アグネス・チャン 撮影/近藤陽介

 1971年より香港で歌手として活躍し、'72年より日本でアイドル活動をスタートさせたアグネス・チャン(65)。歌手デビュー50周年を迎える彼女はいつまでも変わらぬ美貌と歌声でわれわれを魅了し続けるが、同時に数々の“伝説”の持ち主としても有名だ。そこで、今回は数々の逸話の真偽を本人に直撃してみた!

“元祖”外国人アイドル歌手

 アグネスが日本での活動を始めたころ、“外国人アイドル歌手”はほかにまだいなかった。つまり、彼女が外国人アイドルの元祖ということ。

「あと、当時の香港にアイドルという概念はありませんでした。女性タレントは歌手か女優に分けられ、私はフォークシンガーという認識だったんです。だから、日本に来てアイドルと呼ばれても『アイドルって何だろう?』と思っていました」

 つまり、アグネス・チャンは“香港初のアイドル”だと言い換えることもできる。年齢以上に幼い顔立ちのアグネスは瞬く間に人気者になり、中国人歌手として初となる日本武道館コンサートを'78年に行った。

「誰もやったことのないことをやり遂げたというのがなによりうれしかったです」

 当時のアイドルの殺人的スケジュールの話はよく耳にする。アグネスの仕事ぶりも常軌を逸していた。

「番組の収録が1日2~3本ありました。あと、深夜放送が流行っていたから、夜11時くらいにラジオ局へ行って曲をかけてもらうんです。それらをすべて終え、そこからがレコーディング(笑)。夜中に帰って朝6時には迎えが来るから髪を洗う時間もなく、着替えと歯磨きだけで精いっぱいでしたね」

アグネス・チャン、デビュー50周年の記念企画として、初期作品の2021年最新リマスタリング音源&紙ジャケット仕様のCDが登場。第1弾ではデビュー時期のライブアルバム3作品(初CD化)が5月に発売された

 そんなアグネスも大人のタレントになり、'86年に結婚。同年には長男を出産した。そして翌'87年、生後間もない長男をテレビ局へ連れていくアグネスを作家の林真理子が批判した「アグネス論争」が勃発する。

「子どもが生まれたらお母さんは仕事をやめなくてはならない、という風潮を変えたかった。でも、うまくいかない可能性だってある。そしたら、ほかの女性が私を見て『母親になるのをやめよう』『仕事するのをやめよう』と諦めちゃうかもしれない。

 だから、『本当に気をつけて子育てしよう』と思うと同時に、母親になってプラスになるような仕事の選び方をしていこうと考えたんです。例えば、味の素やライオンなど主婦が使うもののCMを選ぶようになりました」

 つまり、アグネスは“ママタレの元祖”でもあった! このように、アグネスの活動は次第に社会性を帯びていった。'86年には信州大学の客員講師に就任している。

「私、デビューが早かったので『女子大生になりたい』という憧れをずっと持っていました。勉強というより、新しい知識が脳に入ったとき『なるほど!』って興奮するアハ体験が好き。私はアハ体験を求める中毒っぽいですね」

 また、「いつまでも日本語が上手にならないのではなく、今は日本語がペラペラ」という都市伝説もある。

「私自身はいつもペラペラだと思っているんですけど、この前ラジオで自分がしゃべっているのを聴いたらやっぱり訛ってるなあと思って(笑)。でも下手なのではなくて、訛ってるだけ。明石家さんまさんがずっと東京にいるのに標準語をしゃべれないのと同じです!」

「多くの外国人タレントから『ボス』と慕われている」という都市伝説も。

「ボスではなくて『シスター』とか、若い人は私のことを『ママ』と呼んだりします。グループみたいなものを作っていて、カイヤさんやパックン、ボビー・オロゴンといった有名人から売り出し中の人まで、みんなで助け合ってます。デーブ・スペクターも誘ったんだけど、『私は外国人じゃないし、外国人が苦手だから。みなさんでやってください』だって(笑)」

平和活動への貢献

 アグネスといえば、ボランティア活動も有名。現在は国連機関UNICEFの東アジア太平洋地域親善大使だ。

ユニセフハウス・オープニング記念式典で当時皇太子の徳仁さま、皇太子妃雅子様と談笑(’01年7月)

「『小さいころから奉仕の心を植えつけなければ』と、歩きながら募金活動をするイベントに長男と参加したのがきっかけでした。

 すると、『アグネスさんですよね』とすぐにばれて、そこからシンポジウムの司会などで声が掛かるようになったんです。その後『大使になってくれないか』という依頼を受けました」

 '07年、アグネスの人生に暗雲が立ち込める。初期の乳がんが発見されたのだ。

「手術して9日目、退院した翌日に芸能活動を再開しました。宣告されたとき、三男はまだ小学生だったので『せめて、義務教育の中学校を卒業するまでは……』と思いました。

 子どもは思春期が過ぎたらひとまず落ち着くから、それまでは生きたい! という一心でしたね。でも、おかげさまであれから10数年。子どもたちが与えてくれた力で頑張れました」

 アグネスは、3人の息子たちを全員スタンフォード大学に入学させた。

「子どもたちに『いい成績取りなさい!』なんて1度も言ったことがないです。だけど、方法はあります。私はスタンフォード大学院で教育学を学んだし、トロント大学では児童心理学を専攻したので、その知識をフルに使って楽に勉強できる基盤を作ったんです」

息子3人を名門大学へ導いた教育法

 その体験談を綴った書籍は次々とヒット。中国をはじめとしたアジア主要国で翻訳され、アグネスは教育評論家、そしてベストセラー作家としての側面を強めていった。

「香港で出版された際は、その年の本の売り上げのトップになったんです。すると、香港政府から教育についての意見を求められたり……。いきなりの新しい展開に、私自身がびっくりしています(笑)」

「終活」をテーマにした著作も話題になった('15年12月)

 もちろん、3人の子どもたちは勉強だけを頑張っているわけではない、恋愛だってエンジョイしている。

長男は、プロポーズ後に結婚報告をしてきたんです。私はプロポーズの前に親に相談すべきだと思っていたから、納得いかなかった! 

 長男の奥さんは台湾系アメリカ人です。それまではずっと背が高い金髪のアメリカ人とばかりデートしていたのに、結婚はいきなり私と同じアジア系の女性が相手だって。もうびっくりですよ(笑)。でも、息子を正しい方向に導いてくれるすごくいい奥さんなの。もう、本当に運がいいよ、私!」

 交友関係の広いアグネスには、「ジャッキー・チェンと親友」という伝説もある。

お台場のアトラクション施設でワイヤーアクション体験をするアグネス・チャンと次男の金子アレックス('02年)

次男が所属する大学のミュージカル団体が北京で公演したとき、三男を連れて見に行ったんです。

 そこにジャッキーも来たんだけど、彼が急に私のところに来て『イケメンですね』って言うんです。『そうでしょう。次男、イケメンでしょ?』って言ったら『違う、三男ですよ! 育てるからちょうだい』だって。

 三男は俳優になる気がないからその話はなしになったんだけど、見る目が違うんですね。でも、彼はまだ大学にも行ってなかったし、渡すわけないでしょ!」

 アグネスと話していると、パワーに満ちあふれているとつくづく感じる。若すぎるし、可愛すぎるのだ。

「幼いころから『現状維持したい』という気持ちを持ち続けています。もっときれいになるというより、昨日と同じくらい明日はそのままでいたい。この積み重ねなんです。ずっとそう思っているから、少しは若く見られるのかな?」

 おわかりだろうか? アグネスにまつわる伝説は、実はすべて本当だった。アグネス・チャン、恐るべし!

本人が解説! アグネス・チャン伝説

1 外国人アイドル歌手の元祖的存在

 フォークデュオであるベッツィ&クリスや欧陽菲菲らはすでにデビューしていたが、“外国人アイドル歌手”はまだいなかった。「大阪万博の報道を見て以来、『先進国だな、行ってみたいな』という憧れが日本にありました」(アグネス談 ※以下同)

2 中国人歌手としては初となる日本武道館コンサートを行う

「常に『前進しなきゃいけない』と思っていたし、当時は歌番組やオリコンの順位が毎日のように発表されてプレッシャーでした。そんな中で武道館に行けたので『認められたんだ』と強く実感することができました」

3 アグネス論争で日本の女性の働き方を変えた

「当時は、精いっぱい子どもの世話をしたいし、仕事もしたい。両立するために努力できる範囲で頑張ろうと思っただけなんです。結果的に働くママをみんなで応援しようという社会になってきたので本当によかったです」

4 国立大学である信州大経済学部の客員講師になる

 国際化の機運が高まっていた当時、香港やカナダでの生活をアグネスが綴った『ひなげし語録』の出版社(現代出版)が一般人の客員講師を募集していた信州大学に応募をし、それが通ったためアグネスが就任することに。

5 「いつまでも日本語が上手にならない」のではなく、今は日本語がペラペラ

「この都市伝説は私も聞いたことがあります。でも、日本語の読み書きは問題ないけど話すのは今のレベルが限界かな。もうこれ以上はよくならない気がする。だって、もう日本に来て半世紀ですよ(笑)!」

6 現在は外国人タレントたちから「ボス」と呼ばれている

「外国人タレントが集まる『Uの会』というグループを作りました。Universal、Unityの頭文字のUで、そこではボスではなく『シスター』と呼ばれています

 つまり、「姐さん」ということか……。

7 日本ユニセフ協会大使に就任→現在はUNICEF東アジア太平洋地域親善大使

 現在、国連機関・UNICEFの東アジア太平洋地域親善大使であるアグネス。「今は範囲が広がり、日本や中国を含めてオーストラリア、ニュージーランド、フィジーなど東アジア、太平洋の親善大使を務めています」

8 乳がん手術後から約1週間で芸能活動を再開

 手術後、アグネスはホルモンのアンバランスからくる不定愁訴と、顔が倍近くに腫れるムーンフェイスに悩まされた。だが……。「落ち込んでいた私をなぐさめようと、毎晩三男が寝る前に、『ママ、今日のジョーク』と、ジョークを言いにきてくれたんですね。本当に嬉しかった。それもあって立ち直ることができました」

9 息子3人をスタンフォード大学に入れる

 入学はもちろんのこと、3人とも立派な成績を修めて卒業もしているのだからすごい! アグネスが行ったのは、子どもたちの好奇心を育ててあげる教育法。彼らに知識を身につける感動を知ってもらい、そうすることで勉強を好きになってもらう。これこそ、子どもたちが「楽に勉強できる基盤」だ。

10 中国では教育評論家&ベストセラー作家

「最近は新曲を出してないので(笑)、中国ではCDよりも本が売れています。向こうでは同年代の人ではなく、20代から40代前半がファンの中心なんです。子育て世代ですよね」

11 ジャッキー・チェンと親友

「ジャッキーから学んだことはたくさん。スタッフでもファンでも、とにかく人を大切にするんです。スタッフは長年の人が多いし、彼らが乗る移動車をジャッキーが運転することも。街で写真撮影を頼まれたら喜んで撮るし、私のファンがいたら『撮ってあげます!』って彼がシャッターを押す。私はときどき断っていたけど、反省して必ず応えるようになりました」

12 いつまでも若い!

「可愛い服や靴、アクセサリーなんかを、いつも中国の通販サイトで探しているんです。2000円以下とかでとっても素敵なものが買えちゃう。『この服が似合う人でいる』という気持ちがモチベーションで、今はコロナのせいで体重が2キロ増えちゃったんですけど(笑)、この前体重を落としたら新しい服と靴をたくさん買うって、自分と約束しました」

●アグネス・チャン●1955年香港生まれ。72年「ひなげしの花」で日本デビュー。ユニセフアジア親善大使、日本対がん協会ほほえみ大使。3人の息子がスタンフォード大卒。18年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2022年1月、50周年記念コンサートを開催予定。

(取材・文/寺西ジャジューカ)