「もういないという気がしなくて……。あの人が大好きだったスイカを見ると、思い出して悲しくなりますね」
脚本家・橋田壽賀子さんの死について悔しそうに語るのは、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)などでタッグを組み、約60年にわたって交流のあった石井ふく子プロデューサーだ。
「『春日局』『おしん』など数多くの人気作品を手がけた橋田さんが、急性リンパ腫のため亡くなったのが4月4日。業界に激震が走りました。橋田さんの遺志により、通夜・告別式を執り行わなかったこともあり、いまだに死を受け入れられない関係者も多いですね」(テレビ局関係者)
仲間が『千の風になって』を歌うなかこの世を去って
石井プロデューサーもその1人だ。時間がたち気持ちの整理ができたことで、今だから話せるエピソードを週刊女性に明かしてくれた。
「3月28日に開催した『橋田賞』が終わった後に電話をしたんですが、“橋田文化財団はずっと継続してほしい。自分に何かがあるかもしれないから……”と言いだして。2月に体調を崩していたことは知っていたのですが、私は励ますつもりで、“自分でそんなことを言うもんじゃない”と怒ったんです。そしたら“人間だから何があるかわからない。そのときは財団をお願いね”と改めて言われました。普段はそんなことを言わない方なんですけどね」
4月に入り都内の病院から熱海の病院に移る際、橋田さんの希望で1日だけ立ち寄った自宅で容体が悪化。泉ピン子ら友人たちに囲まれて、天国へ旅立った。
「“ご容体が芳しくない”という連絡を受けて急いで駆けつけたのですが、私が到着する30分ほど前に息を引き取って……。“目を開けなさい!”と声をかけたのですが、ダメでしたね。駆けつけた仲間が『千の風になって』を歌っている中で、亡くなったそうです」(石井さん、以下同)
今年も敬老の日に『渡鬼』のスペシャル版を放送する予定で準備を進めていたという。
「昨年も放送予定だったのですが、コロナ禍もあり断念。今年は放送に向けて、出演者のスケジュールを押さえていたところでした。橋田さんはメモ書きで新作の構想を残されていましたね」
『渡鬼』は今年を最後に終わらせるつもりだったようだ。
橋田さんの作品に傷をつけてはいけない
「橋田さんはラストシーンをどうしたらいいかと考えていましたね。メモには、五月(泉ピン子)が話があると言って“自分はひとりぼっちだと思ったこともあったけど、みんなが1人にしてくれていたんだ。ありがとう”というセリフが書かれていました」
極秘ともいえる貴重なメモ書きを基にすれば、新作を作れそうな気もするが、石井さんは終了を決めた。その背景には、こんな思いがあった。
「終わらせてしまうのは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも変に続けて、橋田さんが築き上げた作品に傷をつけてもいけない。だから入院されたあと、TBSの担当者とも話をして“万が一のことがあったら『渡鬼』はやめよう”と伝えていました」
最後の放送となった'19年のスペシャル版のラストシーンでは、「来年も明るく会えたらと、ただ願っているきょうだいでした」というセリフで締めくくられていたが─。
「作品に自分のメッセージを入れる方なので、橋田さんの素直な気持ちだったんでしょうね。私が東京生まれで、橋田さんは大阪出身。性格がまったく違うからこそ言いたいことが言える仲だったし、ここまで一緒に続けてこられたのだと思います」
多くの人に愛された橋田さんの周りには、鬼ではなく素敵な仲間たちの姿があった。