五輪初のサーフィン競技は、男子で五十嵐カノア選手(23)が銀メダル、女子で都築有夢路選手(20)が銅メダルと開催国の意地をみせた。千葉・一宮町出身の地元・大原洋人選手(24)は大逆転劇を演じてベスト8に名を連ね、前田マヒナ選手(23)は接戦を制して3回戦に進むなど見せ場をつくった。
1日6000人がこの激闘を生観戦できたはずが、新型コロナウイルスの感染者増で無観客試合となりテレビ観戦に。規制エリアぎりぎりの海岸で少しでも雰囲気を味わおうとする人もいた中、地元サーファーの多くは実況・解説のつかないライブ配信で試合を見守ったという。
「静かな中継はそれはそれで味があった。メダルのかかった試合は地上波でオンエアされたので実況・解説つきで楽しめた。ほかの競技では海外勢どうしの試合も地上波で放送していたから、サーフィンはまだまだマイナー競技なんだなと思い知らされた」(地元の30代男性サーファー)
会場警備にあたっていた男性スタッフに観戦できたか尋ねると、
「アナウンスなどは聞こえてきましたが、試合はまったく見ていません。同僚はトイレ休憩に行ったときに小さいモニターでチラッとだけ見ることができたそうです」
と苦笑いするばかりだった。
沿道にずらっと並べられたひまわりのプランターは、一宮町を含む周辺16市町村の子どもたちが歓迎する気持ちをこめて育ててきたものだ。観戦客は来なくても枯らすまいと、スタッフは毎日水やりを欠かさなかったという。
一宮町出身、大原選手の素顔
一宮町の釣ヶ崎海岸が開催地に決まったのは2016年12月のこと。決定前は「こんな田舎にオリンピックが来るわけがない」との声も少なくなかったという。翌17年6月には五輪組織委員会の森喜朗会長や千葉県の森田健作知事(肩書きはいずれも当時)らが現地を視察し、このとき町長らと出迎えたのが当時20歳の大原選手だった。
同町町議で日本サーフィン連盟千葉東支部長の鵜沢清永さん(45)が五輪までの道のりを振り返る。
「ヒロト(大原選手)はいつも積極的に動いてくれました。五輪関連の活動への参加を頼むと“大丈夫、この日だったら参加できるよ”などと前向きなんです。性格的な面も大きいと思いますが、選手はみな五輪出場を目指して自分のことだけで精一杯のはずなのに、すごいなあと感心していました。一度も“えーっ?”と嫌がる素振りを見せることはありませんでした」
招致活動に携わったほか、啓発ポスターのモデルも務めた。筆者は視察取材時、プロサーファーの扱いが雑な森喜朗氏から「この坊や」と言われても受け流す大原選手を目の当たりにしている。さすがに周囲が見かねて「彼はナイスガイなんです」などとフォローを入れたものだった。
前出の鵜沢さんによると、率先して汗をかいてきた大原選手はよくこう言った。
「自分が動くことで五輪のサーフィンが盛り上がるならばそれでいい」
準々決勝をかけた3回戦。試合時間30分の残り1分、相手選手にリードを許していた大原選手は波から飛び出し、宙を舞う大技エアリバースを決めて大逆転。そのガッツポーズに町のサーファーらは歓喜した。
惜しくも準決勝進出を逃した後、大原選手は日の丸を振って仲間を応援し、メダリストに駆け寄って日の丸を肩にかけた。
「仲間を気遣う姿勢に感動した。同じサーファーとしてうれしかった」
と40代の男性サーファー。
心配なのは事故やマナー
五輪が通り過ぎて町はどう変わるのか。
一宮町のサーフショップ代表は言う。
「荒々しい波に挑む選手を見て、サーフィンをしない人も“迫力がすごかった”と興奮していました。五輪採用が決まってからスクールの申し込みは増えており、よりポピュラー化が進むのではないか。
ただ、自然を相手にするスポーツなので海難事故を防ぐためにも専門店などで正しい知識やレクチャーを受けてからトライしてほしい。不確かなネット情報をうのみにして、考えられない悪条件下で海に入る子もいますから。もうひとつ心配なのはマナー。飲み食いしてゴミを散らかしていくサーファーにはならないでください」
同店では月1回、スタッフ総出で海岸のゴミ拾いをしているという。
サーファーというと、どこか不良っぽかったりチャラいイメージがあったが、最近は少し変わってきているようだ。
前出の鵜沢さんは言う。
「いまでは幼少期からスポーツとして取り組み、コーチやトレーナーをつけて練習する子も少なくありません。次のジェネレーションは、炭酸飲料を飲まないとか食事を気にしたり、フィジカルトレーナーをつけている子もいます。
五輪が事故なく無事に終わったことがなによりですが、“跡地を残せないか”との声も聞きます。プレッシャーがかかる中での大逆転劇を含め、みんなよく頑張ってくれたと思います。代表4人の健闘は大きな財産になるはずです」
9歳の女の子の“短い言葉”
決勝戦の翌日、会場に隣接する海岸へ行くと、五輪の激闘に触発されたのか親子連れのサーファーが目立った。
妻子と海に来ていた男性サーファー(57)に話を聞いた。男性はかつて、カノア選手が生まれ育った米カリフォルニア州のハンティントンビーチで生活していたことがあり、カノア選手が父親と一生懸命に練習する姿を見ていたという。五輪は連日早起きして家族とライブ配信で観戦した。
「カノアくんの銀メダルは日本の誇りじゃないですかね。これで改めてスポーツとして認知されたと思います。サーフィンはいいスポーツなんですよ。自然と触れ合い、健康的だし、親子でできるし」
と男性はにっこり。
そばで聞いていた小学3年の長女(9)は4歳からサーフィンを始め、最初からボードの上に立てたという。長女に五輪サーフィンを見てどんなことを感じたか尋ねると、日焼けした顔でこう言った。
「ああいう感じになりたい」
短い言葉には、確実に思い描ける夢が詰まっていた。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する