世界的チェーンの創始者、年商5億の経営者、作家、写真家、演歌歌手、お笑い芸人…… 人生100年時代ですから、何歳から新しいことを始めてもいいんです!そんな、60歳を過ぎてから新しいことを始めた人たちを紹介します。
週刊女性読者世代は「この年で……」と年齢を言い訳に新しい世界に飛び込むことを恐れてしまいがちなお年ごろ。けれど、いまは人生100年時代。60歳なんてまだまだ若い!きんさんぎんさんも芸能界ブレイクは100歳、いくつになっても挑戦する気持ちを持ち続けたいもの。今回はそんな60歳を越えて新しいことを始めて“すごいことになった”人たちを紹介しよう。
起業はいつでも遅くない!
ケンタッキー・フライド・チキン(以下、KFC)でおなじみのカーネル・サンダース(1890-1980)がKFCをフランチャイズ化したのは、62歳のときのこと。自身の経営するカフェで提供していたオリジナルチキンを、カフェの売却を余儀なくされてから本格的にフランチャイズ化することにしたという。
「私の辞書には“諦める”という文字はありませんでした。(次に何をしようか……)私にとって頭を悩ます問題はそれだけだったのです」(『世界でもっとも有名なシェフ カーネル・サンダースの自伝』より)
毎月の年金だけを頼りに、車に圧力鍋を積んでフランチャイズパートナーを探したが、最初は芳(かんば)しくなかったという。出会う人にチキンを食べさせ売り込み、国内、国外とも徐々に浸透していったが、フランチャイズ契約をしたところには必ず自ら赴き、チキンの揚げ方を指南していた。年齢を経ても挑戦をやめず、地道な努力を続けてきたことが、世界的な大チェーンを作り上げたと言っていいだろう。
80歳で起業、年商5億円の女社長
日本の起業家も負けてはいない。79歳で宅建士を取得、80歳で不動産会社を起業した和田京子さん(87)は、77歳のときに夫との死別をきっかけに宅建の勉強を始めた。
日本国籍であれば年齢制限もない宅建の資格をとるために半年間の勉強をし、見事女性最高齢宅建合格者として表彰もされたという。資格を活(い)かすために職を探すも、履歴書を書いたところでふと「職歴に『主婦55年』としか書けないのであれば起業するしかない」と起業を決意。
「年中無休24時間営業」と「仲介手数料無料」と業界の慣習にとらわれない2つのサービスを掲げ、5年目には年商5億円を達成。現在会社は2代目の娘さんに継がれているが、現役当時はヴィヴィアン・ウエストウッドの服につけまつげ、ボブカットヘア……という年齢を感じさせないポップないでたちの名物社長であった。
「ことば」が心を打つ
あの『大草原の小さな家』の原作者であるローラ・インガルス・ワイルダー(1867-1957)がシリーズの初刊を発表したのは65歳のときのこと。それまではまともに文章なんて書いたことのなかった彼女が、作家として活躍していた実の娘に刺激されて書き始めたのが第一作となる『大きな森の小さな家』だった。
当初彼女の原稿を受け取った編集者は「またお年寄りの思い出話か」と相手にもしなかったという。だが時を経るごとに話題となり、結果シリーズは9作品、テレビドラマ化もされる大ヒットとなった。
『くじけないで』が詩集としては異例となる160万部という超大ヒットになった故・柴田トヨさん(1911-2013)が、詩作を始めたのはなんと92歳!新聞の投稿欄の常連となり、98歳で出版した『くじけないで』が多くの人々の心を打った。年齢を重ねたからこそ、綴ることのできる「ことば」があるのだ。
花開く内に秘めた芸術的感性
アメリカ人なら知らぬ人はいないと言われるほどの国民的画家、グランマ・モーゼス(1860-1961)。本格的に絵筆をとったのは、76歳のころ。リウマチで動かなくなった手のリハビリのために油絵を始めたのがきっかけだった。
あるとき、ひとりのコレクターが彼女の絵に目をつけ、80歳にして初個展を開催。田園風景や、その中で楽しく暮らす人々をいきいきと描いた作品が注目され、一躍有名画家の仲間入りを果たす。101歳で死去するまで約1600点もの作品を残した。
現在、東京都美術館で開催中の展示会「Walls&Bridges 壁は橋になる」(10月9日まで)では、晩年から芸術の道に入った日本人アーティストを2人紹介している。
増山たづ子(1917-2006)は、ダムに沈むことが決まっていた故郷の岐阜県旧徳山村と村民を記録するために、全自動フィルムカメラで60歳から28年間、村を撮影し続け「カメラばあちゃん」のあだ名で親しまれていた。
年金でフィルム・プリント代をまかない、逝去するまでの撮影カットは10万枚、整理したアルバムは600冊にも及んだ。生き生きとした村人の姿、揺れる花や木々の姿が記録された写真の数々は、日本人なら誰もが「どこか懐かしい」と感じる心の原風景を見事に切り取っている。
東勝吉(1908-2007)が、木こりを引退後の老人ホームで水彩画を始めたのは83歳のころ。早くに母親を亡くし、10代から木こりを始めた彼は、もちろんそれまでは絵筆などろくに持ったこともなかった。さらに要介護2という身体の状態にありながら、生まれ育った大分県由布院の山の景色を生き生きと大胆に描き、99歳で亡くなるまで百余点の風景画を残した。
芸術は、特別な資格がないとできないという高尚なものでは決してない。自分の身の回りにあることを、自己を通して表現することで生まれるものだ。
とにかく飛び込んでみる
文化的なことだけではなく、運動だっていくつになっても始めていい。日本最高齢フィットネスインストラクターの「タキミカ」こと瀧島未香さん(90)がスポーツジムに通いだしたのは65歳のとき。それまでしたことがなかった運動が「楽しい!」という気持ちに気づき、87歳でフィットネス・インストラクターに。“筋肉ばあば”を名乗りつつ、現在も実際にレッスンを受け持っている。
ご年配にはちょっとなじみの薄い「ラップ」や「DJ」にもパイオニアはいる。坂上弘さん(100)は84歳でアルバム『千の風になる前に』でラッパーとしてメジャーデビュー。現在は引退を表明しているが、100歳を超えてなおお達者ぶりをSNSでうかがうことができる。
故・塩沢ときさんもびっくりのサングラス姿がトレードマークのDJ SUMIROCKさん(86)は、高田馬場の中華料理店「餃子荘ムロ」の女将をする傍ら、77歳でDJスクールに入学し、アジア最高齢DJとしてデビューを果たした。現在はコロナ禍でイベントの出演を控えているが、それまでは国内外のイベントに引っ張りだこだったという。
そう、新しいものは若者だけのものではない。ミゾイキクコさん(87)は、SNSサイト「Twitter」を76歳のときに始めた。身の回りのことから社会のことまで、率直に問題を投げかけ、人々と対話をしていく姿勢が人気になり、現在のフォロワー数はなんと8・9万人(2021年8月15日現在)。「若い人のもの」だと思われたソーシャルメディアでも、実は何歳になっても活躍できるというよい例だ。
好きで継続が心身の「若さ」
では、新しいことを始めることは、人間にどのような影響を及ぼすのだろうか?抗老化医療の研究者(医学博士)であり、順天堂大学医学部非常勤講師・美容外科医の末武信宏先生に話を聞いた。
「脳の老化や認知症といったものはコミュニケーションの低下によって起こることがわかっています。60歳~65歳で定年を迎えると、余暇が増えるけれど人と接する機会も少なくなるため、物忘れや気力の低下につながるのです。新しいことを始めると、人とのコミュニケーションも増え脳が活性化するため、心身が元気になります」(末武先生)
また、話す・食べる・大きく呼吸をするなど「口を大きく動かす」ことで脳神経は大きく活性化するという。新しいことを始めることは、健康で長生きすることにもつながる。では、どういったことを始めるのがいいのだろうか?
「自分が“好きで継続できること”をやりましょう。人に誘われたからだとかで、無理して興味のないことをする必要はありません。好きなことをやると副交感神経機能が高まり、リラックスすることもできます。『才能の開花』はいくつでもありえます。肉体的な限界はあるかもしれませんが、とりわけ文化的なことに年齢は関係ないと言えるでしょう」(末武先生)
そう、我慢をせずに、好きなことをやっていいんです!いくつになっても新しいものを恐れずに飛び込んでいくことで、新しい自分に出会える可能性が広がる。
さあ、これを読んだあなたも、年齢を言い訳にするのは今日で終わりにして、新しい世界に飛び込んでみては?
〈取材・文/高松孟晋〉