでした」

 それでも、「なんで嫌な思いをしてまで生きていかなければならないのか」と悩んだ末、事実婚という選択にたどり着いた。ここに挙げた3組は、選択的夫婦別姓が認められていれば、そもそも離婚しなくてもよかった人たちだ。

 陳情アクションのメンバーで事実婚を選択するカップルは増えている。だが、当事者になって初めてわかるデメリットも多い。

 例えば、法的に「配偶者」とは認められないために、配偶者控除を利用することができない。前述した井田さんのケースのように、入院や手術の同意書に家族としてサインが認められないことがある。

 最大のデメリットは、事実婚のパートナーには相続権がないことだ。有効な遺言書がなければ、遺産は亡くなったパートナーの親族などが相続人となる。また、子どもが誕生した場合は、自動的に親子であると認められるのは母子関係のみ。父子関係は改めて認知の手続きをしなければ戸籍に記載されることはない。

 先述した奥西さんと木村さん、佐藤さんと西さんの両カップルも、今のところ子どもを持つことは考えていないと言う。だが、「いつか選択的夫婦別姓が現実となった暁には、考えたい」と口をそろえた。

「夫婦同姓」は日本の伝統ではない

 意外に思われるかもしれないが、日本は古の昔から「夫婦同姓」だったわけではない。制度化されたのは明治時代の1898年。実は、120年ほどの歴史にすぎない。

「日本の伝統と思われているものって、明治時代に作られたものが結構多いんです。例えば江戸時代には、女性のほうから三くだり半、つまり離婚を突きつけるなんてことも普通にあったんですね。女性が財産を持つことも可能で、自分で商売を営むこともできました」

 名字を持つ豪族や武士には結婚改姓の伝統もなかった。一般の人が姓を名乗ることが義務化されたのは明治時代になってから。徴兵管理のためだったと言われている。

 明治31年(1898年)、時の政府は、男性を戸主(家長)としてほかの家族を支配する「家制度」を民法に導入。それと同時に作られたのが、西欧のまねをした夫婦同姓の制度だった。

「夫婦同姓には、女性が男性の家に入り、家や戸主に付き従うという意味合いがありました。さらに明治民法のもとでは、女性が持っていた財産権、子どもの親権、離婚を言い出す権利、自分で住居を決めたり職業を決めたりする権利も一切、失われました」

 1947年に民法改正に伴い「家制度」は廃止されたが、夫婦同姓の制度は変わらなかった。

「女性がサポート役になって、男性を持ち上げるのが正しい日本のあり方だという、家制度とともに培われてきた考え方も定着してしまいました」

 このようにして夫婦同姓を義務化する制度は生き残り、いまなお女性たちにプレッシャーを与え続けている。

陳情アクションが力を注ぐ3つの活動

 井田さんたちが陳情アクションで行っている活動は大きく分けて3つ。地方議会からの働きかけ、国会議員への働きかけ。それから、政治家や市民を対象にした選択的夫婦別姓についての勉強会だ。

 活動を始めるきっかけはツイッターだった。

「姓を変えたことによる名義変更があまりに大変で、ツイッターで試しに検索してみたら、私と同じように結婚による改姓問題で困っている人のツイートがたくさん出てきました。いまの日本では、姓は家の名を表しているのではなく、個人名のはずです。しかし、廃止されたはずの家制度の考えにとらわれて、夫婦別姓に抵抗を感じる人が多いこともツイッターを通してわかりました

 そうやってツイッターで知り合った人に誘ってもらい、井田さんは選択的夫婦別姓を望む人たちが集まるオフ会に参加した。

「オフ会のメンバーは、ずっと前から活動をしていて、40年以上も議論が続いてきた経緯を教えてもらいました。そんなとき、サイボウズの青野慶久社長が訴訟を提起したことを知ったんです」

 サイボウズは、テレビのCMなどで知られるソフトウエア会社である。

青野氏は「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」共同代表も務める

 青野社長の戸籍名は「青野」ではない。婚姻にあたって、結婚相手が「名前を変えたくない」と言うので、「自分が変えるのもおもしろいかな」という軽い気持ちで改姓したという。ところが、海外出張でのパスポートの名義や銀行口座の開設などで困りごとが続出。結婚後もそれぞれの姓を選べる「夫婦別姓」を認めないのは憲法違反だとして'18年、国を提訴している。

 同年3月、井田さんは議員会館で開かれた、選択的夫婦別姓を求める院内集会に参加。そこで大きな疑問を抱く。

「集会には、超党派の国会議員24人、議員秘書42人を含む148人が参加していました。こんなにたくさんの議員さんたちが参加しているのに、なぜ(夫婦別姓が認められるように)法改正されなかったんだろう、と」

 また集会には、選択的夫婦別姓を望む夫婦もたくさん出席しており、当事者同士で情報交換ができたことは井田さんにとって大きな喜びだった。

 そこで出会った地元の仲間と「地元選出の国会議員に法改正を頼みに行こう」という話になり、仲間の粘り強い交渉の末、同年8月に東京・中野区選出の国会議員である松本文明衆院議員に会いにいくことができた。

 それまで政治とは無縁だった井田さん。議員と名のつく人との初めての対面はドキドキものだった。井田さんらの訴えに、松本議員はアドバイスをくれた。

「私たちが困っているのは理解できると言われました。でも“国会議員は昔ながらの家族観を持っている支持層の顔色を見ざるをえない”とおっしゃったんです。だからこそ、法改正を求める当事者があちこちで陳情をして、意見書を地方議会から国会に上げる。そうやって“これだけ多くの人たちが法改正を求めている”と示してくれれば、国会議員も議題にあげやすくなるんですよ、と──」

 陳情の具体的な出し方まで教えてもらった井田さんたちは、それを実践していった。中野区議会の議員ひとりひとりに会いに行ったのだ。

「熱心に話を聞いてくれることに感動しました」

 同年12月、井田さんたちの出した陳情は中野区議会で賛成多数で可決された。国会へ選択的夫婦別姓を求める意見書が送られることが決まったのだ。

 井田さんたちは「陳情を通じて地元の地方議会から国会へ意見書を送る」という方法を身をもって体験した。そこから、「このノウハウを共有すれば、法改正を望むほかの人たちも同じ動きができるのではないか」と思い、陳情アクションを立ち上げ、同時にサイトも開設した。

 井田さんのツイッターには選択的夫婦別姓に賛同する意見も多く届くが、反対する声もある。露骨な人格批判や罵詈雑言を浴びせるようなケースを除いて、彼女は投げかけられたツイートのほとんどすべてに返信をしている。

院内集会でスピーチする井田さん。選択的夫婦別姓を求める声は広がりつつある

「反対派のご意見は大変ありがたいんです。選択的夫婦別姓に懐疑的な議員にお会いするためには、反対を唱える人たちが何に反対しているのか、調べて資料をきっちり作らないといけない。これは営業などでも同じこと。相手は何かしらの不安をお持ちですよね。その不安に応えるために、こういう資料をお持ちしましたと。そう言えるかどうかで心証がだいぶ違うんです。

 反対派の方への返信は、法改正に関して懸念を持たれる人に対して議論するための訓練、“壁打ちテニス”みたいなものなんです(笑)

 現在、全国各地の地方議会で可決された「選択的夫婦別姓」を求める意見書は214件。そのうち73件は井田さんたち陳情アクションのメンバーが陳情を行ったものだ。

「だから地道にやっていこうと思っています。地方議会に声を伝えていくし、旧姓使用に限界を感じたり、トラブルに巻き込まれたりした人の資料を作って各政党に働きかけていく。市民や政治家向けの勉強会も開催しています」

「子どもがかわいそう」だから反対?

 選択的夫婦別姓を求める世論が盛り上がりを見せる一方、「家族の絆が薄まる」「社会が壊れる」「犯罪が増える」「子どもがかわいそう」などと反対する人たちが根強くいる。一部の国会議員をはじめ保守系の政治家たちだ。

 今年1月30日、自民党の国会議員50名が、「選択的夫婦別姓制度への反対」を呼びかける書状を地方議員に送っていたことが明らかに。そこには、男女共同参画担当相に就任した丸川珠代議員の名前もあったことが発覚した。

「議会で選択的夫婦別姓制度の実現を求める意見書が採択されないよう“お願い”する」という内容の手紙が送付されてきたとして、埼玉県議会の田村琢実議長(当時・現幹事長)が公表したのだ。

 報道によると、47都道府県議会議長のうち、自民党に所属する約40人に同様の「手紙」が送付されたと伝えている。田村県議は、次のように語ってくれた。

選択的夫婦別姓は今すぐにでも制定すべき問題です。しかし、一部の政治家が当事者のことを理解せずに、自分の意見を主張するために頓挫している。公の政党はほとんど賛成です。だから、これは自民党だけの問題なんですね。私も一政治家として、こんなことはすぐ解決しなきゃいけないのに、一生懸命にならざるをえない井田さんの立場をつくってしまったことに申し訳ないと思っています」

 井田さんは、「さすがにこれは卑怯だと思った」と憤る。

「私たちは正当な手続きで、法律にのっとって、国に意見を送るために地方議会へ意見書を可決してもらうよう働きかけてきました。国民が国に意見を届ける正当な手続きが地方議会の意見書です。改姓問題は、国民の困りごとです。その声に耳を傾けないばかりか、水面下で動いて反対せよと圧力をかけるのはまったく失礼なことですよ」

都議会へ提出した請願の採決を見守る井田さん。19年6月19日、賛成多数で無事に可決された

 陳情アクションは手紙に名を連ねていた50名の国会議員のリストを公開、さらに公開質問状を提出した。手紙を出した経緯と見解をたずねたが、回答があったのはわずか3人、正面から質問に答えた議員は1人もいなかった。

 家族法に詳しい立命館大学の二宮周平教授は、手紙で触れられていた「(別姓が容認されると)社会制度の崩壊を招く」などの意見は「理がないし、説得される反対意見はひとつもない」と切り捨てるコメントを出している。

 同じく手紙にあった、「子どもにとって好ましくない影響があると思う」という意見も、選択的夫婦別姓をめぐって頻繁に耳にする。

例えばわが家では、私や夫と子どもたちの姓が違うけれど、とても仲よし。陳情アクションのメンバーを親に持つ別姓家庭で育った子どもたちに聞いても“意識したことがなかった”“普通に仲のいい家族なのに、なぜ他人が決めつけるのか”という意見ばかりでした」と井田さん。

 それにしても、どうしてこうした圧力がまかり通ってしまうのだろうか?

「40年間、ずっと反対している人たちが一定数いるんです。(日本最大規模の保守系団体である)『日本会議』が代表的ですが、彼らは男尊女卑的な考えを持って譲らない。男性の名字に女性は合わせるべきであり、女性は3歩下がって家事育児を担い、美しい国・ニッポンを支えるべき……等々。天皇がいちばん上にいて、社会の最小基盤は家族であり、ピラミッド型構造であるという家族的国家観を持つのは自由ですが、他人に強いることはできないはず」

 井田さんが出会った「反対派」の中には、夫婦別姓が選べるようになると、「女性に男性と同じ権利があるとわかってしまったらまずい」と公言した区議会議員もいる。

「姓を選べる自由」をあきらめない

井田さんには、「次世代に改姓を強制される苦しみを引き継がせたくない」との強い思いがある

 さらに井田さんは、日本社会で強いとされている「同調圧力」にも目を向ける。

自分たちは我慢してきたのに、下の世代が結婚後も元の姓を選べるようになるのはずるい、という人たちがいます。これは部活のしごきと一緒で、“俺たちだってしごかれて理不尽な思いをしてきたんだから、次の世代が楽になるなんてずるい”というのと同じ発想です」

 また一方で、「男性優位の世の中をうまく渡ってきた。だからあなたも利用してやればいい」と、違う形で同調圧力をかけてくる女性もいると井田さんは言う。

「男のほうに合わせて、それなりに頭を使って、うまく可愛がられる女でいなさいよ、というわけです。でも、それで何が残ったのでしょうか? 結局、次の世代に自分と同じ苦しい思いをさせることになるのではないか。子どもたちに“これが日本なんだよ。あきらめて”と私は言いたくない。望まない改姓を強いられる理不尽なことは、もうやめにしなくては」

 選択的夫婦別姓を求める訴訟で、2015年に最高裁大法廷は「民法の規定に男女の不平等はなく、夫婦が同じ姓を名乗る制度は日本に定着しているとして、合憲との判断」を示した。だが一方で、制度のあり方は国会で議論されるべきだとも指摘している。

「サイボウズの青野さんも裁判で戦ってくれて、また前向きな判決も増えています。私は別姓が認められるよう法改正されるまで、地道に松明を掲げて主張していきたいと思っています。でも、本音を言うと私の代でこの活動は終わりにしたい。次の世代へ引き継ぐ必要はないように、これからも声を上げていきます」

(取材・文/小泉カツミ 撮影/矢島泰輔)

こいずみ・かつみ ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけ、著名人インタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほか著書多数