筧千佐子被告のお見合い用プロフィール写真。趣味は「ガーデニング・映画鑑賞」とのこと

 2007年から2013年にかけて、夫や交際相手の男性4人に青酸化合物を飲ませて3人を殺害していた筧千佐子被告。6月29日、最高裁は、弁護側の上告を退け、死刑とした一審京都地裁の裁判員裁判の判決が確定した。3件の殺人罪と1件の強盗殺人未遂罪に問われていたが、彼女と関わって不審な死を遂げた男性は他にも3人いるとされる。8年ほどの間に、相続した総額は10億円以上におよぶという。

 財産や死亡保険金目当てで殺人を繰り返した被告が被害者を物色していたのは、高齢者向けのお見合いサービスだった。そんな彼女とお見合いをした80代の男性Aさんは、千佐子被告とのデートをこう振り返る。

「あの人は若く見えて、きれいな人でしたよ。逮捕されてからは老けているように見えましたが。年齢より若く見えてた人です。

 一回目はお見合い紹介所の人を交えて会って、二回目は二人きりで会いました。彼女の車でドライブです。『私は夫二人に病気で先立たれた』なんてことを言ってて『今は娘の嫁ぎ先にやっかいになっている。この先どうなるかわからなくて不安』などと私に頼ろうという感じで言ってきました。

 『それで、財産はあるんですか?』なんて、会って二回目のデートで聞いてくるんですよ。それを答えなかったからか、次のデートはなかったですね。それから1年以上たってからですよ、警察がうちに来て、当時の事情を聞かれたのは」

 この男性、このまま交際に発展していたとしたら、被害者となっていたのかもしれない。実は、千佐子被告は高齢者向けのお見合い業界では「いい女」で通っていたという。結婚相談所のスタッフの話だ。

「ちょっとした有名人ですよ。高齢者向けのところは、ほかの県でやっている相談所などと、いろんな人のマッチングのやりとりをするんですが、その時に、ほかにもプロフィールが出ていた人です。それで、うち以外にも登録しているんだなとわかりました。そうそう写真は、もっといいのもありますよ」

 千佐子被告は複数の結婚相談所に掛け持ちで登録していた。そこで見せてくれた写真は、化粧もばっちりで高級クラブのママと言われれば、そう見える雰囲気だった。

「でもね、あの人の武器は、女らしさなんですよ。男心を掴むのがうまいんです」(結婚相談所スタッフ)

男心をくすぐる「演出と気遣い」

 最初の見合いの席は、結婚相談所の人間も立ち会う。ここで初めて紹介される千佐子被告はおしとやかな感じで、控えめで貞淑な感じを演出してるのか、「まあ、すごいじゃないですか」と、老人の自慢話をだまって聞いて、相手をほめちぎるのだという。自分については、「結婚は1回だけ。相手には病気で先立たれて、子供たちは独立して、このまま一人でいるのが本当にさみしい」と言うのだとか。

「あの人(千佐子被告)のしぐさは、男心をくすぐるんです。アイスコーヒーなどが出されると、相手にストローの皮をむいて差してから『どうぞ』と出すみたいな細やかな心遣いをする。席を立って帰る時にも、コートなどをハンガーからとって袖を通してあげるような、独り身の老人にはたまらない優しさを見せるんですよ。その後、男性側から『絶対、あの人で』ということもありました」(結婚相談所スタッフ)

 こうした老人同士の見合いの場合、大きな問題があるという。「性の一致の問題」である。

「男性の側も女性の側も、過去に結婚経験などある人がほとんど。それで、籍を入れる前に『身体の相性を知りたい』なんて、直球の話をされることもあるんです。当事者同士にまかせますが」(結婚相談所スタッフ)

 実は、今回、殺人事件として立件されたうちの被害者たちは、そうした千佐子被告の手練手管に飲み込まれていったようだ。被害者の一人Bさんを知る友人の話だ。

「Bさんはお金は持っていたんだけど、質素な生活をしていて、たまの楽しみが、実は風俗だったんです。その人が結婚するんだって聞いた時には、『あっちのほうはどう?』と聞いたら、『そりゃあ、いい女だよ。積極的だ』って。それで、みんな『よかったね』って言っていたんですけどね」

 結婚したと聞いてから数か月後にBさんは亡くなったということを、その友人は保険
関係の人の調査で聞いたという。

 また別の被害者Cさんは、千佐子被告と会って初めて「幸せ」を知ったという。Cさ
んの近所の人の話だ。

筧千佐子被告の別のプロフィール写真

「会社勤めをしながら、農業をされていた人で、すごい真面目だったんですよ。判で押したような生活をしている人で。ずっと母親と二人で生活していて独身でした。母親が亡くなって、定年で職を辞めたのを期に『結婚したい』と言っていて、その条件は最初は『40代くらいの年下』だったらしいのですが、見合いをした同世代の千佐子に骨抜きにされていたようです。

 なんだか、結婚をして生活が変わったようで農協の関係者のほうに『オレは今が一番幸せだ』って言っていたそうです。でも、その数か月後にあっけなく急死してしまった

 他に親族がいないその男性の四十九日もそこそこに財産の整理をして千佐子被告は消えて行ったという。

 一連の事件が2015年に発覚して、千佐子被告本人はマスコミの取材を受けては、男たちのことも赤裸々に語っていた。当時、被告の話を聞いた記者が語る。

「千佐子被告が言うには『私は夫になぜか先立たれてしまう』というのですが、結婚していた男性との夜の生活について『みんな営みはあるわよ。みんな勃つんだから』と力説して、取材場所の喫茶店で話をされた。自分の母親世代の女性にそんなことを言われて困惑してしまいました」

 その時の被告のファッションはロングのTシャツに下は黒いスパッツだっという。年齢のわりには身体の線が崩れていない、女を意識した感じだったとか。しかし、そこで語った自身の生い立ちは、そうした性を武器に生きる女ではなかったようである。

 出身高校は故郷である北九州屈指の進学校である県立東筑高校だ。有名どころでいえば故・高倉健さん、近鉄、オリックスで監督を務めた故・仰木彬さんも輩出した高校。彼女は高校時代エリートだったのだ。

勤務先「住友銀行」と残した千佐子被告の意地

東筑高校時代の筧千佐子被告(卒業アルバムより)

「千佐子被告は『私は九州大学に行って、学校の先生になるつもりだった。それが、父親から『男であるお前の兄も大学に行っていないのに、女のお前が大学に行くのは許さない』といわれて、しかたなく就職した』と、悔しそうに語っていました。

 東筑高校は当時から東大合格者もずっと出しているような名門進学校。昭和21年生まれの千佐子の時代ですから、父親のそうした考えも当時としては当然なのかもしれません。が、彼女にとっては人生を潰された瞬間だったようです」(前出の記者)

 教師の道を諦めた千佐子被告が就職したのは、都市銀行の住友銀行(現在の三井住友銀行)だった。その後、最初の夫と出会い、大阪に居を移す。二人の子どもをもうけたのだが、夫と二人でやっていた自営業はバブル崩壊とともに立ち行かなくなり、夫とも死別する。その後は自宅などを売却するなど、苦労をしていたようである。

「それから数年はヘルパーなどの仕事をしていたようですが、老人相手の結婚をはじめたのは、子どもたちが独立してからのようです。二人の子どもを大学まで出して、一人は教職についたとか」(前出の記者)

 千佐子被告は、手を下した結婚相手たちから総額で10億円とも言われる遺産を相続しているが、そのほとんどを先物取引などの投資の損失でなくしているという。その後、他に収入はなく、逮捕される前には生活保護の申請までしていた。

「拘置所に面会に行った逮捕前から取材していた記者たちは、みな千佐子被告の変貌ぶりに驚いています。かなり老け込んで実際の歳より上に見える。その上、話をしていても、老化が進行しているのか、かなり記憶が曖昧なんです」(前出の記者)

 筧千佐子被告はその人生の最後を死刑で終えることになるのか。「死刑はいや」という獄中の声が報道されているが、自らの人生をいまふり返って、何を感じているのか。

 2010年に発行された東筑高校の同窓会名簿には、千佐子被告の住所と名前がある。この同窓会名簿は進学校らしく、現在の職業と進学した大学名が書かれている。2010年当時、60代に入った千佐子の同級生たちは男女ともそうそうたる肩書と学歴がならぶ。

 そんな中、千佐子被告は当時住んでいた大阪の住所が正しく書かれているにも関わらず、住友銀行という就職先が記載されたままになっていた。これは大学を出た同級生たちに対する被告なりの見栄、というより、同じくエリートとしての意地みたいなものを感じる。もし、高校生の彼女に大学進学の道があったのなら、現在、拘置所で死刑に怯える人生ではなく、平凡な元教師の老女、のような人生もあったのかもしれない。