「自分が結婚をしようと思う日が来るなんて、思ってもみなかったです」
こう語るのは、歌手の華原朋美(47)。
彼のことで覚えているのは「ランボルギーニ」
華原といえば、「平成のシンデレラ」「平成の歌姫」と呼ばれ、時代を席巻した存在。だが、当時の恋人との別離後は、さまざまな騒動を起こしては注目を集める人物として知られるようになっていった。
とはいえ、楽曲はいまだにカラオケの定番ソングであり、根強いファンが存在するように、彼女の歌手としての魅力と才能は決して色あせてはいない。
また、今年に入ってからは『アウト×デラックス』(フジテレビ系)をはじめ、バラエティー番組に次々と出演。現在の“どっしり感”を隠そうとせず、以前とはまた違った方向で話題を集めている。
そんな華原が、自身の誕生日でもある8月17日に、現在彼女のマネージメントを務めるイベント会社経営の男性・Oさんと入籍した。
冒頭で語っているように、未婚で母にはなっていたものの、籍は入れていなかった華原。いったい、どんな心境の変化があったのか。そして、これからの展望は─。
週刊女性独占で語ってくれた。
「彼と最初に会ったのは、2年くらい前の、地方で行われたイベントのときです。彼は運営に関わっていて、スタッフの1人というくらいの認識しかありませんでした。覚えているのは、なんだかすごいランボルギーニに乗ってるな、ということくらい(笑)」
その後、華原は2020年8月末に当時の所属事務所を退所。フリーとなったというニュースが流れたのち、Oさんより、キャスティングの仕事に関わらせてほしいと、連絡があったという。
「この人なら信じられそうかな、と思い、お願いすることにしました。最終的に、彼は私の両親のところにも挨拶に行ってましたね」
華原とOさんは、同年11月から本格的にキャスティングの業務提携を契約した。今年初頭からは、Oさんの尽力により仕事が次々と決まっていったという。
「ほんとに仕事を取ってきてくれる! すごい! って(笑)。そのうち、YouTubeの撮影などで、彼が自宅に来ることが多くなって、いつの間にか距離が近くなった感じですね。息子も『パパ』と言い出したし。恋愛の気持ちというより、安心感が大きかった。『この人と家族になったら楽しいだろうな』と思いました」
これまでの経験からネガティブなイメージのほうが大きかったため、結婚願望がなかったという華原だが、息子とOさんをつなげるために、籍を入れようと決めた。
「安室ちゃん衣装」の真相
そして2人は華原の誕生日に入籍をすることに。しかし、すでに気分は気の置けない『家族』となってしまっていたため、ドタバタの連続だったようだ。
「10日に1回はケンカしてました。彼、しょっちゅう出張を入れるので、話し合いたいときに家からいなくなってしまうんです。
おまけに、2人とも初婚だから、書類の集め方とか名義の変更の仕方とか全然わからないので、驚くことばかりで。婚姻届を出しに行く直前まで、ほんとメチャクチャでした(笑)」
驚きといえば、オンライン上での結婚会見で、その際の服装が1997年に安室奈美恵が結婚発表をした際とソックリと話題になったが、あれは?
「私のほうがそう言われてびっくりでした。まったく知らなかったんです。そのころは忙しすぎたしいろんなことがあったので、世間の出来事をあんまり覚えていないくらいで……。
結婚会見のときは、スッキリと見える格好にしたくて、黒のニットにブーツ、チェックのスカートにしようと、思い描いていたんです。チェックだったらバーバリーだろうと。
でも思ったとおりのスカートが日本には今売ってなくて、スタイリストさんにわざわざロンドンから取り寄せてもらったんですよ。それがもう、奈美恵さんがやってたなんて……」
いやはや、朋ちゃんらしい天然ぶりは相変わらずのようだ。晴れて家族になった今、華原とOさんは、新たな一歩を踏み出したところだ。
「2人目が欲しいので、不妊治療に通っています。検査してもらったら、子宮も卵巣も20代の状態だから、妊娠する可能性は高いそうです。でも、妊娠しなくても、もう1人育てたいと思っています。今はいろんな方法がありますからね」
とはいえ、仕事は続けたいと話す。
「私の人生を映画にしたい!」
「彼がおもしろい仕事をたくさん取ってきてくれますからね。今は歌手だけでは食べていけませんし、バラエティーなどに出ていないと、忘れられてしまうから。私は、みんなにいろんなことを言われたり書かれたりすることよりも、みんなに忘れられることのほうが怖いかもしれません」
次にやってみたい仕事は?
「うーん、スタイルもよくて料理も完璧みたいなママタレさんみたいなのは私には難しいし、舞台は台本が厚いから覚えるのが大変そうだし(笑)。今のまま、イベントとかバラエティー番組に末長く出してもらうのがいいですね。今がとても楽しいですから。
これまで、本当につらいことが多かったから。睡眠薬と精神安定剤が手放せなくて、何度も精神科病院の隔離病棟に入院したりしてきましたし」
最後の入院は、2020年の10月だったという。
「病棟の中で、同じく入院している20代前半の子に教えてもらって、初めて水彩画を描きました。とても感性が鋭い子で、素晴らしい絵を描くんです。おかげで、とてもうまく描けてすごく気に入っています。彼女にも早い段階で結婚のことを報告しましたね。とても喜んでくれました」
その絵は現在、華原のオリジナルTシャツに使われている。両手のひらの中に心臓があるという構図で、これまでの経験は否定せずに生きていくという、華原の意志が表れているかのようだ。
「いつか、私が生きてきた人生を映画にしたいです。主役は私自身が演じたいですね。登場するのはみんな実在の人物ですけど、それぞれ役者さんに演じてもらいます。最後に旦那さんに登場してほしい。本人役ではないかもしれませんが(笑)」
スターであったはずなのに、つい手を差しのべたくなるような身近さを失わない。何を言っても、やっても注目の的となる。でもそれを糧にして、いろんな変化を見せていく。だからみんな、いつまでも“朋ちゃん”から目が離せないのだろう─。
かはら・ともみ 歌手。1974年、東京生まれ。1995年に『keep yourself alive』で歌手デビュー。『I BELIEVE』『I'm proud』といったミリオンヒットを連発、そのルックスと圧倒的な歌唱力で時代のミューズとなる。その後、いく度かの休養・復帰を繰り返す。2019年に未婚のまま男児を出産。2020年9月に、約20年間所属した事務所との契約を解除し、フリーに。YouTubeチャンネル「Tomomi Kahara Channel」も話題。
取材・文/木原みぎわ 撮影:佐藤靖彦