沢田研二 写真/週刊女性写真班

 ジュリーこと沢田研二(73)がソロデビュー50周年を迎えた。歌手、俳優として活躍する半世紀をプレーバック。編集部撮影の秘蔵ショットも!

『TOKIO』で派手な衣装とパラシュートを背負って。'80年の幕開けとともにヒット('79年撮影) 写真/週刊女性写真班

「男が化粧」当時は特異な存在

「ジュリーは画期的な男です」(芸能評論家の肥留間正明さん)

 沢田は18歳のときにザ・タイガースのボーカルとして芸能界デビュー。GS(グループサウンズ)ブームとともに人気を博したが、ブームの終焉によってグループは解散。

 1971年からソロ歌手に。日本レコード大賞受賞曲『勝手にしやがれ』をはじめ『危険なふたり』『時の過ぎゆくままに』『サムライ』『ダーリング』『LOVE(抱きしめたい)』『カサブランカ・ダンディ』『TOKIO』など数多くのヒット曲とともに派手な衣装やビジュアルが話題を集めた。

「男が化粧することを批判された時代に、外国での潮流をいち早く取り入れる特異な存在で、日本ポップス界の原型を作った」(肥留間さん、以下同)

 俳優としてもドラマ『悪魔のようなあいつ』や映画『太陽を盗んだ男』『魔界転生』などの話題作に主演している。

「俳優をやったのは一時期で、個人的見解ですが俳優になり切れなかったのでは。才能というのは自分のことを知っていることも重要なひとつ。 '85年に(所属していた)渡辺プロから独立したのは、自分自身をプロデュースでき歌手としての力量もあったから。それを熱狂的なファンが支えて、それが今も続いていると思います

ジュリーを超越する人は今も出ていない

 1990年代以降はコンサート活動が中心だが、 '18年にさいたまスーパーアリーナ公演での観客数をめぐるドタキャン騒動を起こした。

「(予定より少ない観客数)7000人を今でも集めることができるのに怒っちゃうことに驚きましたが、彼のプライドだと思います。

 ファンにとってコンサートはジュリーの魅力を間近に感じることができ、コンサートでしか会えないので飢餓感がある。そして、歌一本で生業を維持しているジュリーは本物のスターでしょう」

映画共演をきっかけに交際が始まった田中裕子と出雲大社で挙式した('89年撮影)写真/週刊女性写真班

 プライベートでは2度結婚。 '75年にザ・ピーナッツの故・伊藤エミさん、 '89年に女優の田中裕子(66)と結婚した。

「伊藤さんとの結婚はジュリーが全盛期のとき。離婚のときは当時18億円ともいわれた全財産を置いて家を出ましたが、伊藤さんがうらみつらみを言うことは一切なかった。ゼロからやり直すほど惚れた運命の女性が田中裕子だったのでは」

 沢田は朝日新聞のインタビューで、“昔はジュリー、今はジジイ(笑)。太ったっていいじゃない(笑)。好きなことをコツコツとやっていこうと思っている”と話している。

「歌手が一生の仕事。“あの人は今”にならない存在。ヒット曲、歌唱力、ファッション、彼を超越する人は今も出てきていない。

 ただ白髪や太ることが自然体というのは一般の方の話。ファンにとってはいつまでもアイドル、偶像であり続けるために白髪ではないほうがいいし、もう少しやせてほしいかな(笑)」

志村けんさんの代役
15年ぶり主演映画に


 昨年、急死した盟友・志村けんさんの代役で『キネマの神様』に主演。沢田が演じるのは家族にも見放された借金まみれのダメおやじだが、今も映画だけは愛してやまない男・ゴウ。半世紀を経てかつて諦めた『キネマの神様』の脚本と向き合うことになる。若き日のゴウを菅田将暉が演じる。

(C)2021「キネマの神様」製作委員会

映画『キネマの神様』
8月6日(金)全国ロードショー
配給:松竹/ (C)2021「キネマの神様」製作委員会