『ASAYAN』(テレビ東京系)は、モーニング娘。やCHEMISTRYなどを輩出した伝説のオーディション番組。1997年から1998年にかけて行われた『ボーカリストオーディション・ファイナル』の最終審査で1位に輝いたのが鈴木亜美だった。最初は彼女もファンとして番組を見ていたという。
「学校でもみんなが見ていた大好きな番組。観覧に行きたくて、ハガキで応募していました。私が歌手に憧れていることを知っている友達が“みんなで行こうよ”と背中を押してくれて、オーディションに参加することに」
話題を集めていただけに、才能のある応募者が殺到。レベルの高い競争となった。
「自分が残っているのが不思議でしょうがなかったです。ほかの応募者の人たちがすごい方ばかりで……。プロのヘアメイクさんにセットしてもらってテレビに出られることなんてないから、“笑顔で楽しもう”と思うようにしました。オーディションに落ちたら芸能活動をするつもりはなかったので、“最初で最後”と思いながら。せめて緊張しないように、“そのままでいられたらいいな”と自分に言い聞かせていました」
「君は笑顔で歌える曲がいい」
スタッフからアドバイスをもらうこともあった。
「スタッフさんに“君は笑顔で歌える曲がいいよ!”と言っていただきました。私はglobeさんの曲を選んでいたのですが、“こんな難しい曲は上手に聞こえなくなっちゃうよ”と言われて、広末涼子さんの『MajiでKoiする5秒前』に変更。当時は安室奈美恵さんやMAXさんやSPEEDさんの影響で“黒系”の衣装が流行だったんですが、“君は絶対に白とか、爽やかなブルーや黄色とかがいい”とアドバイスされました。それで地元で買った白いカーディガンなどを準備したら、印象がよかったみたいです」
最終審査は電話投票。本人も放送を見るまで結果がわからない。
「生きた心地がしなかったですね。地元もみんな知っていたので、“落ちたらここでどうやって生きていったらいいんだろう”とか、“変に同情されるのも嫌だな”とか考えていましたね(笑)」
審査が進んでいくと、家や学校での密着取材が始まり、周囲が騒がしくなっていく。
「今と違って学校名も自宅もすべて出ていたので、家にすごく人が集まったり、電話がかかってきたり。学校の周りを車でグルグルする人もいて、学校も困ってしまって……。合格が決まると“うちの学校は芸能活動はダメなので……”と言われて、転校することになりました(笑)」
プロデュースするのは小室哲哉。鈴木はアメリカのロサンゼルスに住んでいた彼に会いに行くことに。
「海外に行くのは初めてで、なぜか機内用にスリッパを持っていきました。10時間くらいかかると聞いていたので、“あ、スリッパがいるな”と(笑)」
そのころ、小室はアルバムの制作中。タイミングが合わなければ、会えずにとんぼ返りするかもしれないと聞かされていた。
「急に“今から会いに行くよ”と呼ばれたときは、それまでにない緊張がありました。“おめでとうございます”と言っていただいた後はどんなことを話したか覚えていないんです。最後に“本当にデビューできるんですか?”と聞いたら、“デビューは約束する”と言っていただいて。“これを聞けただけでもう大丈夫、日本に帰れる”とひと安心しました。
声が聴きたいと言われて、宮沢りえさんの『NO TITLIST』と観月ありささんの『TOO SHY SHY BOY!』を歌うと、“シャキシャキしている声だね”と。隣に座ってゆっくり話をしてくれたので、“この人に頼ろう”と思えました」
「小室さんからの手紙」
1998年に『love the island』でデビューすると一躍人気アイドルに。翌年の『BE TOGETHER』で初のオリコン1位を獲得。
「私は日本で、小室さんはLA。お会いできるのは、年末の番組などの限られた機会だけでした。『BE TOGETHER』の次にリリースした『OUR DAYS』は、“亜美を想像してすごくいい曲ができたんだ”とメッセージをくださったんです。“急にふと、亜美、頑張っているかなって思ったんだよ”とピアノを弾いて、作ってくださったそう。歌詞はまるで手紙のようで、“小室さんからの手紙”だと思った、思い入れがある曲です。遠くにいる兄が妹を思うような内容で、歌うといつも泣きそうになります」
『ASAYAN』では、同じ年にデビューしたモーニング娘。と対決する企画も。
「私も、モー娘。のメンバーもバチバチした感じではなかったですね。忙しかったので、目の前のことに精一杯だったと思います。でも、対決が終わったときは、ほっとしました。ファンの人の応援を感じて、ありがたいなあという気持ちでいました」
番組でMCを務めていたのは、勢いのある若手として大人気だったナインティナイン。
「大スターで、私からしたら雲の上の存在でしたので、普通にお話ができる感じではなかったんです。でも、『ASAYAN』が終わった後に共演したときは、妹のような、子どものような感覚で接してくださいました。今でも、お会いすると当時のことを思い出します。収録していた『砧スタジオ』に行くだけでも記憶が蘇って、感慨深い気持ちになります」
オーディション番組を視聴者として
最近またブームになっているオーディション番組を、視聴者として見ているという。
「“自分たちが応援してあげたら、この子はデビューできるかもしれない”というすごく近い立場で、同じようなドキドキ感を味わえるのが魅力だと思います。NiziUは、共感しながら見ていて、当時の私を応援してくださっていた方の気持ちがわかりました。今でも地方に行くと、“電話投票したよ”と言ってくださる方もいます」
だから、今でも『ASAYAN』のことを懐かしく思い出すことがある。
「『ASAYAN』からデビューできたことは、私にとっての誇りです。自分が大ファンで出たかった番組に出られたわけですから。今でも私の中では決して消えないステキな思い出です」