フォーリンラブ・バービーとイモトアヤコ 撮影/週刊女性写真班

「芸人の解散でいちばん多いのは、全然売れず“お前と組んでいても未来が見えない”となるパターン。あるあるです」

 とは、お笑い芸人を長年取材し続けているライター・篠崎美緒さん。例えば、今や売れっ子のケンドーコバヤシがユウキロックと組んでいた“松口VS小林”もこのパターン。泣かず飛ばずの中、時間だけは無常に過ぎていく。ふと見渡せば、友人は家庭を持ち、会社では役職もつき始めている……。

元コンビ芸人は意外に多い!

30歳や40歳など節目の年に、芸人をあきらめる人は少なくないです。逆に、ある程度有名になっちゃうと解散もしないですね。Take2(深沢邦之&東貴博)やDonDokoDon(山口智充&平畠啓史)などはコンビで活動をしていませんが、名前はそのまま残している状態です

 アジアン(隅田美保&馬場園梓)やザブングル(加藤歩&松尾陽介)のように知名度があるのに解散するケースは珍しいそう。

「ウィキペディアの“解散したお笑いコンビ”というページは、無名のコンビがズラリ。読み終えるのは相当大変です(笑)。そして、あそこに載らないレベルのコンビも無数にいます。ダンカンさんの名言に“芸人が売れるための要素はただひとつ。やめないこと”というものがあるんですが、要はそこまで耐えられるかどうか、です」

 やっぱり気になるのは、仲たがいによる解散。

「チュパチャップス(宮川大輔&星田英利〈元ほっしゃん。〉)は上京するかどうかで意見が割れて。結局、名古屋駅のホームで大輔さんが解散を切り出し、星田さんも食いぎみで“俺もそう思ってた!”と。コンビ末期はかなり険悪な仲だったと本人も言っていますが、今は仲よし。その一方で、“元相方とだけは仕事をしたくない”と共演NGにしている人もいます(笑)」

 また解散により、片方は芸人を引退することも多い。ピンのイメージが強いが、実は元コンビという芸人は少なくない。

「土田晃之さん(元U−turn)やいとうあさこさん(元ネギねこ調査隊)、とにかく明るい安村さん(元アームストロング)、たむらけんじさん(元LaLaLa)……など挙げたらキリがありません」

 芸能界を去った元相方とはどうしても話が合わなくなり、自然と疎遠になっていくよう。

「ジャリズム(渡辺あつむ〈現・桂三度〉&山下しげのり)のように解散と結成を繰り返すコンビも。また不慮の理由で解散を余儀なくされた場合は、今でもコンビ愛が強い。例えば“カンニング”は中島忠幸さんが白血病で他界され、竹山さんは相方の存在を残すべく“カンニング竹山”を名乗るように。升野英知さんの“バカリズム”も想定外の解散で、コンビ名を芸名にしています」

ダチョウ倶楽部や今田耕司も!

ダチョウ倶楽部3人と電撃ネットワーク・南部虎弾

ダチョウ倶楽部・寺門ジモン、肥後克広、上島竜兵と電撃ネットワーク・南部虎弾 

 当初、ダチョウ倶楽部のリーダーは南部だった。が、「ビー玉飲めるか?」と南部に尋ねられた上島は拒否。南部は脱退、より過激な“電撃ネットワーク”を結成し、世界で活躍。

宮川大輔と星田英利(旧芸名:ほっしゃん。)

宮川大輔と星田英利 

 “チュパチャップス”として活躍するも、宮川が星田の祖父の形見のタバコを勝手に吸い「まずい」。当然、険悪に。その後、東京進出で意見が分かれ、名古屋駅で解散!

カズレーザーとさらば青春の光・東ブクロ

メイプル超合金・カズレーザーとさらば青春の光・東ブクロ 

 同志社大学の喜劇研究会で出会い、“フルハウス”を組む。当時から金髪で全身真っ赤なカズレーザーは、1学年下の東ブクロに「入るの? じゃあ、俺のことレッドって呼んで!」

モンスターエンジン・西森とおいでやす小田

モンスターエンジン・西森洋一とおいでやす小田 (モンスターエンジン・西森の写真は本人のインスタグラムより)

 2人のコンビ“蛇腹”は約1年半で解散。西森は'10年ごろにコント『神々の遊び』で人気に。昨年の『M-1グランプリ』に小田の決勝進出が決まった際には、「何したの、お前?」と西森から言われたらしい。

ゴールデンボンバー・鬼龍院翔としずる・池田

ゴールデンボンバー・鬼龍院翔としずる・池田一真(しずる・池田の写真は本人のインスタグラムより)

 NSC時代に“チョコサラミ”を結成。鬼龍院ばかりが月1の選抜ライブに出演し、舞台に立てない池田はライブ会場の外で号泣。嫉妬ゆえの解散だった。

バービーとイモトアヤコ

フォーリンラブ・バービーとイモトアヤコ

 “東京ホルモン娘”として活動していたが、イモトが『世界の果てまでイッテQ!』のオーディションに合格し、自然消滅的に解散。バービーは“フォーリンラブ”を結成。

マキタスポーツとハチミツ二郎

マキタスポーツと東京ダイナマイト・ハチミツ二郎

 サンキュータツオ(現・米粒写経)を加えた3人トリオ“カミナリボーイズ”として活動した後、マキタはピン芸人に。ハチミツは東京ダイナマイトを結成。

ミキ・昴生とインディアンス田渕

ミキ・昴生とインディアンス・田渕章裕

 “やぶれかぶれ”を組んでいたのはおよそ半年。田渕の現相方・きむは、田渕のことがどうしてもあきらめられず、毎日メールを送って口説いていたとか。

俳優・田口浩正と芋洗坂係長

田口浩正と芋洗坂係長

 芋洗坂がダンサーとして働く六本木のショーパブで、俳優志望だった田口と出会い“テンション”を結成。その後、田口は俳優に。'08年、芋洗坂は『R-1』で準優勝。

小島よしおとかもめんたる

小島よしおとかもめんたる・岩崎う大、槙尾ユウスケ

 早稲田大学のお笑いサークルで出会い、5人組の“WAGE”を結成。解散後、小島のブレイクを受け、岩崎と槙尾が“かもめんたる”を結成、'13年『キングオブコント』で優勝。

青木さやかと東京ダイナマイト松田

東京ダイナマイト松田大輔と青木さやか(東京ダイナマイト・松田の写真は本人のインスタグラムより)

 名古屋で5人組ユニット“温泉こんにゃくアクロバットショー”を組んでいた。数年前のバラエティー番組で、青木は「いちばん仲のいい男友達は松田さん」と明かしている

ほんこんと今田耕司

130R・ほんこんと今田耕司

 “ダブルホルモンズ”を組んでいた。ほんこんの現相方・板尾創路(130R)はかつて“ホンコンマカオ”というコンビだったが、その名を気に入った蔵野孝洋は、自らの芸名に。

ロバートの秋山&馬場とインパルス板倉

ロバート・秋山竜次、馬場裕之とインパルス・板倉俊之

 NSC(吉本総合芸能学院)時代は“ゼナイル”だった3人。ツッコミだった板倉が“俺もボケたい”と脱退することに。人見知りな板倉だが、今でも秋山のことだけは下の名前で呼ぶのがエモい。