情念を込めた歌で熱狂的な支持を集めてきた山崎ハコ。実際は朗らかな性格で、事務所にいわれるまま暗いイメージを保ち続けたという。その檻から解放してくれたのが夫でギタリストの故・安田裕美さんだった。夫との永遠の別れを経て、今、新たな決意を抱いた彼女に心境を聞いた―。
「呼んでくれればいつでもギターを弾くから」
2020年7月6日に逝去したギタリストの安田裕美さんは、井上陽水、小椋佳、布施明、杏里、松任谷由実、中島みゆき、松山千春、アリス、山口百恵、石川さゆり……と、錚々たるアーティストとセッションを重ねてきた。
その妻で、シンガー・ソングライターの山崎ハコ(64)が、今年7月4日に一周忌イベント「安田裕美の会」を開催。アルバム『山崎ハコ セレクション ギタリスト安田裕美の軌跡』もリリースし、多くのミュージシャンが安田さんを偲んでいる。
最愛の夫を亡くした山崎は、ふたりの出会いをこう振り返る。
「結婚したのは20年前で、私が44歳のときでした。事務所が倒産し、どん底の状態だった私を心配して声をかけてくれ、『呼んでくれればいつでもギターを弾くから。ギャラはいらないから』と言ってくれたのが安田さんでした」
音楽を愛する者同士の大人の結婚で、ふたりは絆を深めていき、ライブもアルバム作りもいつも安田さんと二人三脚で行ってきた。
「ふたりで決めていたのは、どっちが先に逝っても後を追うのだけはダメだということ。音楽が好きという相手の魂を引き継いで、残された者がそれを届けていくのが役目だからと誓い合いました。安田さんがいなくなって、本当に悲しくてつらくて、どうしようもなかったのですが、1年たって、やっとどうにか曲を作り始め、前を向こうという思いが出てきました」
山崎は1975年にデビュー。じつはデビュー前に井上陽水のバックでギターを弾いていた安田さんに会っており、デビューアルバムの最初の曲を弾いてくれたのも安田さんだった。
しかし、当時は安田さんと仲よくなるどころか、事務所から男性と付き合うことを禁止されており、まじめな山崎はそれをずっと守ってきた。
フォークギターの弾き語りで、情念や怨念を歌い上げるスタイルで人気を博したが、事務所は歌の世界のイメージを崩さないことを要求。その結果、山崎は、世間から歌の内容どおりの暗くて怖い女性と見られるように。
これは完全に作られたキャラであり、山崎はそのギャップに翻弄され続けることになる。
世間にウソをつき続けるのが心苦しかった
「事務所の社長から、インタビューでは一切しゃべるなと言われ、“人間嫌い”という設定になっていたんです。家族とも絶縁したことになっていて、電話も解約させられたため、本当に家族と音信不通になってしまいました。実際は、歌っているとき以外はごく普通の女の子だったんですよ。
なにより、世間にウソをつき続けるのが心苦しかったです。一方で、とにかく歌が1番で、歌を歌えるならキャラなんてどうでもいいという思いもありました。社長の言うとおりにしていれば、一生、大事に面倒を見てもらえると思っていて、それを疑わずに生きてきたんです」
これが大きな間違いだったとわかるのは、事務所が倒産し、住む家もなくなってからのことだ。
「22年間、事務所の言うとおりにしてきましたが、印税をまったくもらってなくて、最後に社長から渡された私の通帳には1000円しか入ってなかったんです。
住んでいた家を追い出され、ホームレスのような状態になって初めて、いかに自分が世間知らずだったかに気づきました。
私には『呪い』というタイトルの歌がありますが(笑)、実際に人を恨むのは嫌だったので、社長を訴えることはしませんでした。そんなときに安田さんに再会して、これからは、今までやっていないことをやろう、いろんなことを経験しないとダメだと決意し、結婚もしてみようと思ったんです。
2001年の元日に入籍したのは、イヤなことは20世紀に置いてきて、21世紀は今と前だけを向いて生きていくと決めたからです」
歌い始めてから22年、初めて自由の身となり、自分の意思で行動できるようになった山崎は、音信不通だったクラスメートと再会したり、旅行に行ったりと、これまでしてこなかったことを謳歌するように。
「『ハコちゃんは自由にしていいんだよ。いっぱい遊んだらいいよ。音楽も変わってくるよ』と安田さんが言ってくれて。本当に優しい人で、いつも私のためにギターを弾いてくれました。そのギターを私が『ちょうだい』と言うと、『ダメ。貸すならいいよ』と断られ、それくらい安田さんはギターを大事にしていたんです。でも病気になってから『ギター、ハコちゃんにあげるよ』と言うので、今度は私が『くれなくていい。ずっと貸して』と返しました。
今回、そのギターを弾いて『安田裕美の会』を行いましたが、今もギターは安田さんから借りているだけなんです。ひとりになってしまいましたが、安田さんの音楽をずっと守っていかないといけないので、ひとりではありません」
「ハコちゃん、自由に好きなことをしな」
安田さんが亡くなってからは、黒い服しか着ず、喪に服していたという山崎。
「彼の子どものころの写真を見たり、彼が載っている昔の記事を読んだり、あらためて安田さんの軌跡を追っている時間でした。そのうち『あの曲のギターを弾いていたのは安田さんなんです』と多くの人に知ってもらいたくなりました。
それで、アルバムを作ろうと思い立ち、たくさんのミュージシャンから快諾をいただき、形にすることができたんです。バックミュージシャンはシングル盤では名前も載っていませんが、歌い手にとっては欠かせない存在です。安田さんは、歌に触れずに寄り添ってくれるギターで、だからいつも私は、プレッシャーの中でも心地よく歌うことができました。
井上陽水さん、石川さゆりさん、松山千春さんなど、いろんな方がこのCDの中で競演していて、それをつないでいるのが安田さんのギターなんです。本当にいい曲ばかりなので、ぜひ一家に1枚置いてほしいですね」
かわいがってくれている芸能界の仲間の存在もありがたい。
「(同じく夫を亡くした)お世話になっている歌手のイルカさんは『気持ちは何にも言わなくてもわかるからね』とメールをくださいました。同じ経験をされた先輩方からも。パートナーを亡くして、この気持ちをわかってくれる人はここにもいる。元気を出さなくては、と思いました」
一周忌があけ、ようやく最近は笑顔も少し出るようになったという山崎。
「安田さんは、結婚したときのように『ハコちゃん、自由に好きなことをしな』と天国で思っているでしょうから、これからは大好きな芝居などにもまた足を運びます。
再会するためには早く死ねばいいわけではありません。第一、安田さんが喜ばない。人生を全うしたら、絶対会える。それを胸に、音楽を続けながらこれからも生きていきます」
『山崎ハコ セレクションギタリスト安田裕美の軌跡』(税込み3300円 テイチクエンタテインメント)
井上陽水、小椋佳、松山千春をはじめ、数多くのアーティストとレコーディングをしてきたアコースティック・ギターのトッププレーヤーの、当時のオリジナル音源を集めた軌跡。
1957年、大分県生まれ。高校在学中、コンテストへの出場がきっかけで1975年にアルバム『飛・び・ま・す』でレコードデビュー。パワフルな声量・表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛から社会をえぐる歌詞で、デビュー当時、中島みゆきのライバルと言われた。シンガー・ソングライターとして活躍する一方で、エッセイの執筆、舞台出演など多彩な活動を行う。
〈取材・文/紀和静〉