市村正親と離婚した篠原涼子

 世の中が東京五輪で盛り上がり始めた7月24日、あの夫婦が離婚した。市村正親篠原涼子だ。

 ふたりはそれぞれ「夫婦、親、互いに役者として、新たなカタチを考えるようになりました」(市村)、「未熟な私を常に導いて気遣ってくれる大切な存在です」(篠原)などとコメント。前向きで円満な選択であることを強調している。

篠原と市村、馴れ初めから離婚まで

 その後、篠原と韓国人アイドル・グァンスとの交際が報じられた際も、市村は『週刊文春』の直撃に対し、

《1回しかない女優人生をしっかり生きてほしいから、そういうこと(離婚)にしてあげたんだよ》

 と、コメント。一方、息子たちの親権は彼が持つこととなった。お互い、ウインウインというか、この離婚はあくまでふたりが役者として人間としてより輝くためのステップだという論法だ。

 しかし、この論法、ちょっときれいすぎはしないか。とにかく「役者同士」なのを利用して、男と女のドロドロ感をカムフラージュしている感もなくはない。そもそも、このふたり、最初からそういうところがあった。

 ふたりは2001年、舞台『ハムレット』での共演で知り合い、4年後に結婚。ただし、篠原の父は当初、猛反対していた。市村が25歳も年上で、出会った当時は妻帯者でもあったからだ。

 彼は1984年に同じ劇団の舞台女優と結婚。'03年に離婚した。昨年4月、篠原が『1周回って知らない話 春の2時間SP』(日本テレビ系)の出演時、ふたりのなれそめが語られたが、そのあたりはスルー。1周回ってもよく知られた話だからだろうか。

 そのかわり、篠原がこんな第一印象を明かした。

「イヤだなと思いました。この人とずっとやっていくんだと思って、ああ、イヤだな、こういう感じかって」

 実は彼女、これが舞台初挑戦。舞台っぽい芝居はやるのも見るのも苦手だったうえ、それを市村にいきなり稽古場で見せられ、ちょっと引いてしまったという。しかし、舞台の魅力にハマるにつれて、その一流の役者である彼にも好意を持つようになるわけだ。

 かと思えば、市村も彼女について《まったく舞台役者っぽくなくてナマな感じがあり》《本当に面白い女優さん》などと自著『役者ほど素敵な商売はない』に書いている。つまり、お互いが意外性から恋におちたのである。しかも、不倫やら篠原父の反対やら、障害まである。これで燃え上がらないわけがない。

 加えて、ふたりは結婚後、さらに飛躍していった。おかげで、役者同士の理想的な夫婦というイメージまで獲得したわけだ。

 とはいえ、恋の刺激は永遠ではない。前出の番組で彼女は、会話中、頻繁にダジャレを挟んでくる夫とのこんな近況も語った。

「あのダジャレは言われると、ホントに私もうダメで。今もう何を言っても、笑えなくなっちゃってるんです。(昔は)アハハハ、アハってってやってたのに」

 長年連れ添えば、よくある変化だが、そこで我慢できるかが一生添い遂げられるかどうかの境目だ。しかし、刺激を求めるタイプの篠原には無理だったのだろう。

 これに対し、市村もダジャレを笑ってくれなくなった妻が前ほど可愛く感じられなくなったのかもしれない。最初の妻とは19年、今回は16年で別れているので、それくらいが彼にとって同じ相手と夫婦でいられる長さにも思える。

 要はふたりとも、飽きちゃったということだ。むしろ、よく続いたというべきかもしれない。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。