《共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております》
眞子さまの結婚問題に対する問いに対して、そうお気持ちを綴られた紀子さま。
「10月中に婚姻届提出」との報道が
「9月11日に55歳の誕生日を迎えられるにあたり、宮内記者会が事前に提出した質問に回答されました。質問は3つ。
“この1年の振り返り”と“悠仁さまのご進学とご家族の近況”。何より注目されていたのが“眞子さまと小室さんのご結婚の見通し”についてでした」(皇室担当記者)
9月1日、眞子さまと小室圭さんが年内に結婚される見通しだと報道された。それを受け、紀子さまのお誕生日文書がより踏み込んだ内容になる可能性があるともいわれていたが、蓋を開けてみれば“無難なご回答”に。
「紀子さまは、このように回答されるほかなかったのだと思います。眞子さまの年内結婚報道を受け、一挙手一投足に世間からの関心が集まる中、これ以上の“ハレーション”を引き起こしてしまうと、秋篠宮ご一家により一層厳しい目が向けられます。批判を最小限にとどめるために、当たり障りのないおことばを選ばれたのでしょう」
そう納得を示すのは、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授。
結婚報道があったちょうど1週間後の9月8日、今度はおふたりの結婚の具体的な予定日も報じられた。
「婚姻届を出されるのは10月中で、皇籍離脱に伴い宮邸を離れ、渡米の準備を進められるため一時的に都内のマンションに滞在されるとのこと。
ですが、小室さんの司法試験の合否も出ておらず、母の佳代さんが抱える金銭トラブルが解決するめども立っていない。時期尚早なのではないかという批判が相次いでいます」(前出・皇室担当記者)
眞子さまが用意周到に“強行結婚”を進められているのには、わけがあるという。
「結婚後、マンションに滞在されるというのは、“国民からの祝福”を得られていないことを、眞子さまが自覚されているからだと思います。祝福されていたとしたら、多少の準備期間、“一般人”として宮邸にとどまられても非難されることはないでしょう。
しかし、このような状況だと“小室眞子さんが国民の税金を使った”などとバッシングされかねません。そのようなリスクを考えて、すぐに宮邸を離れることができるように準備されているのではないでしょうか」(河西准教授)
一刻も早く皇室を離れたい─。そんな眞子さまの願いがひしひしと伝わってくるが、30年間大切にお育てになられてきた紀子さまは、どのように受け止めておられるのだろうか。
「婚約延期から3年半、眞子さまの結婚問題で悩み、涙を流されたこともあったそうです。やはり“ニューヨークに行かないでほしい”と今でも願われているのでは……」(宮内庁関係者)
紀子さまの“本心”に肉薄するため、週刊女性は紀子さまのご両親が暮らす都内のマンションを訪れた。インターホン越しに紀子さまのお母さまらしき女性に取材を依頼するも、一度は謝絶。現場を離れようとしたときだった。
「お小遣い箱から送料を」
「先ほどの方ですか?」
振り返ると、マスク姿でも気品が伝わる年配女性の姿が。ひと目で紀子さまの母・川嶋和代さんだとわかった。
「インターホン越しに失礼があり、ごめんなさい。困らせてしまったのではないかと気になったもので……。でも、お話できることはないんです。娘がウチを出てからはもうそれほど関わっていませんので……」
翌日、丁寧な対応をしてくれたことへの感謝と再度取材のお願いを記した手紙に、ささやかな菓子折りを添えて送ると、記者のもとに1本の電話が─。
「そちらさまから結構なお品物をお送りくださいました。誠にありがとうございます」
やわらかな口調でそう話すのは、今年81歳になった紀子さまの父・川嶋辰彦さんだった。そして、「お詫びを申し上げないといけません」と切り出した。
「マスコミュニケーションは、社会的に大事なお仕事かと存じます。ただ、私のささやかな“こうしたい”というお気持ちを、もしお許しいただければ、マスコミュニケーション関連の方のお品物は、理由など関係なく、ご遠慮申し上げるようにいたしております。ご無礼をお許しのうえ、ご返送させていただいてよろしゅうございましょうか?」
川嶋さんは「言葉が強く申し訳ございません」と、謝りつつ、返送を提案。記者が“着払い”を申し出ると、
「僕のお小遣いを眺めまして、もしそういうことでしたら、そのようにさせていただきますが、お小遣い箱にはたぶん、入っているかと思います。
1トンくらいの隕石をお返しすることになると、僕のお小遣いでは、重量制限で難しくなりそうです。将来、そういうお見苦しいことが発生しましたら、喜んで着払いでお返し申し上げたく存じますが、今回は、そのお気持ちをありがたく拝聴申し上げて、先のような形で進めさせていただければと存じます」
周知のとおり、川嶋さんは学習院大学の名誉教授。研究者らしいユーモラスな返答が光りつつも、一般的な金銭感覚にどこか親しみを覚える。
「和歌」に託されたお気持ち
20代の記者に対し、懇切丁寧な対応を続ける川嶋さんは、「これだけでお別れのご挨拶というのは寂しゅうございますので」と、自身の趣味について語りだした。
「今はできませんが、少年のころは木登りが大好きだったんです。今でも登りたいと思いながら夢を描いております。枝ぶり次第で、手の位置よりも足の位置が高くなる。そんなことを思うだけでも、僕自身が木登りをしているような楽しみに浸れます」
童心に帰ったかのような声で楽しそうに話し進める。
「少し間違えてかなりの高さから落ちても、幸いにして、下に鋭利な石などがあることもなく、多少の痛さですむような墜落でした。それも含めて懐かしい思い出です」
盛り上がること30分。川嶋さんから予想外の提案が。
「取材ではないお手紙であれば、封を開けられます。木登りについての和歌を書いてくだされば、よろこんでご連絡申し上げたいと思います。どういう景色が好きで、その景色について“こんな和歌を詠んだ”“こんな景色が見たい”でもよろしいです」
思いを伝える手段は和歌─。それが紀子さまを育てられた“川嶋家流”なのかもしれない。
《竹籠に熟るる黄色の花梨の実 あまき香りは身に沁みとほる》
今年3月の『歌会始の儀』に出席された紀子さまが披露されたのが、この和歌。
「竹籠の中の熟れたカリンの実について詠まれていますが、カリンの花言葉は“唯一の恋”“努力”“可能性”。実をつけるのは10月から11月にかけてです。
これは偶然とは思えません。紀子さまは《竹籠》を皇室に、《花梨》を眞子さまにたとえられたのでは。唯一の恋を叶えるべく、努力される姿を見た紀子さまは、カリンが実をつける今秋、娘の意思を尊重して結婚を認める……。そんなお気持ちを和歌に託されていたのかもしれません」(皇室ジャーナリスト)
もうすぐ、カリンが熟れる季節がやってくる─。