8月19日、俳優・千葉真一さんがこの世を去った。昭和、平成、そして令和を駆け抜けたアクションスターだった。
「1960年に俳優としてデビューして以来、60余年間で出演した映画は1500本以上。これは日本の俳優では最多です。中でも殺陣などのアクションをふんだんに取り入れた時代劇は彼の独壇場でした。代表作の『柳生十兵衛』シリーズをはじめ、数々の作品を当てました。それだけではなく、一流のアクション俳優を世界に送り出そうと俳優養成所“JAC”こと『ジャパンアクションクラブ』を設立して、若き日の真田広之さんや堤真一さん、伊原剛志さんといった俳優たちを育て上げたんです」(スポーツ紙記者)
自らも日本を飛び出して、
「“サニー・チバ”としてアメリカのハリウッドにも進出して、大ヒット映画『キル・ビル』などに出演を果たしました。あのキアヌ・リーヴスもチバさんの大ファンを公言するくらい、日本が世界に誇る映画人のひとりでしたね」(同・スポーツ紙記者)
野際陽子さんとの結婚、離婚
プライベートも芸歴に負けず劣らず、華やかだった。
「1973年に野際陽子さんと大恋愛の末に結婚して、後に女優となる長女の真瀬樹里さんをもうけましたが、1994年に離婚。ところがその2年後に28歳も下の女性と再婚して、2児のパパに。それが長男の新田真剣佑さんと次男の眞栄田郷敦さんです。2人目の奥さんとも離婚しちゃったんですが、その後も、女子大生との交際を報じられたりね(苦笑)。いや、本当にいつまでもお元気な方でした」(情報番組スタッフ)
金遣いも豪快奔放……すぎた。
「野際さんと結婚していたころから、映画製作にお金をつぎ込んでは、方々に借金をしていて。“3000万円版権詐欺疑惑”が報じられたり、京都に俳優養成学校を開校した際にはスポンサーと金銭トラブルを抱えてしまって、訴訟合戦にまで発展したこともありましたっけ」(同・情報番組スタッフ)
2人目の妻─真剣佑・郷敦兄弟の母との離婚も、千葉さんのあまりの“金欠っぷり”が理由のひとつになったという。
「でも、どんなに苦しい状況になっても、千葉さんは毎回、不死鳥のように表舞台に復活してきたんです」(同・情報番組スタッフ)
そんな千葉さんですら、衰える気配を見せない新型コロナウイルスの猛威の前に力尽きてしまった。
「7月末にコロナに感染し、当初は自宅で療養していたそうなんですが、病状が悪化して肺炎の症状が見られたので8月8日に入院した、と。それからたった10日ほどですから。お考えがあったのか、ワクチン接種をしていなかったのも影響したようです。
真剣佑さんはアメリカでの映画撮影があって日本を離れていて戻ってこられず、郷敦さん、樹里さんも感染のおそれがあることから最期をみとることができなかったそうで……。あれだけお元気だったのに」(前出・スポーツ紙記者)
千葉さんは、80歳を超えてもなお、本当にエネルギッシュだった。亡くなる2か月前の6月25日、千葉さんは週刊女性のインタビュー取材にも笑顔で応じてくれていた。担当編集者が振り返る。
「最近は、こうした取材で息子さんたちの話ばかり聞かれるのが不満だったそうで。“俺はまだまだ現役”という思いだったんでしょうけれど、当日も取材時に“この後、映画会社に企画の売り込みに行くんだ!”とおっしゃっていたくらいで。まさか、こんなことになるとは信じられないですね……」
最後まで語った映画人の情熱
結果的に“生前最後の肉声”となってしまったこのインタビューでも、千葉さんは“まだまだ現役”そのままに、演じること─映画人としての情熱をほとばしらせた。
「毎日が自分との戦いですよ。特別なトレーニングというよりも、日ごろの積み重ねでしょうね。身体を鍛えることは、役者である以上当たり前。アクションというのは、肉体を使って飛んだり跳ねたりすることではなくて、身体を使って演技をすること。肉体は俳優の言葉であり、表現を具現化するためのものだからね」
日本の映画界─中でも衰退の一途をたどっている時代劇に対しても、危機感をあらわにし、苦言を呈した。
「日本の時代劇が連綿と受け継いできた殺陣の力強さや美しさ、侍の魂が感じられるような所作があまりに少ない。重さやリアルさが足りないんです。そして、これは昨今の邦画全体に言えることですが、いい脚本が少ない。脚本は映画の心臓。ハリウッドは、脚本にお金も時間もかけますが、日本はそうではない」
日本映画界に厳しい視線を投げかけている千葉さんが認めていたのが、誰あろう真剣佑だった。
「長い間、どうして僕を越える動きをする日本人の役者が出てこないんだろうと思っていたんです。でも彼が出演した映画『るろうに剣心』を見てね、手前みそですけれど、“日本であんなに動ける役者はいない”と思った。いい動きだった。“今の真剣佑の動きにはついていけない”って。初めて“俺を越えたな”と思える役者が出てきたよね。越されましたね」
そう言って目尻を下げたときだけ父親の顔に戻っていた千葉さんは、週刊女性に大きな夢を語ってくれた。
息子とハリウッド時代劇で共演
「日本の時代劇を復活させるためにね、いくつか企画書を映画会社に提出しているんです。とりわけやってみたい時代劇があって……」
それが、このインタビューの前に、自ら映画会社に売り込んできたという企画だった。どんな構想だったのか?
「80歳を過ぎた僕が、まだ身体も動く中で今、演じたら面白いだろうなって思うのが『水戸黄門』。絶対に面白いと思わない? なぜ水戸光圀は世直し全国行脚をすることになったのか、そこに至るまでのお話……いうなれば“水戸黄門エピソード・ゼロ”を作りたいんですよ。ストーリーもできあがっていて、これは自信がある!」
実現すれば、千葉さんのこれまでの映画人人生の集大成となる作品になっただろう。
「そうだなぁ……“助さん”“格さん”は真剣佑と郷敦でもいいかな。実はね、この話、彼らも乗り気になっているんだよ(笑)。時代劇を盛り上げたいという人の力を借りて、世界を振り向かせるような時代劇を作りたいんですよね。ぜひ楽しみにしていてほしい」
生涯現役を貫いた“映画バカ”だった─。