悠仁さまと美智子さま

「8月15日、東京都千代田区にある『日本武道館』で『全国戦没者追悼式』が開催されました。両陛下は約310万人の戦没者に黙とうし、平和への祈りを捧げられました」(皇室担当記者)

 新型コロナの感染拡大を受け、今年の参列者は昨年の半数以下である約200人に。滋賀県代表として献花した竹井昌夫さん(79)は、並々ならぬ覚悟で臨んだという。

「コロナが感染拡大中の東京へ出かけることに対しては“万が一、感染したら……”と悩む気持ちもありましたが、各県から1人ずつ選出された献花者として責務をまっとうしたいと思いました」

受け継がれる「行動」と「継承」

 山梨県代表として献花した千野克己さん(85)は式典の重要性をこう力説する。

「子どもたちに戦争体験を伝えていますが、若い世代の多くには行きわたりません。日本が豊かになり、“昔は昔、今は今”という考え方が強くなってしまっています。年に1度の戦没者追悼式は、これからも戦争のことを継承していくためにも必要です」

 遺族代表として追悼の辞を述べた柿原啓志さん(85)は、感慨深げに語る。

「追悼式への参加や靖国神社の参拝によって、亡くなった父への親孝行ができるのではないかという気持ちで取り組んでいます。戦没者追悼式では、皇室の方々が標柱に向かって深々と一礼されるとき、特に感動を覚えます

 戦争体験者である上皇ご夫妻が1年で最も重要視されている終戦記念日。おふたりの抱かれる“平和への希求”は、両陛下へ受け継がれている。

「両陛下は戦後生まれでありながらも、戦争の惨禍をよく理解しておられる」と、感じているのは、文化学園大学客員教授でジャーナリストの渡邉みどりさん。

「上皇ご夫妻は、お子さま方に対してご自身が皇太子ご夫妻だった時代から、“戦争を忘れてはならない”ということを伝えてこられました。また、平成時代には国内外の戦地を訪れ、慰霊されました。そのような振る舞いをお手本とし、天皇ご一家や秋篠宮ご一家は戦没者を慰霊する“行動”と戦争体験の“継承”を大切にされています」

上皇ご夫妻が巡られた戦争地へ

『全国豆記者交歓会』の代表で、'63年から計100回以上にわたって上皇ご夫妻と交流してきたという山本和昭さん(91)は、美智子さまの熱心な姿勢をこう振り返る。

'72年8月、『豆記者交歓会』に参加されたご一家。左から2人めの秋篠宮さまは当時6歳

「陛下や秋篠宮さまは、小学校に上がる前から戦争に関する教育を受けておられました。上皇ご夫妻はご自身が戦争を体験なさっているため、平和を祈るお気持ちが非常に強く、お子さま方が幼いころから、戦争の悲惨さについて学ぶ機会を設けられていたのです。 陛下がまだ小学生のころ、美智子さまから“ナルちゃんに、沖縄戦を理解するのに適当なご本を紹介いただけませんか”という依頼を受けたこともありました

 未来の皇室を担う子どもたちに早いうちから戦争学習の機会を設けられた美智子さま。その取り組みは世代を超えて受け継がれている。

「両陛下や秋篠宮ご夫妻も、お子さま方が幼いころから戦争に関する教育を始められました。いずれ天皇に即位される悠仁さまは、特に早いうちに始められたと思います。小学1年生のころには、沖縄県の『平和祈念公園』や『平和の礎』などをご訪問。また、上皇ご夫妻が直々に戦争体験をお伝えになることもありました」(宮内庁関係者)

 戦争に関わる行事に積極的に参加されてきた秋篠宮さま。'14年には、戦時中に撃沈された学童疎開船『対馬丸』の犠牲者を追悼する集いに、ご一家全員で臨まれた。

「秋篠宮ご夫妻の“夏休みに、戦争に関する勉強をさせたい”というご意向があり、当時小学2年生だった悠仁さまも出席されました。宮邸で事前学習をされていたようで、すでに対馬丸のことをご存じだったことには驚きました。会場に並べられた絵本を熱心にご覧になる悠仁さまに対し、秋篠宮さまが身振り手振りを交えながら懸命に説明されているお姿が印象的でした」(山本さん)

 戦地へ出向いて慰霊することを重んじられてきた上皇ご夫妻の姿勢も、悠仁さまに受け継がれているようだ。

「'17年には、悠仁さまが紀子さまとおふたりで小笠原諸島の父島や母島を訪問されました。その際には、上皇ご夫妻がかつて巡られた、銃の攻撃から身を守るために掘る穴である塹壕や軍道などの戦争の痕跡に足を運ばれたのです」(渡邉さん)

 '18年、悠仁さまが秋篠宮ご夫妻とともに沖縄戦に関するシンポジウムに出席された際には、看護要員として動員された『白梅学徒隊』の生存者である中山きくさんの話に耳を傾けられた。

「講演をお聞きになる前、ご一家のみ別室に移動し、中山さんへ事前に質問されていました。講演内容を悠仁さまが深く理解できるよう、秋篠宮さまが工夫し、そのような場をセッティングされたのだと思います」(山本さん)

芽生え始めた「天皇のご自覚」

 当時小学6年生だった悠仁さまからは、強い学習意欲が感じられたという。

「宮内庁の方から“悠仁さまが中山さんの本を読まれたいそうなので、しばらく貸してもらえないか”と、お願いされました。夏休みの期間だったので、おそらく自由研究などのために活用されたのだと思います」(同・前)

『対馬丸』の絵本をご覧になる悠仁さまの背後には山本和昭さんの姿も。秋篠宮さまは身振りを交えてご説明を('14年8月)

陛下や秋篠宮さまと同様に、戦争の悲惨さや、平和の尊さを学ばれている悠仁さま。前出の渡邉さんは、今後のご活躍をこう見据える。

「来年には高校生になられますし、“天皇になる”という自覚が少しずつ芽生えておられることでしょう。過去の戦争に対しても真摯に学んでこられ、祖父母である上皇ご夫妻のお気持ちを受け継ぎ始めておられるのだと思います。今後、海外留学などを通して、多角的な視点も身につけられ、いずれは“平和の大切さ”をご自身のおことばで伝えられるのではないでしょうか」

 前出の山本さんによると、コロナ禍になる前は、秋篠宮ご一家は時折上皇ご夫妻のもとを訪れ、近況を報告されていたという。

「悠仁さまが戦争に関する行事に出席し、何を学ばれたのか、美智子さまは常に気にかけてこられたと思います。十分な知見を得られた頼もしい“未来の天皇陛下”を、晴れやかな気持ちで見守られていることでしょう」(前出・宮内庁関係者)

“慰霊のバトン”は確かに手渡されているようだ─。