3月5日、東京都の都立駒込病院で医療従事者を対象にワクチン接種が行われた

 言葉は生き物でナマモノだなぁと常々思う。次々と新語や造語が生まれ、あっという間にみんなが使うようになる。「〇〇レス」(〇〇がない、〇〇にとらわれない)とか、「〇〇ポリス(警察)」(〇〇に詳しい人が初心者やにわかを締めあげる、あるいは〇〇をしない人々を監視する)とか、汎用性が高いうえに文字数が少なくてすむので、つい原稿で使ってみたくなる。ただ、「〇〇ハラスメント」に関しては、解釈に二面性があって難しい。功罪の両面があると思う。(文/コラムニスト・吉田潮)

ドラマでも当たり前に描かれるように

企業などでもセクハラには敏感になりつつあるが…

 まず、功のほう。「セクハラ・パワハラ・モラハラ」の3大ハラスメントは、もう解説も不要なくらい、言葉も定義も定着した。防止策を掲げる企業や自治体も増えたとは思うが、決してなくなってはいないよな。働く人の意識は高くなっているけれど、芸能人や政治家の犯罪以外のスキャンダル報道には、たいていこの3つがついて回っている。

 思うに、たぶんこの3つは「家庭内で起きている」ほうが、闇が深い。泥沼離婚劇は不倫だけでなく、夫婦間のハラスメントが根っこにあることも多い。

 4月期ドラマでも描かれていた。『リコカツ』(TBS系)では、瑛太の父親(酒向芳)がある意味でモラハラ夫と言える。『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジ​テレビ系)では、松たか子が取引先の社長(谷中敦)からプロポーズ&ハラスメントの屈辱を受けていたし。

 さらには、マタハラ(マタニティ)、ジェンハラ(ジェンダー)、エイハラ(エイジ)、アルハラ(アルコール)あたりは言葉も定着してきた感がある。『カラフラブル〜ジェンダーレス男子に愛されています。〜』(読売テレビ・日本テレビ系)では、吉川愛と板垣李光人がジェンダー問題を掘り下げ、新しいパートナーシップの在り方を描いていたっけ。

 ドラマでも問題提起として、あるいは当たり前に描かれるようになってきた。組織や集団、人間関係において、声を上げづらい・反論や抵抗ができない人を救う意義はかなり大きい。言葉の力で同じ思いをしている人同士がつながることもできるし、組織だけでなく、法律や条例、ひいては社会を変えるきっかけにもなるしね。

なんでもハラスメント化問題

 で、罪のほう。いや、悪いというわけではない。もちろん苦しんでいる人もいるとは思うけれど、たとえばブラハラ、スメハラ、キメハラあたりはどうかなぁ。「なんでもハラスメントにしちゃう」ことの危うさも感じる。

 定着していないところを見ると、かなり主観が強い印象もある。イヤだと思う人の気持ちだけが強烈で、他の人から見ればそこまで気にならないかもしれないという案件だ。

 ブラハラはブラッドタイプ、要するに血液型による差別。「あの人はB型だから仕方ない」とか「そういうとこAB型っぽいよね~」ってやつ。名物だった血液型占いもテレビから消えたし、血液型関連の本もとんと見なくなった。確かに決めつけられたら心外だと思うネガティブな特性もあるが、正直「そこまでイヤかな?」と思ったりもする。

 そして、スメハラ。スメルハラスメント、つまりニオイだ。これに関しては根が深い。口臭や体臭を面と向かっては言えない、言いづらい。それでスメハラを受けているということなのだが、それ自体が差別を生んでいるような気もしてならない。「くさい」というネガティブなパワーワードに日本人は敏感だし、不寛容だ。

 また、ニオイに関しては「デオドラントや洗剤などの商品を売るため」にあえて言葉が作られることもあるので、恐ろしい。加齢臭が最たるものだ。「あなた、スメハラしていませんか?」なんて文言があると、多くの人は危機感を覚え、商品に手を出してしまうではないか。誰からも言われていないのに。で、消臭のために使う洗剤や柔軟剤、デオドラントや香水の香料が新たなスメハラを生むという皮肉な現実もあるよね……。

劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編

 キメハラは、爆発的にヒットした『鬼滅の刃』を観ていない人が「まだ観てないの?」と言われて、疎外感を覚えるというものらしい。いや、もう、これは言葉遊びの範疇ね。「ヒット作や人気作を誰もが観ていると思うなよ」「みんなが面白いというものを自分が面白いと思えるとは限らない」と小さな反逆を起こす人の声だと思うと、なんだか微笑ましい。

 観ていないことでいじめられたりハブられたら問題だけど、ハラスメントのライトテイスト版とでもいおうか。

 ほかにも「ジュジュハラ」とか「不時ハラ」とか「イテハラ」とかもあるのかな? さて、何の作品でしょう? みたいな。答えは最後に。

コロナで新たなハラスメント

 最近は、何でもかんでも「それ、ハラスメントです!」とやたらに叫ぶ人がいて、「ハラハラ」も問題になりつつあるという。ハラスメントハラスメント…もはや言葉遊びか。あれ、脳内に「まえだまえだ」が出てきちゃった。航基と旺志郎、どっちもいいよねぇ。

 そして、目下のところ大きな問題としては「コロハラ」(コロナハラスメント)に「ワクハラ」(ワクチンハラスメント)である。

 コロハラは定義が揺れているが、見ている限り2パターンあると思われる。

3月5日、東京都の都立駒込病院で医療従事者を対象にワクチン接種が行われた

 まず、感染者への差別。感染した人に対する「罪のお仕着せ」。あってはならないことなのに、感染した芸能人や有名人に謝罪を要求する空気。いや、まずは治療でしょ。怖いってば。治癒した人であっても「居づらさやいたたまれなさ」を感じてしまうという。感染を理由に雇い止めや解雇などがあるとしたら、言語道断ではないか。

 逆に、旅行や外食、酒宴をしている人、休業せず営業している店に対する誹謗中傷というパターンもある。これも一種のコロハラであり、自粛警察でもあり。

 そして、主に医療従事者の間で起きているのが、ワクハラだそうだ。「ワクチンを強制的に打てと言われる」「ワクチンを打たなければ職場に来るな」ということらしい。退職を迫られた人もいるそう。もちろん、ワクチンに対して懸念を抱いている人はいる。いろいろな事例を見ているだろうし、「接種すれば感染しない」ではないため、人それぞれの主張と権利がある。それなのに強制するのはハラスメントだという考え方だ。

「ワクハラ」と聞いて、他人事ではないと震撼した。今後拡大していきそうな気がするから。今は医療従事者と高齢者、基礎疾患のある人が接種している状況だが、いずれ全員に接種券が到着する。

「ワクチン打った?」がすでに日常会話になりつつある中で、打った人と打っていない人、自らの意志で打たない選択をした人の間に軋轢が生まれると予測できる。「非接種の人は入場お断り!」とか出てくるかもしれない。それが仕事や人間関係に悪影響を及ぼすとしたら……まったくコロナってやつは! 偏見、差別、分断、対立……生み出すものがえげつなさすぎる。

 誰だってハラスメントの被害者にも加害者にもなりたくない。ならばどうしたらいいのか。まずはミニマムなところから。意外とハラスメントの根っこは家庭にあったりもする。家族だから、親子だから、夫婦だから、きょうだいだからと言って、自分と同じ考えとは限らない。圧をかけたり、強制や強要をしていないか? 自分以外の人の「権利」を侵したり奪っていないか? と考えてみたらよいと思う。

 「今の発言はイヤな気分になった」とか「イヤな気分になる人がいると思うよ」と言い合えるかどうか。直球でもやんわりでも、お互いにハラスメントを意識できるかどうか。家庭をもたない人は、恋人でも友人でも知人でもゲーム仲間でもいい。自分以外の人、必須だよね。

 さて、ワクチン接種券がきたら、どうするか。速攻受けに行きたい人、ちょっと様子見の人、断固として受けたくない人、受けたいのに受けられない人、受けたくないが仕方なく受けさせられる人。それぞれの主張と考え方と選択肢がある。それが権利だ。

 さて。私は、というと、ワクチンは打ちたい人優先で、様子見かな。『鬼滅の刃』は数話観た。『呪術廻戦』は観てない。『愛の不時着』は面白かった! 『梨泰院クラス』は観てない。

吉田 潮(よしだ・うしお)
 1972年生まれ、千葉県船橋市出身。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『くさらないイケメン図鑑』(河出書房新社)、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか』(KKベストセラーズ)などがある。