「被害者の夫は追悼式にもちらし配りにも参加したことがありません。自分の妻と子どもが殺害されたにもかかわらず、そうした行事に参加しないのは、人間の情からみればおかしな感覚だと思います」
ある捜査関係者が明らかにする。
愛知県豊明市で2004年9月、冒頭の夫の妻子4人が殺害され、自宅が全焼した。焼け跡から見つかったのは、加藤利代さん(当時38)と長男の佑基くん(同15)、長女里奈さん(同13)、次男正悟くん(同9)。就寝中に何者かに刃物で刺され、鈍器でも殴られた。
現場から火の手が上がったのは午前4時ごろ。同捜査関係者が説明する。
「犯人は灯油をまき散らし、蚊取り線香を使った時限発火装置を使っています。殺害から時間がたって発火しているので、綿密なアリバイ工作をした可能性がある」
利代さんの夫は事件発生時、夜勤の仕事で、自宅には不在だった。室内が荒らされた形跡はほとんどなかったことから、愛知県警は怨恨の線が強いとみて捜査を開始した。
捜査員はこれまで延べ約4万6000人が投入され、寄せられた情報は193件に上るが、犯人逮捕につながる有力な情報はなく、事件は未解決のまま、9日で発生から17年を迎える。
現場となった自宅跡地では今年も追悼式が開かれる。遺族や愛知県警の捜査員らが参加するが、新型コロナウイルスの影響で昨年から規模は縮小。情報提供を呼びかけるちらし配りは、感染予防のために街頭での配布はやめ、警察署などへの配布となった。
命日に合わせたこれら一連の行事は毎年行われてきたが、利代さんの夫は、現場近くに住んでいるにもかかわらず、今まで一度も顔を出していない。先の捜査関係者が続ける。
「例えば事件のことを忘れたいとかいろいろな感情があるから、不参加というのは理解できなくはないですが……」
夫はなぜ参加しないのだろうか。
利代さんの姉が語るありし日の4人
「もうすぐ9月9日だね」
利代さんの姉、天海としさん(59)は8月下旬、愛知県内の自宅で手を合わせた後、仏壇に並ぶ4人の遺影に、優しく語りかけた。毎朝、子どもたちが好きだった牛乳、そして利代さんにはアイスコーヒーを供える。それぞれの誕生日にはささやかな会も開く。長男の佑基くんが誕生日を迎えたお盆明けには、仏壇の前で一緒に一杯やった。昔はジュースだったが、今は生きていれば成人だから、ビールを供えている。
「元気にしてる?」
「ちゃんと4人一緒にいる?」
「ゆうき、お母さん守ってやってね!」
ウルトラマンやゴジラの人形、ミニカー、トランプ、絵に木版画、母子手帳……。
天海さんが今も大切に保管している4人の形見だ。現場の自宅は発生から2年後に取り壊されたが、その前に、天海さんが持ち帰ってきた。所々に焼け焦げた跡があり、現場の凄惨さを物語っていた。
「利代は子どもを第1に考えていたから、どんな思いであの世へ行ったのかな。助けたかっただろうなと。利代とは本当に仲がよかったんです。だから事件直後、私は身体に大きな穴があいたような気持ちになりました」
涙ながらに当時の心境をそう振り返る天海さんにとって、4歳年下の利代さんは、かけがえのない存在。毎日、10回はメールや電話でやりとりしていた。天海さんにも子どもが3人いて、誕生日会には利代さんの子どもたちも含めてパーティーをするなど、頻繁に遊んでいた。
「夫に離婚迫られ、悩んでいた」
事件の起きた日は、正悟くんの誕生日だった。
その前夜に見た明るい夜空を、天海さんは今でもはっきりと覚えている。
「ものすごく月がきれいな空だったんです。ああ、うさぎさんがいるな。明日は正悟の誕生日だねって」
しかし、その日が正悟くんに訪れることはなかった。
「まだ子どもたちがこれからというときに夢も希望もすべて持っていかれた。犯人が捕まらないとこの子たちは浮かばれない。だから私も事件の原因を知る必要があります。じゃないと、あの世に行っても利代と子どもたちに会えない」
そんな思いとは裏腹に、犯人は一向に逮捕されない。子どもたちにも背中を押され、天海さんはメディアの取材も受けるようになり、街頭でちらし配りも始めた。事件発生から5年目には、愛知県警に要請して追悼式を行い、同年に入会した殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(東京都)のメンバーとともに参列した。しかし、利代さんの夫はそこにいなかった。
「私が活動するので、妹の夫は出る幕がないと思っていると人づてに聞きました。温度差は感じています。3人の子どもの父親として、犯人検挙に向けた活動に命を懸けてほしい」
そう語る天海さんは、事件前の利代さんの様子について、複雑な事情を打ち明けた。
「実は事件の数年前から、夫は自宅に帰ってこなくなっていました。離婚も迫られ、3人の子どもを抱えてどう生活していこうか利代は悩んでいました。それでも、元の優しい夫に戻ってくれると信じていたのです。それなのに……」
愛人に溺れ、会社の金を詐取
先の捜査関係者が明かす。
「夫には事件当時、交際していた愛人がいました。夜の街に足しげく通い、金銭的にも相当浪費したようですね。借金を作ってしまったこともあり、自分が働いていた会社の金を騙し取って逮捕されました」
夫は事件発生から半年後の'05年3月、勤務先で不正に取得したパソコンを横流しするなどで現金約520万円を騙し取ったとして、詐欺容疑で愛知県警に逮捕された。
これに加え、取引業者から工作機械を水増し発注して現金を受け取っていたことも判明し、パソコン横流しとあわせて詐取した総額は約1300万円に上った。
夫は当時、名古屋市錦にある複数の会員制高級クラブを頻繁に利用し、知り合ったホステスと同棲を始めた。
年収は1000万円以上あったが、ホステスとの生活費や遊興費に困るようになり、消費者金融に手を出した。この膨らんだ借金返済のため、パソコンの横流しを計画した。
名古屋地裁で開かれた初公判で、夫は起訴事実を全面的に認めた。
同捜査関係者が解説する。
「詐欺事件のほうは別件で、本丸は放火殺人との関連性です。ところが愛知県警は証拠不十分で落とせなかった。それで批判を受けたので今も強気に出られないのです」
詐欺罪に問われた夫に対し、名古屋地裁は、懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。
その後に行った記者会見で夫は、寛大な判決に謝意を示したうえで、放火殺人事件についても言及した。
「私は全く関与していないのに、警察から容疑者として調べられた。ポリグラフ(うそ発見器)にもかけられた。私が関与しているかのような報道も一部でされ、残念だ」
以来、夫は公の場には姿を現していない。
夜の遊興は「バカだった」
その夫は今年もやはり、追悼式に参加しないのだろうか。
事件現場から徒歩圏内にある住宅街の一角に、夫は親族と住んでいた。そこは母屋と離れに分かれ、夫は後者でひとり暮らし。帰宅時間帯の夜に訪問し、ドアを開けて呼びかけると、奥の部屋から足音がした。
真っ暗な玄関に現れた夫は、髪が短く、ぱっちり目の濃い顔立ち。こちらの身分を明かし、事件から17年目の気持ちを尋ねると、落ち着き払った様子でこう言った。
「話すことはないです。今まであなたたちメディアが書いた記事を見れば、何も話したくはないね」
聞けば、当時の報道により、極度のメディア不信に陥っていた。このため何を尋ねても、
「お話ししません」
の一点張り。取材の主旨を伝え続けると、夫はぽつりぽつりと話しだし、詐欺事件と愛人関係についてポロッと漏らした。
「パソコンの件は、私はきちんと罪を償いました。まあ浮気も罪といえば罪かもしれないね。会社でお金を水増し請求し、キックバックをもらった。夜の世界で遊興し、(女性に)お金をあげていました。そういう内容の記事を読んだら、その延長線上に(放火殺人事件につながる)何かがあったと思うよね? だからもう何を言っても無駄だね」
夫の目は泳いでいない。あくまで冷静だ。夜の街に入り浸った理由については、こう説明した。
「ただ、遊びが面白かった。それだけ。ちやほやされるし。今思い返せばバカだなと思う。とことん思うね。そんときは、溺れとったね。(相手は)1人だけじゃなかったから」
その気持ちをさらに詳しく聞こうとすると、夫は苛立ったような声になった。
「私は何を言われようが、浮気の過去に触れられること自体が、『すべてあなたが悪い。だから事件が起きた。あなたわかっていますか?』というふうにしか聞こえない」
そのうえで放火殺人事件との関係性については「あるわけがない」と否定して不敵な笑みを浮かべ、皮肉交じりにこう付け加えた。
「あるわけがないとは言えないなあ。白いものも黒にできるでしょ? 権力とペンは」
犯人の早期逮捕を望むかとの問いには、小さく「うん」と頷いた。
「それはもう警察に任せるしかない。もし犯人が逮捕されてひと区切りついたら、たぶん(メディアに騒がれた)過去のことなんてどうでもよくなるんじゃないか。もう年だし、穏やかに過ごしたいね」
1時間ほどの立ち話を終え、その場を辞した。別れ際、夫は平然とこう言い放った。
「これが取材ということであれば、この場で話したことはすべて嘘です」
夫は今年の追悼式も「行きません」と言い切った。はたして命日には何を思うのだろうか。
※情報提供はこちらまで 0561-39-0110(愛知警察署特別捜査本部)
取材・文/水谷竹秀
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など