「7月23日、陛下は東京オリンピックの開会式に出席し、開会宣言をされました。各国首脳らが配偶者を伴わずに来日していることから、雅子さまは開会式を欠席されましたが、試合や報道をお住まいでご覧になって、選手の活躍に喜んでおられるようです」(宮内庁関係者)
苦悩の日々を支えた大恩人が天国へ
そんな東京五輪が開幕する3週間前の7月6日、陛下は1度目のワクチンを接種された。しかし、その直前には心を痛められるできごとがあった。
「7月4日、雅子さまの“大恩人”といわれている元東宮大夫の野村一成さんが肺炎のため81歳でお亡くなりに。野村さんは、雅子さまのお父さまである小和田恆さんがロシアの日本大使館に勤務していたときの部下でもあり、雅子さまが幼いころから“野村のおじちゃま”と慕ってこられた方です」(宮内庁OB)
そんな野村さんが、当時の皇太子ご一家を支える“側近トップ”の東宮大夫に任命されたのは'06年4月のこと。
「雅子さまは『適応障害』の治療が長引き、公務や宮中祭祀の欠席が続いていることに対して、世間からの風当たりが強まっていた時期でした。雅子さまから全幅の信頼を置かれていた野村さんは東宮大夫に就任直後、ご一家のオランダ静養を実現させるべく奔走しました」(同・前)
国内の公務もままならない雅子さまが外国を訪問されることに対し、宮内庁内部からも批判の声が上がった。
「当時、オランダには雅子さまのご両親が駐在していました。野村さんは、雅子さまの回復のためにはご両親の力が必要不可欠だと考え、批判を浴びながらもご静養を断行したのです」(別の宮内庁OB)
雅子さまの回復のために尽力しただけではない。
皇室のトラブルにも奮闘
「'10年3月、小学2年生だった愛子さまが、同級生からの“乱暴”に不安を感じ、学校を休まれていることが明らかに。この問題と向き合い、解決させるために奮闘していたのが野村さんなのです。
問題が解決する前に宮内庁を去るのが心残りだったのか、'11年に東宮大夫を退任し
た後、翌年まで御用掛に就任。愛子さまがお1人で通学されるようになるのを見届けたときは安心したご様子でした」(侍従職関係者)
ご一家を約6年にわたって支えた野村さん。'19年のお代替わりにあたり、NHKから取材を受けた際、雅子さまのご活躍をこう喜んでいた。
「お仕えした当時と比べますと、お元気になられて実によいスタートを切られたと受け止めています。ご無理をされることなく、引き続きお健やかにお過ごしいただきたい」
困難の連続を支えてくれた恩人からのメッセージを受け止め、雅子さまは日々の公務に励まれている。野村さんの訃報を受けて、真っ先に弔意を伝えられていた。
「両陛下は野村さんのご自宅に白いユリを中心とした供花を贈られました。白いユリの花言葉は“純潔”。雅子さまは、苦悩の日々をともに歩んだ野村さんに向けて、皇后として大切にされている清らかなお気持ちを示されたかったのだと思います」(同・前)
“国母の誓い”を受け取った野村さんは、これからも天国でご一家を見守り続ける─。