人気バンドSEKAI NO OWARIのボーカル、Fukaseさんが閉鎖病棟に入院していた過去をテレビで告白した。自身のインスタグラムでは、医者に無理やりズボンを脱がされて筋肉麻酔を打たれたことや、時計のない部屋で昼も夜もわからず閉じ込められていたという話を公表。センセーショナルな話題として一気に拡散した。
暗く怖い「閉鎖病棟」のイメージ
厚生労働省の発表によれば、令和元年の精神病床における1日あたりの入院者数は1000人を超え、精神科受診者数は年間5万8000人以上となっている。
重度のうつ病で入院を経験した漫画家、錦山まるさんは、「精神科や精神科病棟はみんながイメージするような場所ではない」と話す。実際のところはどうなのか?
漫画家の錦山さんはうつ病を発症し、26歳のとき自殺未遂を起こして精神科病棟に入院することになった。
錦山さんの話によれば、入院から4日間は重い鉄のドアのついた部屋に入れられ、外から鍵をかけられた。部屋にはプラスチックの椅子に穴があけられその下に容器が置かれた簡易トイレとベッド以外、何もなかった。
私物は一切持ち込めないし、人との接触は日に数回まわってくる看護師とだけ。
できることは何ひとつなく、ただ時間だけが過ぎていった。壁際の天井近くには監視カメラがついており、ナースステーションなどから四六時中見張られている。Fukaseさんも書いていたとおり「監視下の中で排泄までせざるをえない」環境に置かれるのだ。
「最初はとにかく寂しくて、人間の生活をしているように思えなかったんです」
この4日間の経験が今までの人生でトップ3に入るほどつらかったという。来る日も来る日もただひたすら時間をつぶすしかなかった。これまでのこと、これからのこと、どうしてうつ病になってしまったのか、うつ病を治した後のこと、漫画家としての自分など見つめなおした。
病院によるとはいえ、閉鎖病棟の病室にあるのは基本的にベッドと簡易トイレのみ。洗面台やテーブル、椅子もない。扉は重い鉄のドアで外側からしか開けられない。
どうしてこんな目にあわないといけないのか。錦山さんは入院当初、「病院に入院させられるほど自分は落ちぶれてしまったのだ」という屈辱感に支配されたという。そこにはやはり、精神科や精神科病棟への大きな負のイメージがあった。
かつては、精神疾患患者は人目につかないところに隔離することも行われていた。
1950年に精神衛生法が施行されるまではそんな患者にとっては厳しい状況が当たり前だった。しかも、精神衛生法でも一定の条件下での監視は認められていたため、その後も多くの患者が病院での非人道的な環境に耐えなければならなかったといわれる。
’54年に薬物療法が導入される以前は、催眠療法や電気を脳に流したり、インシュリンやカルジアゾールなどの薬物を用いる療法が多かったのだ。
「精神科病棟といえば、人里離れた山奥にあって病室の窓には鉄格子。入院患者は薬を打たれたり拘束されたりする」──インターネットのそんな情報や体験談を錦山さんも信じていたひとりだ。
患者のために徹底された安全管理
精神科病棟への入院は所かまわず暴れたり、周囲に暴力を振るったりする患者を隔離するため、と思われがちだがそれは間違い。実際には患者自身が自らを傷つけたり、自死したりしないようにするための保護措置であることがほとんどだ。
実際、錦山さんが入院することになったタイミングも自殺未遂の直後。部屋はシンプルな造りで、靴ひもタイプの靴や、携帯電話、割ると凶器になる可能性があるものを持ち込ませないようになっていた。入院中の差し入れなども患者の症状によって制限がかけられる。
次ページ冒頭の漫画は、錦山さんの著書『マンガでわかるうつ病のリアル』からの抜粋である。架空の人物であるうつ病患者の夢が友人の璃杏に「死にたい」という気持ちになることがある、と打ち明けているシーンだ。
「うつ病の人の死にたい気持ちは、病気でない人とは違うのだ」とあるが、平成27年の厚生労働省の調査でも自殺の2割はうつ病によるもので、職場や学校のトラブルによる自殺の約2倍にも達する。
さらに、自殺未遂を起こす人の約3分の1までが、うつ病に限らず精神科にかかっていたり、精神疾患があることもわかっている。そして、精神疾患のある人の実行率が圧倒的に高いというデータは見逃せない。
実は、閉鎖病棟とは入院患者にとって徹底的に安全な環境を提供する場所。
「身体的拘束」も同じで、法律に基づき、開放的な環境では生命を危険にさらす可能性のある患者を守るためのものであり、基準が定められている。現在は「本人に危険が及ぶ場合」や「自殺企図または自傷行為が切迫している場合」などでしか許されず、さらに適用のルールが細かく決められている。以前とは異なるのだ。
とはいえ、いくら病院側が細心の注意を払い、患者の安全のために拘束という手段をとっていたとしても患者の感覚は違う。錦山さんには入院時、身体拘束をされていないが、ベルトをきつく締められた経験を苦しげに語る患者と話したことがあるという。
「30代の男性患者さんだったのですが、最初、ベルトがゆるくて暴れたらはずれたため、きつく締められたんだそうです。動きが制限されてイヤだったし、拘束中はトイレをおむつですることにするのに慣れなかったので、不快だったと言っていました。こういった体験が、今も根強く残る『精神科病棟は怖い』の理由かもしれません」
他科と変わらない入院生活
個室の閉鎖的な空間はつらかったものの、意外にも錦山さんにとって精神科病棟は「普通の場所」だった。
「たしかに、個室から出て病棟内を歩き回れるようになってからは叫び声を上げる人や机を蹴る人なども目にしましたが、そんなことばかりではありません。物にあたったり、ほかの患者さんに迷惑をかける人がいたらすぐに看護師さんが駆けつけ、落ち着くまで個室に入れたり、入院患者の安全を守っていました」
第一印象は、病院がきれいだということ。窓に鉄格子などもなかった。
「許可が出れば、院内を動き回ることもできました。売店に行ったり、外部へ電話したり、ロビーにあるテレビで番組を見たり、自販機で飲み物を買ったり。食堂には給湯器もあるので自由にお茶などを飲むこともできたんです」
錦山さんの病院にはロビーと食堂にテレビがあった。漫画や雑誌、新聞、トランプやオセロなどもあり、個室に持ち込まなければ自由に利用できた。ただし、すべてが一気に許可されるわけではなく、それぞれ段階を踏んでの許可となるのは患者の状態に応じて安全のレベルが異なるから。だから、事前申請で許可が出れば外出も可能だ。
回復すれば、充実した生活も
お風呂は予約制だったそうだが「ロビーなどまで出られるほど回復すれば、患者さん同士の交流もあったし、シェアハウス感覚でした」と話す。
1日1回、ヨガや楽器演奏、習字など何かしらのレクリエーションがあり、行動制限がかかっていなければ自由に参加できた。食事の時間や消灯時間は決まっているものの、通常の入院生活と変わりがない。むしろレクリエーションが毎日行われているぶん、充実しているかもしれない。
「強制参加ではないので、気が向いたときに参加してひとりで楽しんだり、ほかの患者さんと一緒に遊ぶことができます。私はこのレクリエーションのヨガが特に楽しみで、開催されない祝日は本当に退屈でした」
閉鎖病棟は世間のイメージとは違い、患者が元気になるためにたくさんの工夫がされていたと話す。
患者の症状に応じて病室は個室ではなく共同部屋に入ったり、ナースステーション内にある特別な個室に入ったりとさまざまだ。
また、入院当初の「魔の4日間」にも大きな救いがあった。日に数回、部屋に顔を出してくれる看護師が、必ず時間を見つけては声をかけてくれたのだ。そのときほど人の温かみを感じたことはなかった。看護師との会話が錦山さんにとって大きな励みになった。
「私は『どうせまた同じことを繰り返す』と訴えたら『ずっと繰り返しじゃない、いつかそうじゃなくなる日が必ずきます』と言われて。絶望感や屈辱感でいっぱいだった私が、このとき初めて元気になれると希望を持てたんです」
それまでの多忙だった生活リズムが入院で落ち着いたこともあり、症状は劇的に回復した。もともと、3か月程度の入院が想定されていたが、長ければ半年くらいかかると思われていたところを、2か月弱で退院となったのだ。
ほかにも社会復帰の練習のために、週に何回か、別の階や棟に移動して普段会わない患者と、1つのテーマについて話し合ったり、薬や病気についての勉強会をすることもあった。
「私にとって、こうしたプログラムは病気を治すのに絶対必要な過程だったと考えています。閉鎖病棟は安全に過ごせ、少しでも早く元気になれるようにたくさんの工夫や配慮がされた“患者が元気になるための場所”です。振り返ってみると、トータルではとても過ごしやすい環境でした」
新型コロナによる「コロナうつ」もニュースとなった。日本うつ病学会によれば、コロナの自粛によって人との接触が極端に減り、会社や学校などにも行かず、さまざまな我慢を強いられたストレスが積み重なり、引き起こされるという症状だ。
「人と会わなくなったから」「外に出なくなって興味を向けるものが減ってしまったから」などもっともらしい理由があるせいで、症状に気づけていないことも多いという。
右の漫画のように、何かがおかしい気がしても「たまたま失敗が続いているだけ」「疲れているだけ」と自分をごまかし、「ほかの人はできているのだから自分が悪いんだ」と思い込んでしまうことがある。
心療科を持つ多くの病院が「該当する症状が一定期間続くのであれば一度受診を」「悪化する前に専門家へ相談を」とホームページで警鐘を鳴らしている。
しかし、違和感を感じても病院に行かない理由は、自分がうつ病であることに気づかない、だけではない。これまで話してきたような精神科、精神科病棟へのマイナスのイメージが二の足を踏ませている可能性がある。
「私もうつ病の疑いがあると感じながらも病院へかかることを避けていました。
このくらいの仕事量はプロの漫画家ならこなして当たり前だ、と自分に言い聞かせて頑張る毎日。うつ病は弱い人間がなるただの“怠け病”だという偏見を持っていましたし、病院に行くこと自体に大きな抵抗があったのです」
その後、後で結婚する当時の恋人から背中を押され、ようやく精神科を受診。通院と服薬による治療を受けることとなったが、「うつ病を治しても元の自分には戻れない」という絶望感にさいなまれ、自殺を図るほどまでに悪化してしまったのだった。
退院してからは約2年で薬がゼロになり、その後も約2年、通院を続けた錦山さん。治療開始から通院終了までトータル5年半かかったという。
「『たいしたことない』という自己判断で悪化させるのは、うつ病に限ったことではないかと思いますし、『うつ病は心の風邪だ』と表現する医者もいますよね」
つまり、そのくらい誰でもかかる可能性があること。
「悩んでいるなら、まずは病院に行ってほしいですね。そもそも病気なのか、治療が必要なのかは医師が教えてくれますから」と、錦山さんは力強くそう言う。
うつ病に限らず、精神科のドアを開けることでそれまで何となく引っ掛かっていた悩みの問題が明確になるかもしれない。何より、自分自身との折り合いをつけるきっかけにもなるはずだ。
閉鎖病棟の病室を細かく説明!
【部屋全体】物を引っ掛けられる出っぱりがなく造られている。
【窓】はめ殺しではない。ビルのトイレなどにある、片側の端っこをほんの少し外側に向けて開けられるタイプの窓と同じ構造。鍵がかかっているのか開けることはできない。窓はガラスではなく強化プラスチックと思われる。窓自体のサイズは軽自動車のドアの窓くらい。窓の真ん中が床から170cmくらい。景色は見えるが少し位置が高い印象。
【扉】小窓がついている。小窓の真ん中が床から160cmくらい。強化プラスチックらしき素材がはめ殺しになっていて小窓自体は開けられない。小窓には普段はふたがしてあり、外側(廊下側)からしかふたを開けられない。このふたはのれんみたいに上だけ固定されており、下の端に付いているツマミを持ってめくり開けるような簡易的なもの。たまに看護師が中の様子をのぞく。
【扉のドアノブ】普通のドアと違い、物が引っ掛けられないようにドアノブが扉に斜めに刺さっており、鍵を掛けると画像のようにドアノブが下を向くようになっている。普通のドアノブのようなデザイン製はなく凹凸がないツルツルした造り
【棚】ひもやガラスなど自傷他害に使えそうな物以外は好きに物を置ける。部屋の外に自由に出られるようになるまでは棚にトイレットペーパーだけが置かれていた。部屋の外に自由に出られるようになるとトイレットペーパーは回収された。
【簡易トイレ】プラスチック製。便座部分にふたが付いており、トイレ時にはふたを開けて座って使う。ふた付きのゴミ箱のふたの周りに便座がくっついて座れるようになったような構造。便座もふたもはずすと中のバケツを取り替えられる。バケツ交換の時間まで便はそのまま。部屋の外に自由に出られるようになると簡易トイレは回収された。
【ゴミ箱】中に袋などはつけられない規則になっている。100均のゴミ箱をそのまま置いてある状態。
錦山まる基準「こんな精神科病院・閉鎖病棟は注意!」
【病院内部の情報がわからない】
事前に少しでも情報が公開されている病院のほうが安心して行くことができる。ホームページやSNSなどで内部情報が集めやすく、わかりやすい病院に。
【フィーリングが合わない】
錦山さんの場合、親近者が通院する病院や入院する病院を選んだが、そのとき「ここにしよう」「ここはやめておこう」と思ったポイントは「対応の印象がよかったか」。受診のために電話をしたときの対応、入院前に病院に行ったときの診察の様子などから「しっかり向き合ってくれそうだ」「きちんと診てもらえそうだ」と感じた病院に決めたという。
逆に患者さんの様子をほとんど見ない、患者さん本人に質問をほとんどしないなどの対 応をされた病院はすぐに行くのをやめたとのこと。
[取材・文/オフィス三銃士(松本一希)]