「非常に微妙な判決と言わざるをえない。私たちの世界では“マケた”判決ですね」
そう語気を強めるのは、交通事故訴訟に詳しい高山俊吉弁護士。ここでいう“マケた”とは、量刑を軽くしたという意味だ──。
一昨年の4月、東京・池袋で飯塚幸三被告(90)が運転していた車が暴走。松永真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(当時3)が死亡したほか、9人の重軽傷者を生む大惨事となった。
事件当時、大事故を起こしたにもかかわらず、飯塚被告は逮捕されずに一度も留置場に入らなかったことが問題視された。
「旧通産省工業技術院の元院長だったため、“上級国民は特別扱いか!”と警察はバッシングを受けました」(全国紙社会部記者)
そんな“上級国民”に対して自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)を問う公判の判決が9月2日、東京地裁の104号法廷で下った。
裁判長の異例の説諭に飯塚被告は
検察側は飯塚被告に対して禁錮7年を求刑していたのだが、下津健司裁判長の判決は意外なものだった。
「主文。被告を禁錮5年に処する」
その瞬間、飯塚被告は視線を落としたまま、微動だにしなかった──。
この日は、午後2時ちょうどに開廷。飯塚被告は黒のスーツ、黒のネクタイ、白いワイシャツ姿。眼鏡に不織布のマスクを着用して、弁護人が押す車椅子に乗って出廷した。
被告は出廷すると、そのまま証言台に向かう。その直後に前述の判決が下ったのだ。
そのあと、裁判長によって判決の理由が約50分にわたって読み上げられた。そして次のように締めくくった。
「事故はブレーキペダルとアクセルペダルの踏み間違いによるもの。それは基本的な注意義務のひとつであり、その過失は重大であります。被告の一方的な過失です」
さらに、ここから裁判長の異例な説諭が始まった。
「遺族の精神的、身体的な苦痛、永遠に別れなければならない悲しみは深く、まったく埋められていません。被告は真摯に向き合って、遺族に謝罪していただきたい。被告は過失を否定していて、深い反省をしているとは思えない」
このとき、飯塚被告に小さな動きが。裁判長から遺族への謝罪を促されたとき、軽くうなずいた。裁判長が重ねる。
「過失は明白であり、納得できるのであれば、遺族の方々に謝罪、真摯に謝っていただきたい。納得できないのであれば、14日以内に控訴申立書を書いていただきたい」
最後にそう告げられたとき、被告の身体はピクリとも動かず、うなずきもしなかった。
終始、自身の過失を認めず無罪を主張し続けてきた飯塚被告。だが、裁判長の“控訴”という言葉にまったく反応しなかった様子から、最後の最後で自身の罪を受け入れたようにも見えたのだが──。
きっちり1時間で閉廷。ひと言も言葉を発する機会を与えられなかった飯塚被告は、裁判長に深く一礼をして、車椅子で退廷していった。
被告側に“期待”を持たせてしまった?
裁判後に開かれた遺族側の記者会見。飯塚被告に判決が下るまで事故発生から約2年半もかかったことを振り返りながら、妻子を失った松永拓也さんは感慨深くこう語った。
「遺族に寄り添った裁判長の言葉に涙が出た。私たちの悲しみは今後も続くと思いますが、ようやくこれでひと区切りがついた。前を向いて生きていくことができる」
飯塚被告に対しては、
「被告に権利があるというのが大前提。そのうえで、私個人の気持ちとしては無益な争いはしたくないので、できれば控訴はしてほしくない」
だが、前出の高山弁護士は裁判が継続する可能性は高いという。なぜなら、冒頭にあるとおり、“マケた”判決になったから。判決で下る量刑は検察側による求刑の“7掛け”が多いといわれるが、
「裁判所は100%検察側の証拠を認定していて、しかも自分の非を認めず無罪を主張し続けた被告に対して、求刑より2年も“マケている”。ありえないですね」(高山弁護士、以下同)
被告側に特別な事情があれば、量刑が軽くなる場合もあるというが、
「今回は本当に見当たらない。被告の90歳という年齢や体調面を考慮したのか……通常は斟酌(しんしゃく)しないですけどね」
この“弱腰”な判決に、
「被告側に“二審で判決をひっくり返せるかもしれない”という期待を持たせてしまったともいえますね」
検察側もこの判決を不服として控訴する構えを見せている。被害者家族の気持ちが安らぐ日はいつになるのか。