完璧主義の母の束縛、認められない苦しさ、愛を受けられなかった憎しみ。何十年も確執のあった実母とひとり娘が、ホスピスで過ごす時間の中で関係を修復して――。
2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今、実母との軋轢やギャンブル依存症、結婚、出産、離婚など、自身の経験を赤裸々に綴った著書『母』が話題となっている。
「10年以上前に『婦人公論』で母との確執を取材してもらいました。その後も何度かお世話になり、1年ほど前に“ウェブサイトで連載を”とお誘いいただいたんです」(青木さん、以下同)
ウェブ連載のタイトルは『47歳、おんな、今日のところは〇〇として』。
「あえて何でも書けるようなタイトルをつけていただいて、締め切りもテーマも文字数も非常にゆるっとしていた。おかげさまで今回、書籍の話になりました」
連載と共通する部分もあるが、ほぼ書き下ろしに近い。
「連載はエッセイでしたが、書籍は“小説にしたいな”と思い、自分としては小説を書いたつもりでした」
だが、林真理子さんが書いてくれた帯の文言を見て“完全にエッセイとして読まれている”という事実に気づく。
「やっぱり主人公の名前を“さやか”としてしまったせいですかね~」
そこで“9割実話のエッセイ小説”と説明することに。
「“9割実話”とうたったのは出てくる人たちに迷惑をかけたくなかったからです。と、言ってしまうと、元も子もないのですが(笑)」
パチンコに明け暮れ、スナックや雀荘で働いていた過去や、自身が患った肺がん手術の経験、愛娘との日常──。各章で語られるそれらは、自然な流れで、母への思いや記憶につなげられる。
この本では母との仲直りを書こうと決める
印象的なフレーズがある。
《もし、母が選べるのだとしたら、わたしはこの母を決して選ばなかった。わたしはアンラッキーだ。どうしてわたしには、この母が割り当てられたのだろう》
「母との確執について、テレビ番組や雑誌で話してきました。それが母が亡くなる直前になって、ようやく関係を変えることができたんです。だから、この本は母との仲直りを書こうと決めました」
本を執筆している中で、青木さんは自身の新たな側面を認識する。
「私は職業柄、自分を客観的に見ることができる。本を書き進めるうちに気づいちゃったんです。“あー青木さやかって厄介な人だなぁ”って」
最近、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉がよく聞かれるようになった。“非常に感受性が強く繊細な気質の人”のことで、おそらく過去の青木さんはこのHSPに近い特性を持っていたのだろう。
「世の中、自分的になにか引っかかる点があっても、それに気づかないふりでスルーできる人が多い。私の場合は、それが苦手です。すべての引っかかりに真正面からぶつかりたがる。こんな人間が身近にいたら周りの人は疲れちゃいますよね。だから友達にすごく感謝したんです。ありがたいな~って!」
母との確執には、自身の“厄介な部分”が関係していると青木さんは分析する。
「私はずっと母が嫌いでした。でもそれは母が特別に悪かったわけでもなく“私でさえなければ”うまくスルーできていたことの積み重ねの結果かもしれない。そんなふうに思うようになりました」
“たわいもない話をする難しさ”を知る
青木さんと母が距離を縮めたのは、死の直前。母が悪性リンパ腫によって入所したホスピスでのことだ。
「親元を離れて上京したときも、娘を出産したときも、自分の中で母への気持ちが変わるかもしれないという期待があった。でも、無理でした。 自然に母への好意を持つことはどうしてもできず“仲直りをしよう”と強く意識して行動することでしか、関係を変えられなかったんです」
青木さんは仕事の合間を縫い、週に1度は愛知県内のホスピスへ面会に出向いた。
「今日は“いい娘じゃなくてごめんね”って謝ろう。今日は手をマッサージしてあげよう。毎回“ミッション”を決めて、クリアできるように努力しました。そのなかでいちばん難しかったのは、“たわいもない話をする”ということ。それって“いい空気感”が必要なんです。和やかでなければ叶わない。でも、母とは何十年もの間、ギクシャクとしていたので、どうしても空気がどんよりとしてしまって」
そのよどんだ空気を変えるため、青木さんは役者としての経験を生かした。
「舞台のお仕事では“登場と同時に場の空気を変えてください”なんて言っていただくことがありまして。母の病室でも最初は演技でしたが、和やかな雰囲気をつくって、世間話をすることができた。最終的に、母とはいいお別れができたと思います」
真正面から母と向き合ったことで、自分に変化が生まれたのだ。母との軋轢の改善は、青木さんに課せられた使命だったのかもしれない。
「例えば友達に愚痴を言ったら、その場はスッキリする。でも、根本的な解決ではないな、と思っていて」
ならばつらくても自分のイヤな部分にちゃんと目を向け、一瞬でもいいから反省するほうが前に進めるのではないかと考えるようになった。
「実際、私はそうすることで母との問題を解決できましたし、ラクになったんです」
それは“あくまでも私の場合ですが”と語る青木さん。100人いれば100通りの母娘関係がある。
「嫌いな親に対して“こうしたらいい”とかでなく、ただ“こんなケースもあるよ”と思っています」
という青木さんも現在、小学6年生の娘の“母”だ。
渾身の書籍を小6愛娘に“やばい”と笑われ
「母から“勉強しなさい”と言われて育ったので、娘には“勉強なんてしなくていい”と言ってきたんです。でも、あるとき娘に“勉強しなくていいっていうことを押しつけないでほしい”と言われました。結局、私は母と同じことをしていたんですよね」
本書には、愛する長女への思い、2人の日常や、執筆中に励ましの言葉を受けたことなど、母・さやかとしてのいい話も満載だ。しかし本が刷り上がったのちの後日談があった。完成した書籍を見た娘は“憎んでたんじゃない、愛されたかった”という帯の一文を見て爆笑したのだ。
「“やばい”“え、なにママ、ソレどんな顔で言ったの?”って思いっきり笑われましたね。娘は私のことをダサいと思ってるんだろうか……はは。小学生の子たちが読んだら、どう思ってくれるんでしょうか(笑)」
小学6年生になった娘からの評価には大いにへこんだものの、周囲からの評判は上々だ。
「おかげさまで私は街で声をかけていただく機会も増えました。その一方で、有名になることの怖さも感じています。かつて、自分を取り巻く状況があまりにも変わりすぎてしまい、私自身と“青木さやか”という商品のバランスを取ることが難しくなってしまった。仕事は好きなのに、“私のことは忘れてほしい”という思いも、どこかにありました」
だが、ちょうど連載を始めた1年ほど前から気持ちが変わりつつあるそうだ。
「心身ともに元気になるにつれて“またがんばりたいな”と思うようになった。だから、連載や本の執筆にも前向きになれました。有名になるのは今でも怖い。でも、一匹狼のような、かつての私じゃない。今は信頼できる仲間、友達、そして娘がいる。がんばれます」
500万部売りたい、と豪語する“作家”としての青木さんは、本当にきっと瞬く間に有名になってしまうだろうと予感した。
ライターは見た!
パソコンはほとんど使えないという青木さん。本書も連載も、なんとLINEで執筆していると聞き、仰天した取材班。
「手書きだと時間がかかってしまうので、スマホでLINEのメモ機能を使って書きました。最後のころは熟練してきて、スクロールの指の感覚でざっくりとした文字数がつかめるように(笑)」
もはや職人の域!? しかも本書の原稿は、ひと月ほどで書き上げてしまったという。
「右手の親指1本で文字を打ち込むので、指が痛くなって書けなくなってしまうことがありました。近所のお友達にそのことを話したら“手塚治虫先生と一緒じゃん!”って言われて高まりました」
自分でも驚くほど筆が進んだという青木さんだが
「この本は、国語教師だった母が一緒に書いてくれたような気がします。学生のころには、母が書いた小論文でアナウンサー試験の面接まで進んだことがありますし(笑)」
スムーズな執筆には、幼少期からの豊富な読書量も関係しているようだ。
「小さいころは毎週のように母が図書館から5冊の本を借りてくれて、例えば平岩弓枝さんの作品など子どもにしては難しい小説を読んでいました。それに、両親ともに本が好きで家には書庫があり、何千冊という蔵書がありましたから。暇があれば書庫にある大人向けの小説なども読んでいましたね。林真理子さんや吉本ばななさんの作品など、自分で買って読んだ本もたくさんあります」
インタビュー中には、同じ小6の娘を持つ弊誌編集Yと娘談義で盛り上がる場面も。
「シャンプーや洗顔料は娘専用のものがあり、『使わないで!』と言われています。そのお金は私が出しているので『どういうことなの?』って思いますけど……。あと、テレビはほとんど見なくてもっぱらYouTubeですし、TikTokにも夢中です。どのあたりが面白いのかサッパリわからないのですが、娘も私のことを見て、同じようにわからないと思っているんでしょうね(苦笑)」
(取材・文/熊谷あづさ)
自分のことが嫌いだった主人公・青木さやかが実母との確執と和解、ギャンブル依存症、売れっ子芸人の苦悩などを綴った9割実話のエッセイ小説。「婦人公論.jp」で話題沸騰中の連載「47歳、おんな、今日のところは〇〇として」にオリジナル原稿を大幅に加筆。
青木さやか●1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ! 」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。