去る7月12日、82歳の誕生日を迎えた女優の中村玉緒。
取材当日、彼女の耳に光っていたルビーのピアスは、知人から誕生日プレゼントにもらったものだという。そこで、亡き夫・勝新太郎さんにもらった思い出のプレゼントを尋ねると……。
「夫からのプレゼントは、14億円の借金です。それをぜーんぶ返したのは、私(笑)」
彼女にしか言えない至極のジョークで現場の雰囲気をほぐしてくれた。そんな中村は、コロナ禍も精力的に仕事に励んでいるという。
「今は大変な世の中で、みなさん元気もないですよね。でも、私と同年代の五月みどりさんや水谷八重子さん、少し下にはなべおさみさん……みんなとっても元気なんですよ。私の健康の秘訣? それは『今日のことは今日で忘れる』という性格でしょうね。翌日には引きずりません」
自分で決めてダメなら仕方ない
“今日のことは今日で忘れる”という言葉は、自身のYouTubeチャンネル名にも冠している彼女の座右の銘だ。最近はSNSにも興味津々で、インスタグラムのアカウントも開設。近況報告の場として活用している。
「インスタグラムは長年の私の付き人が投稿してくれていて、コメントも読み上げてもらっています。私は、新しいことを考えるのが好きなんです。自分で『こういう企画がしたい』と思い立ったら、事務所の社長に直談判。私は自分でマネージメントをしていた時期が長いから全部自分でできちゃうんですよ。今は秘密ですが、新しい企画も進行中なんです」
マル秘プロジェクトの話をしながら「ぐふふふふ」と、いたずらっ子のように笑う。
「遊びの予定もきっちりこなします。赤坂に行きつけのパチンコ店があるんです。決めてることがあって、スロットのレバーは右手を使う。でも、麻雀牌は左手で取る。勝っても負けても予定どおりに進めば万々歳! これも元気の秘訣です」
週刊女性の取材後もスロットに行く予定、と朗らかに笑う。年齢を重ねてもなお、毎日パワフルに過ごしているようだ。
「今はマネージャーさんがいますけど、自分のスケジュールは自分で決めたほうが寝心地がいいんです。他人任せにすると失敗したときにその人を責めたくなるでしょ。私は誰かの悪口を言いたくないから、自分で決めます。人間ですから間違う日もありますけど、自分で決めてダメなら仕方ない……そう考えながら眠るのが私の“睡眠薬”なんです」
話を聞くと中村玉緒の人生哲学はとてもシンプルに感じる。しかし、彼女がこれまで歩んできた険しい道のりを思えば、そう簡単に到達できる人生観でないことは明白だ。
父親に「玉緒が男やったらなあ」と
歌舞伎俳優・二代目中村鴈治郎を父に持ち、母は京都先斗町の元舞妓、実兄は昨年亡くなった四代目坂田藤十郎……中村玉緒は幼いころから日本の伝統ある“芸”を肌で感じながら育った。父はよく「玉緒が男やったらなあ」とぼやいていたという。
「父は私に役者の才能を感じていましたが、女なので歌舞伎役者にはなれません。子どものころの私は母のような舞妓さんになるのが夢でしたね」
その後彼女は映画の世界に魅了され、女優を志すことに。そして1953年、映画『景子と雪江』で銀幕デビューを果たす。
以降も数々の映画に出演し、着実に女優のキャリアを築いていった中村玉緒。そして生涯の伴侶となる俳優、勝新太郎との出会いによって、人生は加速する。
「主人との初共演は『源太郎船』でしたが、婚約をしたのは1961年の『悪名』の公開後でした。初めて会ったときは結婚するなんてまったく思いもしませんでしたね」
勝さんといえば、まるで本人が演じている役柄のように私生活でも大胆なイメージがあるが、中村へのアプローチは意外な方法だった。
「当時、主人が自宅で開いたパーティーに私も招かれたんです。すると主人のマネージャーに呼び出されて『勝さんのこと好きですか? 嫌いですか?』と聞かれて『好きか嫌いかで言うと、好きです』と答えたんです。1週間後、そのマネージャーから『勝さんが結婚を前提にお付き合いしたいと言っています』と言われました」
恋愛にはシャイな一面もあったようだ。それから1年後、中村が22歳のときに結婚。2児をもうけた。
「主人の兄の若山富三郎さんにも、実の妹のようにかわいがっていただきました。若山さんはとても女性に好かれましたから、主人がうらやましがって『お兄ちゃんはいいなあ。右手に女、左手に女、右足に女、左足に女。僕は玉緒しかいないんだよ』なんて言うんです。ひどいでしょう?(笑)」
ジョークのなかにも“たったひとりの妻”へ思いがうかがえる。
勝新太郎の意外な繊細さとは……
中村は「主人は演技に対して神経質なところがあった」と思い出を語る。
当時、勝さんと共演していたある女優の楽屋へ挨拶に行ったときのこと。
「その夜、主人に『玉緒、今日は来ないほうがよかったよ』と言われたんです。理由を聞くと、その日はラブシーンの撮影があったようで、私が挨拶に行ったせいで彼女が積極的に演じられなくなってしまったみたい。主人には、相手の気持ちの変化を察する繊細さがありましたね」
名優・高倉健さんと勝さんが、映画『無宿』で共演した際にはこんなエピソードも。
「主人はお酒を飲むけど、健さんはお酒を飲まれなかったでしょ。撮影中は健さんが好きなコーヒーばかりで『毎日コーヒーを何十杯も飲んで大変だったよ』と言っていました。主人をしても、健さんには『一杯飲みに行こう』と言えなかったようです」
また、中村にも健さんとの大切な思い出があるそう。
「健さんから『玉緒さんとご飯をご一緒したい』と直接電話がかかってきて、ある有名ホテルの中華料理店にお招きいただきました。同じテーブルには、健さんのご友人の散髪屋さんや、メガネ屋さんが座っていて、芸能界の関係者はひとりもいないんです。『僕はね、俳優とご飯を食べたくないんですよ』とおっしゃっていたのが印象的でしたね。でも、私はなんでよかったんですかね。もう1度くらいお食事に行きたかったです」
中村は今でも、携帯電話のメモリーから高倉健さんの電話番号を消せずにいる。
“勝新太郎の妻”として立派に死にたい
妻・玉緒の口から語られる“人間・勝新太郎”は、とてもチャーミングな男性だ。
「主人は人のために動くのがとても好きな人。飲みに行けば全員分の勘定をしたり、見知らぬタクシーの運転手さんに多めに運賃を支払ったり、他人の借金も背負ったり……人から漏れ伝わる主人の話を聞くと『そりゃあ14億円も借金しますわ!』と笑うしかありません。他人にも自分にも甘いというか、優しい人やったんです」
14億円という数字は、勝新太郎という人物のスケールの大きさを表しているようにも思える。そしてそれを全額返済し、笑って話せる中村もまた、同じ器の持ち主なのだ。
勝さんは、借金だけでなく、世の中にさまざまな話題も提供した。そのため中村には、破天荒な夫の動向に黙って耐える妻、というイメージもできた。
「いろいろなことを言われてね。みなさん、面白がって適当なことを言わはるでしょう。嘘も多いですね。でも、私はじーっと、反論しないで、一晩寝たら忘れるの。
本当にいろいろありましたけど、私は『勝新太郎の妻でよかった』と思っているんです。
私は昔からズバッとした男っぽい性格なんだけど、主人のほうが柔らかい、女性的な性格だったと思います。だから、合ったんでしょうね。
亡くなるとき、まだ生きようとしている主人の目を私の手で閉じるのがとてもつらかった。実はね、あまりに悲しくて、命日の日付がわからなくなっちゃったんですよ」
言葉の端々から、勝さんへの深い愛情がにじむ。今では勝さんの遺影にその日の出来事を語りかけるのが、大切な日課になっているという。
「母は“中村鴈治郎の妻”として立派に生きました。私も“勝新太郎の妻”として立派に死にたいのですが、今の状態だとお迎えがまだまだ来そうにありません。今日も一日前を向いて、しっかり生きるしかないですね」
昭和から令和の現在も、時代をしっかり踏みしめて歩み続ける女優・中村玉緒。彼女の挑戦は、まだ続きそうだ。
《取材・文/大貫未来(清談社)》