「この瞬間も、怪奇はあらゆるところで起きています」と、拝み屋の郷内心瞳さんは言う。ゆえに、何げない日常の端々で、偶然出くわしてしまうことは、よくあることなのだとか。もしかしたら今日、あなたも説明のできない怪異を体験するかもしれない──。
ぶらさがり健康器
五年ほど前の話だという。
会社員の住山さんが、ネットオークションで中古のぶらさがり健康器を買った。
以前はジムに通って身体を鍛えていたのだけれど、ここしばらくは仕事が忙しすぎて、なかなか時間を作ることができなかった。
ぶらさがり健康器ならば自宅で好きな時に懸垂などができるし、今の忙しい自分には打ってつけだろうと考えての落札だった。
まもなく出品者から届いたぶらさがり健康器は、少々使いこまれて古い感じだったが、使用する分には問題なさそうだった。利便性を考えてリビングの片隅に置くことにする。
ところが設置してまもなくすると、三歳になったばかりの息子がぶらさがり健康器を見て怯えるようになってしまった。
リビングで一緒にテレビを観たり遊んだりしていると、息子はふいにぎくりとなってぶらさがり健康器のほうに視線を向け、はっとした表情を浮かべて大泣きを始める。
「何が怖いのかな?」と尋ねると、息子は自分の首筋に両手をぎゅっとあてがいながら、「ぐえんえ、ぐえんえ、ぐえんえ!」と低い呻き声をあげてみせる。自分で自分の首を絞めているようにしか見えないのだが、何を訴えているのかは分からなかった。
そうしたある日、住山さんの大学時代の友人が泊まりがけで遊びに来た。
久しぶりに顔を合わせたので、酒を酌み交わしながら夜の遅い時間まで盛りあがった。
友人は住山さんの奥さんがリビングに敷いてくれた布団で眠り、住山さんたち親子は、自分たちの寝室で寝た。
翌朝、目覚めてリビングへ行くと、友人がぶらさがり健康器の上部についた握り棒に電気コードで首を括って死んでいた。
前夜、彼の様子に変わったそぶりは見られず、遺書らしきものも見つからなかった。
彼の身内や知人たちに尋ねても、自殺するような動機はないだろうとのことだった。
件のぶらさがり健康器は、まもなく処分したそうである。
※『拝み屋備忘録 怪談火だるま乙女』より(竹書房刊)
マリーちゃん
介護士の照子さんは幼い頃、マリーちゃんと名づけた人形を可愛がっていた。
茶色いおかっぱ頭に青いエプロンドレスを着た全長三十センチほどの人形で、五歳の誕生日に伯母からプレゼントされたものだった。
本来の商品名はまったく違うのだけど、初めて抱っこした時に「マリーちゃん」という名前が思い浮かび、以来ずっとマリーちゃんと呼んで可愛がっていた。
マリーちゃんと一緒に遊ぶ時、初めのうちは、自分の言葉とマリーちゃんの返事を一人二役でこなしていた。けれどもそのうち、こちらが何も考えなくても、頭の中でマリーちゃんの言葉が聞こえてくるようになった。
それはまるで、本当に生きているかのようにはっきりとしたものだった。
なんでも馬が合って話が弾み、おまけに喧嘩することもなかったので、幼い照子さんにとってマリーちゃんは、いちばんの大親友だった。
ところが照子さんが小学二年生になった頃、母からマリーちゃんとの関係を咎められてしまう。
「もういい加減に大きいんだから、人形離れをしなさい」とのことだった。
「イヤだ!」と必死に抵抗したものの、母の意志はさらに固く、マリーちゃんは母の手によってどこかにしまわれることになってしまった。
大泣きしながら家じゅうを探し回ってみたものの、どこを探してもマリーちゃんは見つからず、その日は胸を引き裂かれるような思いで床に就いた。
だが翌朝、目覚めて居間へ向かうと、真っ青な顔をした母の姿と、座卓の上にちょこんと座るマリーちゃんの姿があった。
「どうしたの?」と尋ねたところ、「噛まれたのよ……」と母は答えた。
昨夜遅く、右腕に鋭い痛みを感じて目覚めると、マリーちゃんが腕にがっしりとしがみついて、母の腕を噛んでいたのだという。
マリーちゃんに歯などないはずなのだが、母の右腕には確かに、小さな赤い歯形がついていた。
「本当はしまったんじゃなくて捨ててきたんだけど、ひとりで帰ってきちゃったみたい……」
どうする? あんたに返したほうがいいのかな?
震え声で母に尋ねられるなり、照子さんも身の毛がよだち、すかさず「いらない」と答えた。
マリーちゃんはその日のうちに菩提寺へ運ばれ、焚きあげられたそうである。
※『拝み屋奇譚 災い百物語』より(アプレミディ刊)
七五三の写真
(編集部註:前略)
テーブルを挟んで座った智奈子さんは、少々自信のなさそうな様子で話を始めた。
彼女が小学一年生の秋。両親に連れられ、七五三のお参りに出かけた。
場所は、自宅から一時間ほどの距離にある都内の神社。
神前でのお祓いは滞りなく終わり、帰る間際に境内で写真を撮ることになった。
境内の一角には大きな鳥小屋があって、中では孔雀が飼われていた。
せっかくなので孔雀も一緒に収めようということになり、智奈子さんは鳥小屋の前に立って写真を撮ってもらった。
後日、撮影された写真が現像され戻ってきたのだが、写真を見た家族一同は驚いた。
鳥小屋の前に立つ智奈子さんの肩越しに、着物姿の見知らぬ女が写っていたのである。
女は鳥小屋の中に突っ立ち、鉄格子の向こうからこちらに視線を向けている。
山吹色の着物姿で、歳は四十代ぐらいだろうか。
全身が煙のようにもやもやとぼやけているため、なかなか仔細を確認しづらかったが、口元に薄く笑みを浮かべているのは見て取れた。
写真を撮った父は、撮影時にこんな女はいなかったと言う。母も同じことを言った。
智奈子さん自身も、鳥小屋の中にはこんな女はいなかったと記憶している。
「それが、この写真なんです」
そう言って彼女は、持参した封筒から写真を取り出し、テーブルの上へ置いた。
もうかれこれ撮影から三十年ほどになるという写真は、全体が僅かに色褪せ、古びた印象を抱かせるが、印画紙に写っているものは鮮明に確認することができる。
智奈子さんの言うとおり、晴れ着姿で鳥小屋の前に立つ幼い智奈子さんの肩越しには、山吹色の着物を着た得体のしれない女が突っ立っている。
くっきりとした輪郭を帯びて写真に写る智奈子さんの姿に対して、女のほうは全身がもやもやとぼやけて若干輪郭が歪んでいる。特に、顔の輪郭は、その様子が顕著だった。
「これ、絶対に心霊写真だって話になって、すぐに両親が霊能者に見てもらったんです。でも相談の結果は、わたしたちが想像していたものとは、ちょっと異質なものでした」
写真を鑑定した霊能者曰く、写真に写る着物姿の女は、間違いなく本物の霊だという。
そのうえできちんと写真のお祓いもしてくれた。
これで一安心だと思ったのだが、お祓いが終わると霊能者は写真を再び両親に返して、「家で大事に保管しておくように」と伝えた。
今度はお祓いされた女の霊を慰めるため、手厚く安置しておく必要があるのだという。
本音を言えばまったく気は進まなかったそうだが、曲がりなりにもプロの指示である。
断るわけにもいかず、写真は仏壇の引き出しの中に保管しておくことにしたのだという。
その後は特に何が起こるでもなく、智奈子さんは成人して、二十代の中頃に結婚した。
数年後には娘が生まれ、今年で小学三年生になるそうである。
二年前にその娘が、七歳の七五三を迎えた時のことだという。
娘と夫の三人で、自宅の近くにある神社へ七五三参りに出かけた。
お祓いが済んだあと、境内で記念写真を撮影しようということになり、夫が持参したデジカメで、振袖姿の娘や智奈子さんの姿を一頻り撮った。
ところが帰宅後、撮影した写真を確認したところ、みるみる血の気が引いていった。
智奈子さんと娘が並んで立って写る写真に、あの着物姿の女も写っていたからである。
姿は智奈子さんの背後に半分以上隠れていたが、着ている着物は山吹色。
煙のようなぼやけた顔の口元には、薄っすらと笑みが浮かんでいるのが見て取れる。
一目するなり、かつて智奈子さんの七五三写真に写りこんだ、あの女だと分かった。
(編集部註:中略)
それまでほとんど忘れかけていた写真の記憶が蘇り、薄気味悪くなった智奈子さんも、ほどなくネットで調べた霊能者に写真を鑑定してもらった。
ところが鑑定の結果は意外なことに、またもや同じものだった。
写真は一応、お祓いめいたことをしてもらったのだけれど、それが終わると霊能者は、「あとは自宅で大事に保管してください」と言ってきた。
理由も以前の霊能師とまったく同じで、お祓いされた霊を慰めるためだという。
「これは一体、どんな霊なのですか?」と尋ねても、詳細まではわからないと返された。
ただ、祓ったあとにはきちっと慰めないといけないような気がしてならないのだという。
かくして智奈子さんの家にも、怪しい写真が安置されることになった。
今のところ、変わったことは何も起きていないそうだが、万が一何かあった際には霊能者の指示など無視して、即座に処分するつもりだという。
※『拝み屋念珠怪談 緋色の女』より(角川ホラー文庫刊)
「この世ならざる者たちは、あなたのすぐそばにいる」
郷内心瞳(ごうない しんどう)さんの職業は「拝み屋」。聞き慣れない響きで、なにやらおどろおどろしく感じるが、地方によっては「拝み屋さん」はとても身近な存在だという。
拝むのは、先祖供養をはじめ、家内安全や交通安全、時には安産や受験の合格祈願などが多いのだが……、時として憑き物落としや悪霊祓いも行っている。
ということは、この世ならざる者たちと渡り合う、かなり物騒な職業だということになるわけだが……。
「自分たちが見ている世界だけが、すべてではないということです。この世の中は、怪異であふれているのです。
でも、怪異といっても、幽霊とか悪霊とかの怖い話ばかりではありません。怪異というのはその字のとおり、『怪しい出来事』。例えば、写真にそこにいるはずのない人が写っているとかはよくあることです。おいしい蕎麦屋があって、もう一度その店を訪ねたら、もう何年も前から廃屋だったとか、捨てたはずの人形が勝手に戻ってきたといった……などの経験談を、私はよく聞きます。そんなことはありえないということが、説明のできないようなことが本当にある。
そうしたことに遭遇した人の話を聞き、不安を打ち払うのが、拝み屋の役割です。確かに異形のものと対峙するわけですが恐怖心はないですね。遭遇した方も、怖がることはないんですよ」(郷内さん、以下同)
ええっ! 存在していないものが写っている心霊写真は、やっぱり怖い。霊が何かを訴えているのではと、捉えてしまうのが普通だろう。
「心霊写真のほとんどは、そんなに深い意味はないんです。通行人のように、たまたま写り込んでしまっただけなんですね。この世と、別な世界がひょんなことでクロスしてしまったと考えればいいのです。心霊写真を撮ったから、何か祟られるようなよくないことが必ず起きるかというと、そんなことはあまりありません」
ということは、この世のものではないものと、袖がすれ合ってしまったって程度のこと?
「そのとおりで、怪異はあっちこっちで起きている。自分にはそんなことは一度もないといっても、気づかずにスルーしているだけかもしれません。また、今まではなかったけれど、今日、出会ってしまうかもしれません。私の本で紹介している摩訶不思議な出来事は、すべて実話です。まだまだ紹介していない話もあります。それだけたくさんあるってことですよ」
郷内さんのもとには、年間で500人以上の相談者が訪れる。拝み屋さんになってから20年近くたつそうだから、約1万人が怪異な経験をしていることになる。
手出しは無用、触らぬ魔性に祟りなし
この世ならざる者が、そこら中にいるとして、私たちがするべきことは、「やり過ごすこと」と郷内さんはいう。
何もしなければ何もない。しかし、あっちの世界では「祟る」のが当たり前。祟られたくなかったら、余計な手出しはせず、関わらないこと。
「例えば災害などで亡くなられた方がいて、みなで花を手向けるのはいいと思います。しかし、交通事故で亡くなられた方のために遺族が、道路の片隅にご供物などをそっと置いてあったりする場所で、赤の他人が手を合わせる行為は、やめたほうがいい。合掌しておけば自分が徳を積んだような気持ちになるのでしょうが、それは要らぬ不幸を招きかねません」
それはわざわざ、こっちから相手の世界に足を踏み入れ、関わりを持つようなもの。退屈しのぎや興味本位で心霊スポット探検へ行き、災いを引き寄せてしまう人が結構いるそうだ。自分には霊感もないし、怪異な経験などしたことがない。本当にそんなことがあるのかなあ─という人に限って、怖さを知らないから余計なことに首を突っ込んでしまう。要らざることをしてしまい、霊を呼び寄せてしまう。
では旅館やホテル、病院といった、怪異現象がよく起こるとされている場所についてはどうなのだろう。
「怨念とか悪霊とかよりも、多くの人の思いが怪異を生み出しているのではないでしょうか。旅行でも、みんなが楽しんでいるとは限りません。悲しいことがあっての旅とか、仕事で大変な思いをしている旅とか、そういう思いが詰まった部屋だと、負のエネルギーが漂ってしまうことがあるものです。病院も、患者がたくさん亡くなっているというわけではなく、病気のつらさが負のエネルギーとなり、さらに入院患者も感覚が鋭くなっているので、怪異を感じやすくなっているのでしょう。死んだ人の霊というより、生きている人の念が残留しているのかもしれません」
どんなときにも怪異なことに対して不遜にならない。理屈では解決しないけど、こういうこともあるんだと受け止める。
「これって拝み屋の心境なのですが、誰もがそれができれば、不思議なことがあったとしても、災いは起こりませんね」
心の準備と覚悟をして読んでほしい
郷内さんの本は、多くの人から寄せられた実話ばかり。ただし、読むにあたっては心の準備が必要だ。
「ここでお断りしておきますが、読書中にあなたに何か障りが出てくるかもしれません。私は、できるだけ怪しきものには手を出さず、やり過ごせとお話ししてきました。できれば怪談話など聞かないほうがいい。でも、みんな怪談話が好きですよね。
だったら、この話をきっかけに、霊があなたを訪ねていくかもしれませんが、それは覚悟をしてください」
実際に、郷内さんの本を声に出して読んでいて、気分がざわざわとしたり、いつもとは違う気配を感じたという人が出ている。もし何か得体のしれないものに出くわしても、平常心でやり過ごすこと。
今回は、郷内さんの新刊からえりすぐった怪談話を紹介した。
世にも不思議なこの体験実話を、何ごともなく読み終えられますように! 絶対に声に出して読まないで……。
1979年宮城県生まれ。郷里で拝み屋を開業。先祖供養、憑き物落としや魔祓い、各種加持祈祷、悩み相談などを手がけている。2013年『調伏』『お不動さん』の2作で第5回『幽』怪談実話コンテスト大賞を受賞。特異な経験を活かし、実話を基にした怪談作家としても活躍。著書の『拝み屋怪談』シリーズはテレビドラマ化され話題になる。今夏、『拝み屋念珠怪談 緋色の女』(角川ホラー文庫刊)、『拝み屋奇譚 災い百物語』(アプレミディ刊)、『拝み屋備忘録 怪談火だるま乙女』(竹書房刊)の3冊が発売された。
<取材・文/水口陽子(つきぐみ)>