新設されたデジタル庁の採用に応募していたことを、5日放送のTBS『サンデージャポン』で明かした『2ちゃんねる』創設者の西村博之氏(以下、ひろゆき)。さまざまな知見があり、知識も豊富なひろゆき氏だが、このたびの採用では、「ひとまず応募してみようかなと思ったら落ちたって感じです」と不採用に。面接は2回ほど受けたそうだ。
番組では、試験官を“論破”したのかという質問も。それに対しては、「普通に対応したつもりだったんですけど……」と笑った。
彼の言動は人を小馬鹿にするような“攻撃力”がある。バラエティー番組やSNS上のディベートでの“論破”を得意とし、『論破王』と呼ばれることも多い。
「あなたの感想ですよね?」(vs評論家・古谷経衡氏)
「なんですか? “写像”って……」
「なんかその……たとえば“写像”って言葉の意味を僕は知らないんですけど、一般の人的にもたぶんそんなに常識的な言葉じゃないですよね? それを持ち出して“ダメだコレ”って言われても……」(以上、vs評論家・勝間和代)
ひろゆきはこれまで数多くの評論家たちを論破してきた。上記はネット上で“名言”として捉えられているほどの、彼の論破戦歴の中における圧勝劇だ。
ネットTVを中心に、ひろゆきがディベートを披露することは少なくない。しかし、それはvsタレントであることも多く、知識・ビジネス感覚・言語化能力……さまざまな面でタレントを上回るひろゆきは、赤子の手をひねるように論破し続ける。
しかし、広く彼の論破戦歴を見てみると、それほど“論破しまくっている”わけでもない。特に知識人に対しては……。
“ネイティブ”なフランス人や言語学者が反論
記憶の新しいところでは、世界的にも有名なフランス代表のサッカー選手2人による“人種差別”的行動が報じられたとき。選手2人は、来日時にホテルの日本人スタッフに“フランス語”で、「醜い」と言い放ち、日本人スタッフを嘲るような態度も取っていたことが発覚し、選手が謝罪する事態になった。
「フランス代表選手の人種差別的発言・行動について、フランス在住のひろゆき氏はツイッターで“使用された言葉に差別的な意味はない”と選手を擁護。それに対し、'02年の日韓ワールドカップでトルシエ監督の通訳を務めたフランス人ジャーナリストのフローラン・ダバディ氏は、“ネイティブ”として反論しました」(ウェブライター)
フランス人であるダバディ氏が、《彼らのスラング用語の中で人種に言及した言葉が多いのです。いずれも、恥ずかしいです》(ダバディ氏のツイッター)と話し、一方ひろゆき氏は《一般論としては、ダバディさんに同意です。ただ、今回のsales gueulesとputainはフランス人に向かっても使う言葉なので、酷い悪口ではありますが人種に言及した言葉ではないと思いますが、いかがですか?》(ひろゆき氏のツイッター)と反論。これに対し“大人の態度”かダバディ氏は返答していないが、ネット上では《これが現地の人の本音だろうよ ひろゆきは知ったかすんのも大概しとけ》などの声が集まった。
また、この件では言語学者が直接ひろゆきに反論している。
「'68年からフランスに在住する言語学者の小島剛一氏は、ブログや週刊誌でのインタビューでひろゆき氏のフランス語の解釈について、言語学者として、またフランス在住歴の長い人物として反論。ひろゆき氏もツイッターで小島氏に応戦し続けましたが、小島氏の隙のない言葉に、ネットではひろゆき惨敗の声が圧倒的になりました」(同・ウェブライター)
小島氏は、週刊誌インタビューで以下のようにひろゆき氏をバッサリ。
《氏がパリに建つアパートの一室に住んでいるのは事実なのかもしれません。しかし、それはフランス語を使ってフランスで働き、フランスで生計を立てているのとは違います。結局、ひろゆき氏は北海道や沖縄で暮らしているのと大差はない》
《あの動画における「putain」は明白に日本語を罵倒する差別発言です。フランス人も私も、それをはっきりと感じ取りました。フランス語の知識が乏しいひろゆき氏は、「差別ではない」と主張したい一心で、わざと曲げて解釈したのです。
にもかかわらず、ひろゆき氏は、私のしていない発言を組織的に捏造して反論もどきをしてきました。ブログのコメント欄などで匿名の人物に常軌を逸した攻撃を受けたことはありますが、素性を隠していない人物にここまで悪質なことをされたのは初めてです。教養が完全に欠如した、嘘を平気でつく人間と言わざるを得ません》
得意の“話をそらす手法”が弱点に
差別問題が絡んだフランス語論争は“大敗北”の声が多いが、それ以外に土が付けられたと解釈されたケースも多い。
「2010年の6月に、経済評論家の上念司氏とデフレ・インフレについて討論しましたが、“専門家”である上念氏に浅い知識を持って挑み、論破されたという声多数。フランス語問題とともに上念氏との討論が最もひろゆき氏が“論破された”例としてネットで上げられていますね。相当悔しかったのか根に持っているのか、討論を見ていた“当時の視聴者は知識が無かった、今の人たちなら理解できる”と10年ほど経っているにも関わらず反論しているほどです」(ネットニュース編集者)
このほかにもメディアアーティストの落合陽一と“サマータイム導入”についてツイッター上で討論。さまざまな意見をぶつけ合いながらも、最後には“酔って絡んでしまった”と敗走。
《サマータイム議論になんで熱くなってるんだろうと自問自答したところ、酒飲んで生放送して、深夜なので、頭が悪くなって絡んでるんだ、、、ということに気づいてしまいました。(フランス時間深夜3:52)ご迷惑をおかけしてすいません。。。》(ひろゆき氏ツイッターより)
「ひろゆき氏が論破されるパターンの1つに、専門家から間違いを指摘された際に、論点をすり替えて話をそらす手法があると思います。この“話のそらしのうまさ”は、彼が論破を得意としている理由の1つでもありますが、冷静に討論でき、かつ専門知識のある人には、そらした論点を戻され、そして詳しい知識でさらに突っ込まれるケースが多いのではないかと思います」(同・ネットニュース編集者)
勝敗はどうでもいいと考えているのでは
しかし、SNSを使っての“レスバトル”を筆頭に、基本的にネット上の討論、また討論などにもならない言い争いは、スポーツのような審判はおらず、明確な勝利も敗北はない。それを見たネット民がどちらの論に乗ったか程度のジャッジだ。
「ひろゆき氏は、基本的に『2ちゃんねる』なり『ニコニコ動画』なり、“外枠”を作るのが好きな人で、公序良俗の問題が多々あれど、そこでユーザーが好きに遊び、“何か”を作ってくれるようなシステムを作り楽しんできた。
そのため討論についても極論を言えば、中身つまり勝敗はどうでもいいと考えているのではないでしょうか。彼にとってはおそらく勝ち負けなどどうでもよく、所詮暇つぶしの討論ゲーム程度に捉えている。ひろゆき氏は、おそらく“結果自分が負けても、自分の価値が落ちない”ことを、これまでの経験から理解している。何度死んだって、リセットボタンを押せば、また新しいゲームがプレイできる程度に考えているのだと思います。
反面、『2ちゃんねる』に関して誹謗中傷などで裁判所から30億円にも上る賠償金の支払い命令を受けながら“10年たつと時効だから(賠償金が)ゼロになる。払うよりも10年間逃げ切った方が得”と無視し続けるなど、いろいろな戦いに“戦わずとも負けない”戦い方、結果的に勝つような戦い方をしてきた人なので、一応勝つ道を選ぼうとしているかもしれませんが、同時に負けてもどうせ何も変わらないという認識、むしろ負けたほうが注目は集まるくらいに思ってるのでは」(前出・ネットニュース編集者)
ネット上では、一度ファンを付けたインフルエンサーは強い。しかし、このまま彼は“論破王”の看板を掲げ続けることはできるのか……。